第四十七話

阿部和司

 考えてみると、何だか結構、妙な体験をしているのですが、ツラツラ思いを巡らせてみると、やはり、あの時から始まったのだなと感じる事がありました。以前にもチラと書いた事があるのですが、よくある「死に掛けた」話しという奴です。
 これは関東のカヌーの聖地、那珂川でのカヌーツーリング中の話しです。
 その頃の私はNIFTYのアウトドア・フォーラムに参加しており、カヌー仲間のオフ会(カヌーツーリング)がある時は極力出るようにしていました。その日は、クリスマスイブを翌日に控えた真冬の真っ只中でした。
 栃木県は烏山の河原に集合した我々はしきたりに従い、仲間が買ったばかりの新艇の進水式を執り行いシャンパンで乾杯してから、那珂川へと漕ぎ出しました。元来酒を飲まない私は、その一杯が文字通り「命取り」となってしまいました。酔っ払った私は途中中州を挟んだポイントで、(流れに乗る為に)右に行かなければならないところを、左の淵のある方に漕いでいってしまい、その淵から抜け出せなくなってしまったのです。淵というのは、流れが渦巻いていて、熟練者じゃないと太刀打ちできないポイントなのです。
 水面まで張り出していた竹薮に船体がそこに突っ込む形となり、完全に操舵不能の状態で立ち往生となりました。仲間たちが救助の為に近づこうとしますが、やはり竹薮が邪魔で思うように行きません。
 そこでまだ酒の抜けない私はあろう事か、エイヤとばかりに川の中に飛び込んだのです。ライフジャケットは着ているし、命綱も船体にくくりつけてあるので大丈夫と思ったのでしょう。しかしそれが大甘だったのは、飛び込んでから理解しました。
 何しろ厳冬期の川です。水温は無茶苦茶低く、冷たいなんてモンじゃありません。しかも飛び込んだのは、淵にあたるポイントですから、水面下では水がうねりまくっていて、ライフジャケットを着ていたにも拘らず、ドンドン底の方へ引き摺り込まれて行ってしまいました。
 体温は奪われていき、意識も失い始めました。
 遥か頭上では水面がキラキラと光っていて、少しずつ意識と一緒に遠ざかっていきます。
 「ああ、綺麗だな。」とトンチンカンな事を思いながら、溺死ってのは苦しくないんだな…といった考えもよぎり始めました。
 とうの昔に、身体の自由はききません。静かに沈んでいくばかりです。
 段々視界も暗くなってきます。急速に眠くなり、なるほど映画や小説のアレは本当だったんだと思った時です。
 誰かが私の腕を掴みました。それもかなり凄い力で…。
 は! といっぺんに意識を取り戻した私はその方向に目をやりましたが、既に大分川底に近かったのか、暗くて何も見えやしません。
 そして、それは、グイ! と力を込めたまま、私の腕を上方へと押し上げました。その勢いで私の身体は一気に水面に浮かび上がったのです。
 多少流されていたらしく、安全な右側の岸辺まで何とか辿り着く事ができました。クチビルは紫色に変色し顔色は死人のように白く、完全に低体温症状態でしたが、幸い仲間の一人が救急隊員だったのですぐ応急処置を施してくれました。仲間が作ってくれたカップ麺(生涯で一番美味しい食べ物でした)を食べながら、さっきの川底の話しをすると、年配のリーダーが、私に向かって呟きました。
 「こういう淵には、必ずヌシがいるもんだ。まあ、君を助けたのか、邪魔だからどけと思ったのかは定かではないがね。」
 勿論、死に掛けた私の見た妄想だったのかも知れません。
 因みに私が飛び込んでから再び浮かび上がってくるまでの時間は、約十分くらいだったそうです。
 でも、これ以降なんですよ、妙な体験をするようになったのは。低体温症で、脳細胞かなんかやられたんですかね。



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