横浜に住んで三週間がたった。
ひょんなことから、住み慣れた奈良から上京することになったのだが、その顛末と上浜した当座のどたばたについてはえいせいをみてほしい。
上浜した当座は上司の家にやっかいになっていたのだが、さすがに四六時中顔をつきあわせていると飽きてくる。
お互いの精神衛生上、できるだけ速やかに新しい住みかを探す必要があった。
有名どころでは東急リバブルを筆頭に、横浜駅周辺には大小様々な不動産屋が軒を連ねている。
扱っているのは、たまプラーザのゼロが八つもつく物件から、蒲田の付き2万6千円ガス有り近くに浴場ありまでバラエティーにとんでいる。
はじめは週刊住宅情報・インターネットで家が見つかると思ったが、予想とはうらはらに掲載数は少なく、あっても古い情報ばかりだった。まだ不動産業者のIT化は進んでいない。
結局、ある五月の良く晴れた日、いきあたりばったりで不動産屋を訪ねた。
最初は、インターネットで物件を申し込んでおいた業者にいってみたが、くだんのアパートはすでに契約済みで、担当者もあまりやる気が無いようだったから早々に店をあとにした。
そういえばあの担当者は条件にあったものがあれば連絡するといっていたが、これまでいっこうに音沙汰がない。
そして、そこから百メートルほどはなれたところに不動産屋があったのでとりあえず入ってみた。
雑居ビルのエレベーターからでると、目の前にカウンターがあり、女性が二人こちらを見て微笑んだ。
「あのう、住む家を探しているのですが」
われながら間抜けなセリフだった。
「ありがとうございます。そちらにお座りください」
目の前にぬぼー、と突っ立っている客にとりあえず椅子を勧めた。
「ではどのような物件をご希望でしょうか?」
横浜駅徒歩三分。3LDK以上。収納多。駐車場あり。家賃月3万円以下。
あくまでも希望をいうと。
「ご希望どおりの物件がありますが、でも……」
「すいません。横浜に通える圏内で5万円台の部屋。古くてもいいので広めの部屋が希望です」
うなずくと、ふたりは分厚いファイルを取り出して、間にはさまった不動産屋の店先に張られた物件広告と同じものをめくりはじめた。
上大岡、光明寺、川崎、緑区。
横浜から遠い。
部屋が狭い。
家賃が高い。
などなど。
いろいろと難癖をつけていくと、五センチくらいあるファイルのなかの物件もおのずから絞られていった。
そして一時間後、四つの物件がリストに残った。
「では週明けにこちらの部屋をご案内いたします」 あいにく週明けの月曜日は仕事だった。
なによりいそうろうしている上司の家にこれ以上長くはいられない。
なにせ1kのアパートだ。
哀れっぽい声で、現在自分が置かれている状況と、いかに住みかがほしいかをかき口説くように縷々説明すると、その日のうちに案内してくれることになった。
それから物件巡りが始まった。
案内してくれたのは、カウンターに座っていた女性の一人だった。
あいにく営業車はすべて出払っているということで、列車に乗って部屋巡りとなったが、これはしょうがないだろう。
考えてみると、通勤の手段は列車なのでこちらの方がかえってよかったかもしれない。
一つ目の物件は横浜から相鉄に乗って一駅。国道沿いのビルの4階にあった。
間取りもひろく、横浜駅からも近くにあったが、洗濯機の置き場所を工夫しなければならないことと、唯一の窓から1メートル離れたところに隣のビルの壁があることでとりあえず第二候補とした。
そこから横浜駅にいったん戻って、地下鉄に乗って次の物件に向かった。
情報によれば、6畳、DK、バス・トイレ別で5万円というこちらのだした条件にもっとも近いものだった。
「次の部屋が本命です。よければそこに決めてしまうつもりです」
地下鉄のなかで、不動産屋の女性に力説した。
「はあ。まあそれも見てからですね」
「なにか問題があるのですか?」
問うと、遠くを見るまなざしで女性はいった。
「不動産屋が忙しくなるのは4月と6月なんです。4月は入学・転勤。6月は結婚式が多いからなんですが。先月もいろいろありました」
いろいろ?
「ええ。
大学に入って初めての部屋選びというのは、たいてい親御さんが一緒にくるのですが、結構条件が厳しくて、ある方の場合は三日かけて十件ほどマンションを案内しました」
そりゃ、案内する方も、見る方も大変だ。
「最終的に部屋が決まったとき、親御さんたちと握手してしまいました」
まさに達成、という感じですね。
「それ以外にもいろいろな物件があります。もう退去した後だ、と聞かされていたのに、いってみたらまだ住んでいたとか」
「そんな時はどうするのですか?」
「その時は、昼ご飯をお食べになっているところを、おじゃましてご案内しました」
二十代後半に見えたが、修羅場をくぐった経験は案外にあるようだった。
「あまりに条件がよいと、やっぱりちょっと警戒してしまいますね」
「……」
そんな話をしているうちに地下鉄は目的地の駅に着いた。
目指す物件は山の中腹にあった。
横浜は港町というイメージが強く、すぐ近くに海があると思っていた。だが、横浜市は内陸部の方が広く、さらに小高い丘や、山の多いところであるのを身をもって体験することになった。
上級スキーコースのようなアスファルトに滑り止めの輪っか型のくぼみがある山道を上ってその頂上に近い一角に目指す物件はあった。
「ところで、ここは駅まで8分とあったように記憶しているのですが」
「ええ、直線距離ならそれぐらいです。たぶん下りの時はもう少し早く駅に着くと思います」
真夏日の太陽がじりじりと照りつけていた。
「三軒目は駅まで下って、そこから向かいの丘を登ったところにあります」
確かに、下りの時は駅までは5分くらいで到着したが、そこからまた坂を登る気にはならなかった。
横浜に帰って、そこから東急に乗って三つ目の駅で降りた。
近くに大学があるからか、商店街に人通りが多く繁盛しているようだった。
「良いところですね」
「ええ、近くにおいしいラーメン屋さんがあって、テレビにで放送されました」
ますます気に入った。
目指す部屋までは駅から徒歩15分。若干遠かったが、ひどい登り道はないはずだった。
商店街から離れると、アパートの多い住宅街が広がっていた。丹精した庭にサルビアやポーピーが咲いている。
「静かなところですね」
「……」
返事が返ってこない。
しばらくして不動産業者はいった。
「どうも迷ってしまったようです」
確かに、住宅街というのは案外に道に迷いやすいことを経験上知っていたが、なんとなく驚いてしまった。
「しかも、コピーした地図を店に忘れてきてしまいました」
初夏の日差しの下に、早々と夾竹桃の赤い花が咲いていた。
目印の学校はほどなく見つかったが、そこからが難しかった。
学校をはさんでいったり来たり。おかげで、学校の姿をあらゆる角度から見ることができたし、飼育小屋でニワトリとウサギを飼っていることも知ることができた。
探し回ること半時間後に、ようやく目当てのアパートを見つけた。
階段を上がり、ドアを開けると、南に向かった窓のむこうに学校と桜の木があった。引っ込んだところにあったが、案外に日当たりのよい部屋だった。
部屋は古びていたが、明るさと、広さのおかげであまり気にならなかった。
迷っていた途中、自販機で彼女に買ってもらったお茶を飲みながら、いままで巡ってきた部屋のことを思い出した。
どうやらここら辺が潮時のようだった。
「ここに決めることにしました」
「まだ二件ほどリストに残っていますが」
「どうもここら辺で決めた方がいいような気がするので、ここにします」
「そうですか。実をいうと私もそんな気がします」 それからタクシーで横浜駅西口の不動産屋の店舗に帰って、他に借りてがいないことを確認し、その家を借りることにした。
そうして、白楽駅ちかくの六角橋というところに住みかを構えることになった。