第八十一話

林譲治

 帝国海軍の潜水艦部隊について調べていた時の話。たぶんこの話はいままでの話の中でも信じ難い部類に入るはずですが、戦争の裏面史として書いておきます。
 調査で難航していたのがペナンの潜水艦基地についてだった。マレー半島にあるペナン島の潜水艦基地は、海軍が行った数少ない通商破壊戦の拠点であるばかりでなく、ドイツのUボートとの交流があった場所でもある。
 ところが国立公文書館などにペナン関連の資料はなかった。終戦直後に米軍が押収し、いまだに返還されていないのだという。防衛庁戦史資料室にも、ペナン関連の書類は何もない。それらは最優先で焼却されたのだと言う。
 そうなると残されたのは当時ペナンに勤務していた人の聞き取り調査。海軍年鑑を昭和十六年から終戦まで調べて、人事記録からリストを作っては見たものの、大半の人がすでに鬼籍に入っていた。当時すでに士官であれば、戦後半世紀の時間を考えるなら不思議ではない。その中で一人の人物と接触をとることに成功した。
 「ペナンのことは誰にも語るつもりはなかったが、儂ももう直にお迎えがくる身だ。人様の役に立つなら話しておこう」
 その老人は電話口でそう語った。彼は自宅ではなく、千葉県犬吼埼のある場所を指定していた。そこが自殺の名所とわかったのは、現場についてからのことだった。
 老人は当時少佐だったという年齢にしては矍鑠と見えたが、顔色は悪く、終始何かを警戒しているような神経質さが伺えた。崖っぷちのせいか、周囲の空気は妙に魚くさい感じがしたが、それがまた老人のありようをある種無気味なものにしていた。もうじきお迎えがくるというのも、ある程度そんな自分に自覚があったのだろう。私はそう思っていた。
 「どうしてペナンの潜水艦基地の資料も証言も少ないのか疑問に思っているようだが、それはあそこで行われていたことが世間に明らかになっては困るからだよ。それにそうしないように暗躍する連中もいるしな」
 そこからその元海軍少佐はとんでもない話をはじめた。
 「もともとは山本GF長官の発案だったらしい。君ら若い人はどういう話を聞かされているかしらんが、あの人は神がかったところが多い人だった」
 「それがペナンとなにか関係が?」
 「開戦前から日本とアメリカでは国力の差から戦争では勝てないことは海軍では誰もが知っていた。山本長官は、それを別のもので解消しようとしていたんだ。それは……君らにわかりやすく言えば、そうさなぁ、古代文明の遺産かな」
 老人の話をまとめるとこうだ。海軍上層部はドイツかどこかからの情報から、ペナン島に古代文明の何かがあることを知ったらしい。その古代文明の遺産は太古に起きたとてつもないスケールの戦争に関するものらしい。山本長官はペナンを占領し、その古代文明の遺産により、対米戦争に勝利しようとしたというのだ。
 「それで、結果は?」
 「山本さんの戦死後も計画は進められたよ。ドイツのUボートがペナンにやってきたのもそれと関係があったのだよ。もっともヒトラーはそれを独占することを考えていたらしいがな。我々は古文書や伝承を調査して、その古代文明の遺産の正体をようやく解明した。潜水艦により古代文明の遺跡も海底で発見したよ。潜水夫を……いや、それはいいか。そして我々はその古代文明の遺跡というものが、想像していたものと著しく異なることを知ったのだ。だから我々は終戦直前にその遺跡も、入り口も完全に爆破し、関係書類は焼却したのだ。もっとも本国に送った書類は米軍に接収されてしまったがな」
 「その古代文明の遺産というのは?」
 「君にも理解できるように説明すると何になるかな。古代の神、あるいは単なる化物か。そいつはあまりの力故に太古に封印されていたんだ。それが解放されれば世界がほろぶ。だがそれを望む狂信的な団体もおって、戦争の最末期には我々はそんな連中とも闘わねばならなかったよ」
 「狂信的な団体?」
 「ある種の教団かな。我が海軍にさえそんな連中の手先が潜り込んでおったよ。終戦末期の潜水艦で行方不明が多いのも、我々が連中、いや、それもいまとなってはどうでもいいことだ」
 老人はそこまで話して何かを感じたらしい。だがすぐに話を続けた。それは追われているようにも私には見えた。
 「その遺跡は封印したが、遺跡は世界各地にあった。アメリカも公式には何も言わないが、そうした遺跡の封印をいまも行っているんだよ。例えば我々が把握していたペナンに匹敵する遺跡の場所はアメリカが徹底的に破壊した」
 「どこなんですか、それは?」
 「ビキニ環礁さ。だが封印を解こうと言う連中はいまも暗躍しているんだ。太古の神の存在を知る人間を抹殺するのも奴らの仕事だ。おかげで儂もずいぶんと戦友を失った。だが儂は負けんさ」
 その時、私は地面が揺れていることに気がついた。地震ではなく、それは何かの大きな振動のように思われた。
 「奴らへの対抗手段はある。封印された神は一つじゃない。対立する神々を争わせ、自滅させる。それが人間に残された最後の手段だ」
 振動はますます大きくなり、もはや立つこともできなかった。しかし元少佐の老人は、二本の足で立っている。
 「どうやらお迎えを呼ぶ時がきたようだ。とりあえず真実を伝えることができて良かったよ」
 「この振動は何なんですか!」
 「なに、太古の神の下僕、化物としては格下だよ、例のいまわしい半魚人達が呼んだのだよ」
 そして老人は五芒星の石を取り出すと、叫びだした。
 「いあ! いあ! はすたあ! はすたあ くふあやく ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ぶるぐとむ! あい! あい! はすたあ!」
 老人は崖から身を投じた。そして私は、何か巨大な生き物が老人を背中に乗せて飛び去ったのを見たような気がした。老人が飛び去ると、振動は嘘のようにおさまった。
 警察は、事件を健康を害した老人が悲観して自殺したものと判断した。ただし死体は最後まで見つからなかった。
 私は目撃者として、執拗に尋問された。特に老人から何か話を聞かなかったかという点はしつこいくらいに尋ねられた。だが私は最後まで偶然の目撃者であると言い通した。なぜなら尋問にあたった刑事達が、どうみても半魚人のように見えたからである。



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