格闘最強伝 黎明編

黒川[師団付撮影班]憲昭

 元気ですかぁー!?
 元気が一番!
 元気があればなんでもできる!!
 こんなタイトルもつけられる!!!
 しかし、書き出す前からこんなに不安なことがいままであっただろうか!?
 この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ。 危ぶめば道はなし踏み出せば、その一足が道となる。
 迷わず行けよ。
 行けばわかる。
(ホンマかいな)

 最初にひとこといいたい。3月30日のK−1ワールドGP(さいたまスーパーアリーナ)でのボブ・サップvsミルコ・クロコップ戦についてだ。
 正直落胆した。
 直前の試合、ステファン・レコvsピーター・アーツ戦で、アーツが怪我によるTKO負けを喫した試合のあとだけによけい落差を感じた。
 1ラウンド、1分26秒。ミルコの左一発でマットに沈んだボブ・サップ。はっきりいって見るに耐えなかった。
 どうみてもあれは嫌倒れだろう?
 あの一発で完全にサップの気持ちが折れてしまった。戦意喪失だ。
 骨が折れたのは仕方がないとしても(右眼窩底骨折とのこと)、それと同時に気持ちまで、というのは格闘ファンとして納得がいかない。
 直前の試合でアーツは、脚に骨まで達する裂傷を負ってもまだ闘おうとしていた。
 その差は歴然だ。
 ボブ・サップは恵まれた体を持ったスポーツマンであって、死を賭してまで闘う気概を持った格闘家ではなかったということなのか。
 これからさき、またリングに立つことがあるかもしれないが(個人的には立って欲しくない)、その時はその体に見合った精神をまず養ってからにしてもらいたい。

 さて東京スポーツ的な説教はこのくらいにして本題に入ろう。
「はたしてこの地球上において最強の格闘技とはなにか」
 見聞録子のごときにわか格闘オタクならずとも、少年マンガを読んで育ってきた日本男子ならば誰もが抱いた疑問であろう。
 その答えは多種多様。
 曰く、プロレス。
 曰く、空手。
 曰く、柔道。
 ボクシング、合気道、少林寺拳法、戴拳道etc。
 格闘技のジャンルには入らない、アメリカンフットボールのラインバッカーなども挙げられる。
 ありとあらゆる格闘技、スポーツが己の最強を主張しているといっても過言ではない(正確には主張しているのは、それぞれ作品のマンガ家・原作者なのだが)。
 意外なところでは卓球も最強を主張している。
 曰く、反射神経という点において、一流の卓球選手は他のものとは比べられないほど、図抜けて秀でた存在である。
 つまり卓球の達人は常に先手をとることが可能であって、相手の技が、たとえ一撃必殺の威力を持っていたとしても発動する前に攻撃できるのだから、これを最強と云わずしてなにがあろうウンヌン。
 暴論である。
 が、どんな最強論もつきつめればこれと似たようなものであって、最後には実際にたちあってみましょう、というところに話は流れる。
 これは論を立てる以前の、もっと根本的なところ、すなわち設問そのものが粗雑だからだ。

「最強のクルマはなにか」
「シベリアタイガーvsホオジロ鮫もし闘えば?」
「古今東西武将最強決定戦」
 最強の格闘技はなにかと似たような質問をいくつか試みてみた。どれもが子供の妄想か、酔っぱらいの戯言のたぐいであるのは明らかだ。
 F1とトレーラーのどこを比べあうのか?
 大陸に棲む虎と南海に生息する鮫を公平に闘わせる手段があるのか?
 家康、アレキサンダー、ロンメルなどが互いにバトル・ロイヤルをする姿を想像できる人間は、はたして正気なのか?
 レスリングのような体重別か、相撲のような無差別か。
 柔らかいマットや畳の上か、地面やアスファルトやの上かによって投げの威力は劇的に変化する。
 ボクシングのようによーいドンで始まるのか、あるいは護身術のように不意打ちされることすらも前提にしているのか。
 相手に重傷を負わせてもよいのか、重傷といっても脱臼・骨折までは認めるが、目に指を突っ込むことまでも認められるのか。
 勝敗の判定はどうするのか? なんでもありで、死ぬまで闘うことを、ローマ時代ならいざ知らず現代においては想定しえない。
 はっきりしているのは、前提条件なしでの最強論は無意味だということだ。
 ルール・条件の設定によって、答えは幾通りにも変化する。こう考えてゆくと、異種格闘技戦などまったく意味のないことだとよくわかる。

 異種格闘技戦。
 だが文字にしただけでも心にたぎるものがある。
 異種格闘技戦。
 いい響きだ。
 異種格闘技戦。異種格闘技戦。異種格闘技戦……。
 このまま残りのページをすべてこの言葉で埋めてしまいたい欲望にかられるが、それはこの言葉から湧き上がるロマンがそうさせるのである。
 まったく意味がないといいきりながら、深く魅了されるアンビバレントな思いをここに告白する。だがこのロマンこそが柔道vs空手の姿三四郎に始まる異種格闘義戦を支えてきた。
 柔道vsプロレス
 プロレスvsボクシング
 プロレスvs空手
 プロレスvsアマチュアレスリング
 プロレスvsK−1
 振り返ると、格闘の螺旋的進化の中心には常にプロレスがあった。異種格闘技戦という巨大な風車の中心軸は常にプロレスである。
 異種格闘技戦とはまさしくプロレス的な思想によって育まれてきたといえるだろう。

 プロレスvs柔道、という興行を成し遂げた力道山というのはたいしたものだ。
 これまでの外国人vs日本人、という取り組みだけで十分な人気があったのだが、それだけでは早晩飽きられて客足が遠のく。
 こんな考えがあってかなくてか、とにかくやってしまった力道山vs木村政彦の真剣勝負。結果は力道山が勝ってプロレス強しということになった。
 蛇足ながら、新興勢力である柔道が既成の空手と闘ったというのも、筋書きとしてはとてもよく似ていることにいま気がついた。
 昭和29年(1954年)、半世紀前の話であるが、とにかくその後のプロレスの方向性がこの時決まったのかもしれぬ。
 力道山横死の後、その正当な後継者である全日本プロレスと、新日本プロレスなどのまさしく新興勢力によってプロレス界が分裂し、新興故に弱小を運命づけられた者たちが、過激な路線をとってゆくことになる。
 プロボクシングヘビー級vsプロレス、すなわちモハメッド・アリvsアントニオ猪木というとんでもない事件が起こるのも、このような歴史的な経緯からすればありえることだった。

「いつどこでも、だれの挑戦でも受けてみせる」
 言い放った方も凄いが、いわれて挑戦しにいった人間が多数出たというのもたまげたことだ。
 幾分かのふかしは入っているだろうが、実際何をしでかすかわからない素人に毛が生えたような奴ばらをリングにあげるだけでもえらい度胸だ。
 下手に怪我をさせて、それこそ警察沙汰にでもなったらプロレスどころの騒ぎではなくなる。かといっていった手前もある。きた奴を適度に痛めつけて放り出す、という芸当はやはり相当実力差がないとできることではない。
 プロレスは強い。だが新日本プロレスが一角の存在となったあとで起こる、マス大山率いる極真カラテと抗争。この戦いの始まりがもう少し早かったならば、歴史は変わっていたかもしれない。
 だが、そもそもなぜ新日本プロレスと極真カラテだったのだろうか。
 大山倍達、アントニオ猪木、などを繋いだその延長に、梶原一騎というこれまた怪しい影が見えてくるのである。
 ある時期彼は、テレビや新聞の一面でとりあげられる競技の大部分を、マンガの原作として取り扱っていたので意外でもないが。
 もし梶原一騎という存在がなければ、異種格闘技戦というものへのロマンがこれほど大きなものになったかどうか。
 その分野のプロであるほど、他とは係わりが薄くなる。格闘界でもそうだろう。ボクシングvsプロレスという発想自体が素人のものだ。
 ここらへんに梶原一騎の影を感じるのは見聞録子だけだろうか?
(まで黎明編。激闘編へ続く。
 ……のかなあ?)



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