第三十六話

村田健治

 うーん、別に自慢しているわけでもないのですが。
 確かに、感じたからといって何かしてあげられる訳でもないし。でも、何かを求められているような気もしないし。
 あ、そういえば一度だけ確かに求められていたことがありました。
 あれは僕が大学に入って3度目の春。
 生協の組織部員であった僕が、無事に新歓企画を成功させ片付けをしていると、一人の女の子がおずおずと声をかけてきました。
 「あのー、自分のアパートが何処かわからなくなっちゃたんです」
 詳しく聴いてみると、彼女は昨日越して来たばかりの新入生で、ひどい方向音痴のため、アパートは歩いて10分もかからない所のはずなのだが、その日の朝も1時間半かけて登校して来たそうなのだった。
 それならば送って行こうということになり、片付けを終えると、二人並んで夜道を歩き始めたのでした。
 しかし歩き始めてすぐ、洒落た背広姿で帽子の似合う老人が、こちらを睨みながらついてくるのに気が付きました。
 程なく彼女のアパートに着き、礼を言う彼女としばらく話をしていましたが、僕の視線に気づいた彼女は、訝し気に何を見ているのかと聞いて来ました。
 問われるままに答える僕に、何も見えない彼女は気味悪がっていましたが、老人の特徴を聞くうちに言ったのでした。
 「それ、おじいちゃんだ」
 彼女の話によれば、僕の見ている老人は、亡くなったおじいさんに似ているそうなのだった。
 もちろん、僕は彼女のおじいさんなど知らないし、彼女は何も見えていないのだから、それがおじいさんである証拠は何もありません。
 しかし僕にはずっと、その老人の思念が流れ込んでいたのです。
 それは言葉にならない感情の塊で、言い表すことはできないのですが、あえて一言で表すなら。
 「家の娘に手を出すな!」
 そう、その老人は送り狼を心配していたのでした。
 僕の考えからいけば、彼女が無意識に(もしくは意識して)警戒していたのでしょう。
 僕にはそんな気は、かけらもなかったんですけどねー。



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