ア、痛ッタッタッ、うひぇー

黒川[師団付撮影班]憲昭

 痛さで目が覚めた。
 とっさに右足首を握った。
「ッツ、ぐわー」
 酢醤油に放り込まれたエビのようにはねる、はねる、はねる。
 そのたびに右足が床に当たって、痛いのなんの。
 うつぶせになり、布団にしがみつくようにして、なんとか動きを止めた。
 それから、恐る恐る、身体を仰向けにして、足に力が入らないように、そろそろと上半身起こす。
 時計を見る。午前六時前。
 部屋の中はまだ薄暗かったが、右の足首から、甲にかけて腫れ上がっているのが見えた。
「疲労骨折か」
 とっさにそう思った。
 最近、会社のちかくにあるプールを備えたスポーツジムに通いだし、久しぶりに身体を動かし始めたばかりだった。
 その週の日曜日くらいから、右足首に違和感を感じ始めていた。
 そのためランニングはひかえ、プールも月曜日にいったあと、火曜、水曜、木曜、と自重していたのだが、木曜の夕方から右足を軽く引きずるようになった。
 だが、この時点では、歩くことに問題はなく、昨晩は筋肉痛の市販薬を塗って眠ったのだったが。
 ともかく、手元にあった筋肉痛の薬を塗ってみたのだが全く効かない。それどころか、時間が経つにつれていよいよ痛みが激しくなっていく。
 午前七時。
 職業別電話帳で、医者のページを探し、整形外科が横浜駅周辺に多数あることを確認した。会社の帰りに寄らねばならないようだった。
 午前八時半。
 さらに痛みはひどくなる一方。
 会社よりも、とにかく医者に行かなければならない。午前中は会社を休む旨を連絡。診療科はわからないが、駅前にいくつか医者があったことを思い出し、とりあえずそこまでいってみることにした。
 保険証と虎の子の2万円をザックに背負い、左手に杖代わりの傘を握りしめて、アパートを出た。
 九時前。
 アパートの階段を下りるのに多大な労力を費やした。医者に行くのは諦めようか、と一瞬考えたが、また、降りてきた階段を見上げて、断念した。
 傘にすがって、半歩ずつ、足を引きずる。
 学生、幼稚園児、サラリーマンなどに追い越されながらもとにかく駅前へ。
 確実なあてがあるわけでは無いというのはとてつもなく不安だった。
 が、不安というものには頭脳を活性化させる作用があるらしい。歩いているうちに普段は全く目に入らなかった電柱広告に「病院」という、文字があるのに気がついた。
 「病院」の上に産婦人科という文字を見つけて、失望したが。思いついて「病院」という文字で、町並みを検索する。
 街には病院の広告、看板があちこちにあることを発見した。
 そして、整形外科、という探していた広告も一つ先の電柱看板に見つかった。
 そこには病院名と、目指す駅前からさらに北へ300メートルという文字があった。
 ふだんなら、歩いて十分もかからない距離だったが、歩き始めてから、足首だけでなく、つま先にまで広がった痛みは、その距離を絶望的なものに感じさせた。
 その瞬間、脳の奥底からこれまで忘れ去られて久しい言葉がわき上がってきた。
 タクシー。
 辺りの風景を、タクシー、で検索する。が今度はまったくヒットしない。必要なときに限って、タクシーは一台も走っていない、という法則を再確認した。
 しかし明確な目標が出来たことと、足を引きずりながら向かう路上のどこかで、タクシーと出会うことが出来るに違いない。
 希望が見えたような気がして、少し歩幅も大きくなって。
「いっちちちちち」
 右足を、歩道の段差にあてて、悶絶した。
 九時過ぎ。
 整形外科の看板を発見し、横断歩道を渡り、商店街の入り口までの100メートル、時間にして十数分の間に、私は街のバリアフリー化を唱える、社会福祉推進派に変貌を遂げていた。
 また違法駐車と、犬のフン、そして時間外に放り出されたゴミなどを一掃するための、社会改革にも熱意をもち始めていた。
 傘にすがって歩く者にとって、日本の道路はとてつもなく不親切だ。
 商店街にはいると、整体、接骨院、カイロプラクティス、鍼灸院、などの看板が目に付いた。これまで気づかなかったのだが、あるいは前夜のうちにことごとく開業したのかもしれない。
 そのどれもが、右足首の痛みを、何とかしてくれるような気がした。
 現に、シャッターを開けたばかりの接骨院の看護婦の目は「なんとかしてあげるからこっちにきなさい」、とたしかに訴えかけていた。
 しかし、初志貫徹の信念か、はたまたタクシーが通りがかることへの希望か、さらに申し訳ないが、整体、接骨とかいうものへの胡散臭さがそうさせたのか、あえて無視して整形外科へと向かった。
 九時半。
 整形外科まで250メートル、という看板を過ぎてからの道のりの、長かったことといったら。
 これで本日休診だったら、医院の前にへたり込んで、救急車を呼ぼう。いや、いますぐこの場で呼んだほうがいいんじゃないか。
 そうだそうしよう。
 と思ったとき杖をついた女性が、自動ドアからでてきた。
 確認するまでもなくそこが整形外科だった。
 ほぼアパートを出てから一時間後のことだった。
 後で地図上で調べると、アパートから、医院までは1キロと少ししかなかった。
 受付に到着すると、とりあえず手近な席へ座るようにいわれ、看護婦がわざわざ初診者用の記述用紙を持ってきてくれた。
 ああ、助かった。
 ほっとして周りを見回すと、二十人近いお年寄りたちが興味深げにこちらを眺めていた。
 整形外科は繁盛していた。
 繁盛している医者には良い面と悪い面がある。
 これだけ患者がいるということは、この整形外科の評判が良いのだろう。しかしそうなると必然的に待たされることとなる。
 実際、こちらにたどり着く時間よりも、若干すくない時間診療を待つことになった。
 まあ、動かしさえしなければ、痛みは無かったのだが。
 十時半。
 60センチ先のマガジンラックを恨みがましく眺めているとようやく呼ばれた。
 壁を伝い、看護婦の声援を受けながら、診療室で医師と対面した。
 右足首の患部とその周辺を触診し、左足と比べ、足の血管で脈をとる。熟練を感じる一連の動作の後、医師は、穏やかな表情でいった。
「運動はされていますか?」
「最近、スポーツジムに通い始めました」
 ふんふんと医師はうなずく。
 予想していたとおり、疲労骨折、もしくは剥離骨折を覚悟した。
「痛風の発作です」
 医師はいった。
「はあ?」
 まったく思いがけない病名を言われた。
「痛風の4割くらいは親指の付け根、足のほうです、が腫れるのですが、それ以外の場所、たとえば足首などにも症状がでます」
「骨折とかそういうことはありませんか」
「念のため、レントゲンと、あと血液検査をしますがまず痛風に間違いないでしょう」
 医師はカルテに何事か書きながらいった。
「薬局で薬を貰って、すぐに飲んでください。そうすれば5時間ほどで痛みは治まってくるはずです」
「あの、これから家まで歩いて帰るのですが」
 そういうと、横に立っていた看護婦が、優しくいってくれた。
「松葉杖をお貸しします。補償金として3000円お預かりしますが」
 松葉杖は案外安くレンタル出来ることを知った。
 このあと、レントゲンを撮影し、それを見た医師は骨に異常がないと断言した。血液検査の結果は翌日にならないと分からない、といわれたが正直なところあまり知りたくは無かった。
 11時。
 病院近くの公園で、貰ったばかりの薬を、自販機でかったスポーツドリンクで飲んだ。
 そして、携帯で会社へ休むことを伝えた後、病院で貰った、「痛風予防のための食生活」というパンフレットを眺めた。
 ウニ、いくら、牛肉、油…。
 食べてはならないものリストと自分の好きなものリストがほぼ一致することにげんなりした。
 秋の風が桜の葉を散らすのをみながら、なにもなく過ぎた夏のことと、なかなか治まらない痛風について思いを巡らした。



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