第六十六話

林譲治

 先日のこと。小説の中で主人公らがさもうまそうに缶ビールを飲むシーンを書いていたら自分も飲みたくなってきた。しかし、マンション一階のローソンには酒類は置いていない。しかも時間は一二時近い。でもそういうときこそビールが飲みたいので、少し遠くに買いに出ることにした。そこのローソンにはビールが置いてあったはずだから。
 駅近くまで歩くと、深夜にも関わらず救急車の赤いランプが見える。ただサイレンが鳴っていないのが不思議だった。じつはサイレンは鳴っていたのだが車輌の故障か、目の前を通り過ぎるまで音が聞こえないほどだった。
 救急車はすぐ近くのビルに止まる。そこは工事現場で、足場やシートがかけられている。まだ建設中の現場だ。
 「こんな深夜に作業をして、それで事故が起きたのか」
 だがここからの展開が妙だった。救急車から、担架に乗せられて今にも死にそうな患者が、工事現場へと運ばれて行ったのだ。工事現場から救急車では無く、その逆である。救急車はそのまま患者を工事現場に送ると、やはり音もなく立ち去った。よく見ると工事現場には作業どころか人のいる気配すらなかった。



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