わたしはお茶の水博士を心の師と仰ぐ科学合理主義の信徒ですから、幽霊妖怪魑魅魍魎のたぐいはいっさい信じませんし、いままで不思議な出来事に遭遇したこともほとんどありません。
しかし、ひとつだけいまでも腑に落ちないことがあります。
つまらないうえ長めの話ですがせっかくの機会ですから、百のなかのひとつということで披露させていただきます。
小学生の時分、わたしが住んでいた街には『子供会のラジオ体操』というものがありました。夏休みになると、近所の子どもたちが毎朝近くの空き地に集まってラジオ体操をするんですね、体操が終わると、監督に来ている父兄が出席カードにポンとはんこをついてくれる。そのはんこがある程度たまると、鉛筆1ダースとかのご褒美がもらえるわけです。
わたしがその『子供会のラジオ体操』に参加したのは小学校5年生の夏が最後でした。
その年は、前年まで使っていた空き地にアパートが建ってしまったので、近くにある神社の境内でラジオ体操をすることになりました。神社に名前がなかったはずはないのですが、なにしろわれわれは『お宮さん』としか呼んでいなかったものですから、社名はまったく思い出せません。有名な神社でないことだけは断言できます。
その『お宮さん』でのラジオ体操に行くと、近所に住んでいるお婆さんを見かけることがときどきありました。お婆さんはいつも雑巾を入れたバケツを持っていて、ラジオ体操が始まる前に当番の父兄に挨拶をして帰っていきます。どうやら、子どもたちが集まる前になにかを掃除していたようでした。
なにを掃除しているのかは早起きの友だちの話でわかりました。
お婆さんは『鉄の門』を掃除していた、というのです。
『鉄の門』といっても、われわれがそう呼んでいただけで、ほんとうに鉄製だったのかどうかはわかりません。子どもにかかれば、たいていの金属は鉄ですから。鉄ではなく、青銅かなにかだったような気がしますが、いまとなってはたしかめる術もありません。
また、『門』というのもかなり不正確です。なにしろどこかへの出入り口というわけではないのです。境内の片隅にごっついコンクリートの柱が2本立っていて、そこに観音開きの扉が固定されているのです。門扉ではなく、石造りの建物の扉だったのかもしれません。ノッカーもついていたし、やはり洋館のドアだった可能性が高いでしょう。だとすると、『門』というのは二重の意味で不適切ですね。
とにかく、その扉は洋風のものだということがわかるていどで、手のこんだ装飾もなく殺伐とした印象があり、全体に神社にはふさわしからぬ雰囲気でした。わずかに神社らしいことといえば、コンクリートの柱と扉に巡らされた太い注連縄ぐらいのものでした。
もっと幼かったころ、境内で友だちと遊んでいて、『鉄の門』を開けようとしたことがありましたが、子どもの力ではびくともしませんでした。注連縄がはってあるにしろ、透き間ぐらいはあきそうなものなのに、扉はぴったり閉ざされていました。鍵穴の存在は記憶にないし、閂がなかったことははっきり憶えています。下はぴったり地面に着いていましたが、食いこんでいるようすもありませんでした。しまいに、われわれは『鉄の門』の下を掘ろうとして、神主さんに見つかり、こっぴどく叱られたものでした。
その『鉄の門』をお婆さんが朝早くから掃除している、ときいても、とくにどうとも思いませんでした。せいぜい、「けったいなもん、掃除しはるんやなぁ」とごくまっとうな感想を抱いたぐらいでしょうか。
夏休みも終わりに近づいたころ、わたしはいつものごとく母親に叩き出されるようにしてラジオ体操に出かけました。家を出てすぐ、今日はやけに涼しいな、と感じました。境内につくと誰もいません。これではっきりしました。集合時間よりだいぶ早く来てしまったのです。母親が寝ぼけて時間を間違えてしまい、わたしも時計を見るのを思いつかなかったのでした。
いくら近いとはいえ、家に帰るのも馬鹿らしく、わたしは境内をひとりでぶらぶらしていました。そこで、ふと、『鉄の門』が目に留まりました。お婆さんはまだ来ていません。わたしは『鉄の門』に近づきました。
いつもとかわらぬ『鉄の門』です。わたしは何気なく裏に回りました。裏というのは、境内の中心から見て裏ということですが、ノッカーが着いているのは表のほうなので、その扉がほんらいの役割を果たしているときには内側に当たる方でもあります。
模様がありました。
表と同じく、いや、ノッカーがないぶんのっぺりとしてなんの飾りもないはずの扉一面に模様がついていました。けっして美しいものではありません。線が何十本もありました。太さもまちまちで、まっすぐなものなどひとつもありません。筆の柄を摘んでいいかげんに引いたような線です。奇妙なことに線は3〜5本ずつぐらい集まっておおむね平行に並んでいました。そんなグループがいくつもいくつもあるのです。いびつな四角形の模様もありました。模様というよりも、絵の具をなにか堅いものに浸してぶつけたあとのようです。そして、掌を押しつけたとしか思えない模様もありました。
模様は上のほうにはありませんでした。それはむしろ当然のことです。たいそう高い扉でしたから、大人でもあの高さに模様を描くのは苦労するでしょう。ただ、わざわざ注連縄をはずして描いたとしか思えない模様があったのは、奇妙に感じました。
絵の具は一種類です。早くも強まりだした夏の陽射しに炙られて、絵の具のほとんどは乾いて茶色になっていました。しかし、ぬめぬめと真新しい幾筋かの線は鮮烈に赤く、そう、血の色をしていました。
もっと近づくと、まぎれもない血の匂いがしました。
それからどうしたかは憶えていません。ずいぶん昔のことだからなんの不思議もないでしょう。とくに印象に残っていないことを考えると、お婆さんが来る前にその場を離れ、素知らぬ顔でラジオ体操に参加したのではないでしょうか。
でも、いまでも、『鉄の門』の模様のことだけはちょっと不思議に思うのです。きっとわかってみれば、どうということもない話なのでしょうが。