第三話

林譲治

 私の実家は北海道の農家なのですが、小規模農家の例にもれず幼い頃の私は放任というか親にもあまり構ってもらわない毎日を送っておりました。零細農家というのはそうでもしないと経営が成り立たないわけです。
 そういうわけで私は自然とおばあちゃん子になりました。祖母という人は富山の庄屋の娘か何かだったらしいのですが、若気の至りで駆け落ち同然で祖父と結婚し、苦労した半生を送った人だったようです。むろんそれを理解できたのは、はるか後のことですが。
 祖母は裕福な家の娘で女学校にも通っていたらしく、幼い私に字を教えたり、富山の民話などを話したりしてくれました。もっとも明治の女学校ですから、科学的な話よりも女三界に家無しの類いの教育が主でしたので、当時三才くらいだった私の書けた文字というのもひらがなで自分の名前が書けた程度でした。それでも祖母は初孫が書いた文字を嬉しそうに目を細めて見ておりました。
 ただ祖母は私が字を書けることは二人だけの約束だと言いました。当時のわが家は貧乏人の家にありがちな諍いが絶えなかったため、幼い私は状況こそ理解できないものの、本能的に自分が字が書けることが家庭の諍いの元になることだけは納得しておりました。
 ただ三才の子供ですから、物事の理解力など知れております。私は家の壁に自分の名前を書いたのですが、すぐに両親に見つかりました。ただ両親は私を怒るより先に、どうして文字を書けたのかを知りたがりました。結局、三才だった私は祖母との約束を破ることになりました。それいらい私の記憶の中に、祖母は登場してきません。
 祖母が私が生まれる二年前に、すでに他界していたことを知ったのは、小学校に上がってしばらくたってからのことでした。いまでも実家の――いまは納屋になっている――壁にはクレヨンで書いた私の文字が残っています。壁の異様に低い位置に。



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