三十歳の男と、四十歳の男が

黒川[師団付撮影班]憲昭

「二人していくのかよ?」
 四十ウン歳の男がいった。
「僕は一度いってみたいのです」
 三十ウン歳の男が訴える。
「俺はいやだね。いきたいなら一人で行きな」
 四十男は妻と二人の子供を故郷に残し、単身赴任の身であった。
「でも一人だと心細い」
 三十男はやもめで、ウジがわきはじめるお年頃。
「知るかそんなもん」
 四十男はつきあっているのが馬鹿らしい、といった風に背中を向けた。そしてすぐそばの冷蔵庫から発泡酒を取り出して、プルタブを開けながらいった。
「もし仮に行くのなら君とじゃなく嫁さんと子供達を連れて行く」
 そういって机を挟んで目の前に座っている三十男に、冷えた発泡酒を渡した。
「冷たいなあ、ディズニーランドくらい一緒に行ってくれたっていいじゃないですか」
「アホか君は」
「そうかなあ?」
 三十男はよく冷えた発泡酒を飲みながらいった。

 横浜には遊び場所が多い。
 昼間はランドマークタワー、山下公園、中華街とめぐって、日も暮れた夜七時頃に関内に繰り出せば、居酒屋、パブ、バーから豚足で焼酎を飲ませる屋台まで、実に様々な店があるそうだ。
 さらにそこから先、もっと夜遅くなればさらに楽しい遊び場がたくさんあるらしい。
 が、それが本当かどうかはわからない。
 だっていったことがないのだから。
 正確にはいきたくとも銭がない。
 なので、ある久しぶりに良く晴れた日曜日の昼過ぎ。いつもの休みの様に三十男は上司である四十男のマンションに上がり込んでビールを飲んでいた。
「せっかく横浜まで仕事しにきたんですから、たまにはどこかへ遊びにいきましょうよ」
「それはいっこうかまわんよ。俺としても。でも金のかからない遊びってあるのか?」
「近所の公園にブランコと滑り台がありました」
「砂場もある。この前猫が用を足しているのを、出勤するときにみた」
「どっちみち砂遊びからはだいぶ前に卒業していますんで関係ないです」
 四十男はふいに思い出したように、三十男にいった。
「昨日は給料日だったよな?」
「そうですがそれがなにか?」
「ひとつ気前のいいところを見せろよ。独身貴族」
「その給料ですが、明日カードの引き落としがあります。このところ家財道具をそろえたりするのにずいぶん使いましたから、ほとんど持っていかれますね」
「だからその前に使ってしまえ」
「できるわけないでしょ。いまはクレジットカードが最後の命綱なんですから。こいつが使えなくなったらもうおしまいです」
 三十男は断言した。
「ところで私とは比べものにならないくらいの高給取りを一人知っています」
「誰だそいつは」
「あなたも、昨日給料日だったはずですよ。同じ会社なんですから」
「そりゃそうだが。確かに君より給料は高い。けど子供達と嫁さんが使う分を送金したら、なんとか生活できるくらいしか残らんよ。正直なところ」
 四十男は肩をすくめた。
 要するにお互い、部屋で柿の種をかじりながら、発泡酒を飲むことぐらいしかすることがないのだ。
「これからしばらくは遊びにいくのは無理ですけど、秋ぐらいになったらどこかいきましょうよ」
「そうだなあ。その時にはもう少し仕事も落ち着いているだろうしな」
「どこかいきたいところはありますか?」
「さあ、そういわれると特にはないな」
「実をいうとひとつありまして」
 三十男が身を乗り出していった。
「東京ディズニーランドへ行きましょう!」

 ということから冒頭の会話となったのだが。
「知ってますか? 東京ディズニーランドが出来て今年で20周年です」
「よくそんなくだらんことを知ってるな」
「東急の中吊り広告に書いてありました」
「そうか列車にぶら下がってるあれは、なんとなく読んでしまうな。アサヒ芸能の見出しとか」
「アサヒ芸能とは渋いですね」
「まあそれはそうとして。なんでまた四十男と三十男が二人連れだって、ドブネズミの国へ行かなきゃならんのだ」
「ミッキーを間に挟んで三人で写真を撮ってもらいます」
「けっ!」
「あれ、ミニーの方がよかったですか?」
「どっちも願い下げだ!」
「ドナルド? グーフィー?」
「くどい!」
 四十男はドブネズミを見るような目で、三十男をみた。
「ひょっとして君はそっちの気があるのか?」
 三十男は即座にいった。
「ないです。もし仮に百億万歩譲ってあったとしても、四十過ぎたおっさんなんて気味が悪い」
「同感だな。なにが悲しくてビール腹の三十男なんて。吐き気がする。娘が聞いたら自殺しかねん」
「もしくは笑い死にするか」
「確かに、箸が転がっても笑う年頃だからな」
「なんか違うような」
「でもやっぱりディズニーランドに行きませんか?」
 四十男はあきれたように発泡酒の缶を傾けて、舌打ちする。無くなったようだ。
「君もしつこいな。あいうところはカップルか、もしくは家族でいくところだ。彼女はおらんのか?」
「まだ横浜に来て二ヶ月ですよ」
「田舎にはいなかったのか?」
「いたら横浜になんかへ来てません」
「そりゃそうだ」
 四十男は納得してうなずいた。
 三十男は発泡酒を飲む。
「でも、確かにこんな大都会でも、いざ遊びに行くとなると結構場所がないなあ」
「そうですね。八景島のシーパラダイスとか、カップルか家族連れで行くようなイメージがありますね」
「まあ事実そうなんだろうが。それでももう少しなにかなあ」
 そう言いかけて四十男が思いついたようにいった。
「映画なんかどうだ」
「アンパンマンですか?」
「なんでそっちの方へゆくかな。でもなにかおもしろい映画でもやってないか」
「探せばあると思いますけど」
 そういって三十男はテレビの上に置かれたTUTAYAの青い袋を指さしていった。
「まだ返さなくていいんですか」
「いけねえ。見るのを忘れてた」
「二人で映画を見に行ったら、DVDくらい買えるじゃないですか」
「そうだな。それに最近おもしろそうな映画もないしなあ」
 三十男が突然ひらめいた。
「プロ野球を見に行きませんか」
「野球?」
「せっかく横浜に来たのですから、地元チームのホームゲームを応援しに行く」
「で、広島に14−3くらいで負ける」
「もしかするとシーズン100敗という記録の瞬間に立ちあえるかも」
「やなこった。それに俺はどちらかといえば、スポーツはテレビで見る方がいい」
「スタジアムだと臨場感が違います」
「甲子園球場の外野席にいったことがあるが、あやうく難聴になるところだった」
「あそこは応援しにいくところです。観にいくところではありません」
 四十男は肩をすくめた。
「ところで、なんで君はそんなにディズニーランドにこだわるんだ」
「えっ? わかりませんか?」
「わからん」
「実をいうと、僕のいっていた小学校の修学旅行はずっと登山だったんですよ」
「知るかそんなこと」
「きつい山道を、汗をだらだら流しながら、あっちこっちをヤブ蚊に刺されつつ山を登る。楽しい思い出は何一つありませんでした」
「で、それとディズニーランドとどんな関係があるというんだ?」
「伝統の修学旅行の登山は僕の学年で終わって、次の年からは東京ディズニーランドになったんです」
 三十男は悔しそうにいった。
「じゃ、なにか。そのつらい過去に決着をつけるためにディズニーランドへゆく、と」
「そうともいえます」
 四十男はしらけた目で三十男を眺めた。
「じゃあ、一人でいって、思う存分過去の恨みをはらしてきたらいいじゃないか」
 三十男はいった。
「僕一人だけでいったら馬鹿みたいじゃないですか。やはり修学旅行の時と同じように自分以外にも被害者いるほうがなんとなく気が楽で」
 三十歳の男に、四十歳の男が空き缶を投げつけた。



back index next