第三十五話

林譲治

 一部に誤解があるようなのだが、霊を感じたり霊を見たりするだけで自分に霊能力があると優越感にひたる人がいる。それが何等かの疾患によるものでは無く、本当に霊を感じるとした場合、じつはそれは自慢になるどころか、非常に恥ずかしいことなのである。
 なぜならば霊が存在するのに霊を感じるだけということは、霊の意識が理解できないということを意味するからだ。霊が現れるのは何等かのメッセージ伝達のためであるから、霊を感じてもそのメッセージが理解できないということは、その霊のメッセージが描くところの概念が理解できないためである。概念が理解できないからそれは恐怖という形で認識される。
 要するに頭の悪い人間には霊を感じることしかできないというわけだ。だから自分は幽霊を見やすいという人間は疾病が原因でなければ己が頭の悪さを宣伝していることになる。
 と、前振りが長くなったが、この馬鹿な霊能力者が中学時代にいた。とりあえずMとでもしておこう。彼は心臓疾患で手術中に臨死体験をしてから霊を感じるようになった。感じるようにはなったのだが、なんせ馬鹿だから、奴の感じた心霊現象というのは奴の説明を聞いてるだけではわけがわからない。霊の複雑な概念を理解するほどの知性がないから、言語で表現できないわけだ。
 ある時のこと。「俺は死神にあった」とこのMが言い出した。水が危なくて死神がいる、と言ってることは毎度のように支離滅裂。
 そしてそれから数日後、Mと仲のよかったK君が川で溺れて死んだ。
 「昨日、Kがきたんだ」
 K君の葬儀の翌日、Mはそう言った。私の知る限り、Mが唯一、霊の概念を理解したのはこの一回だけだった。
 念のために書いておくが、霊と意識を共有するのはあまり愉快な経験では無い。ことにその人物が殺人をおかした人物であるような場合には、人を殺す感触まで共有するという不快な経験を覚悟しなければならない。それを考えれば霊の存在だけを感じる人は幸せと言える。



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