マンロックの分厚い鉄製の扉を、重いハンドルで内側から固定する。球形の室内には三人の見学者と、案内役の四人が入った。まだまだ余裕がある。
壁にはガスマスクがぶら下がり、リベットで縁取られた丸く小さい窓とあいまって、潜水夫になったような感じがした。
「これから、加圧します」
案内役がいった。
「最初に0.01Mpa、水深1mくらいの圧力でいったん止めますが、調子の悪い方はすぐにいってください」
ハンドルをゆるめると、プシューという高圧空気が漏れ出す音が聞こえた。直後に鼓膜に違和感を覚えたので、事前に教えられたように唾を飲み込む動作を何度もおこなう。
数十秒で音がは止まった。
「加圧が終わりました。異常がないようならば、さらに0.02まで加圧します」
加圧が続行される。鼓膜が圧迫される。幾度も唾を飲み込む。
「0.02になりました」
説明する声がすこし甲高く成ったようだ。あるいは狭い室内で反響しているのか。水中よりも、かかる圧力が強いような気がする。
「作業員が立坑に入る場合には、0.2Mpaまで加圧します、そうすると」
球の底面にある小窓を指して。
「このハッチが自動的に開きます」
座っていたベンチの下をみた。当たり前のことではあったが、床下に入り込むという言葉になぜかぎくりとした。
この下には37メートルの空洞がひらいている。
もし、いま、床が抜けたならば確実に墜死する。
頑丈な気密室だと思っていたそこは、高層ビルの屋上ほどの高さにあることに微かな恐怖を感じた。
「最終的に、内部の圧力は最大0.37Mpaとなる予定です」
このときこの立坑の最低部は、47メートルの深度に達しているはずだ。
11月3日、日曜日。@niftyと土木フォーラムの共催による、光ファイバーケーブル収容のための立坑掘削現場の見学会が行われた。
インターネットでつのった30名あまりの参加者に、主催者をいれた総勢40名ほどが今回の見学者となる。参加者の大部分は近畿圏からだったが、なかには愛知、遠く山口からの参加があった。
最初に集合場所の大阪ビジネスパークの@niftyコーナーで主催者の紹介と、施工業者である日本コムシス(株)社員による工事の説明が行われた。
今回見学する立坑現場では、ニューマチックケーソン工法と、掘削機の遠隔操作が採用されていた。
ニューマチックケーソン工法とは、立坑内部に圧縮空気を送り込むことで、坑内への湧水の侵入を防ぐ工法である。
もっと簡単に説明すると。下向きにしたコップを水の中にいれると、コップのなかの空気のために、内部が水で満たされることはない。
水圧のためにある程度の水はコップ内に入ってくるが、さらに外部からコップ内へ空気を送り込むことでその水も完全に排除することができる。
これがニューマチックケーソン工法の原理だ。
ただし、加圧された空気の中で作業をすることは、潜函病(潜水病)の危険ととなりあわせであり、このため、掘削作業はなるべく無人で行うことが望ましい。
そのため掘削機は地上から遠隔コントロ−ルされており、アームの先端にシャベルをつけた巨大なクレーンゲーム機の様に操作されている。
下に向かって掘り進めるににつれ、穴の外部をぐるりと取り巻くコンクリートのシールドが、自重で沈下していく。
立坑の外径は10.7メートル、内径8.7メートル。見学時には全体の60パーセント、34メートルまで完成していた。
その時点で本体、周辺部合わせた総重量は3000トンに達していたが、これでも周辺摩擦や歯口からの反発力にあらがって自沈するため、さらに800トンの水をウェイトにしていた。
下へ沈んだ分を、どんどん地上で継ぎ足していき所定の深さに達したら、最終的に底をはって立坑の完成となる。
工事の最終段階と撤収作業は人の手で行わねばならず、そのときは当然、加圧下での作業となり、その際、潜函病の危険がもっとも高まる。その対策に興味があった。
大阪ビジネスパークから地下鉄を乗り継いで、30分ほどの所にある天下茶屋駅から歩いて数分、NTTの敷地内が現場だった。3メートルほどの遮音壁の内側はひどく狭く感じた。
50トンクレーンと10トンダンプに残土を積むためのホッパー。そのすぐ奥に二本の塔がそびえ立つ。高い方が土砂をクレーンで運び出すためのマテリアルロック。少し低いのが人が坑内へ入るためのマンロックで、この先端に冒頭の気密室があった。
直径10メートルあまりの立坑周辺に、クレーン、ホッパー、管理棟、ホスピタルロックといったものが、600平方メートルの敷地の中に、まるで弁当箱のようにきれいに収納されていた。
また、あとで案内されたが、圧縮空気を送り出すコンプレッサーは、予備も含めてすべてホッパーの地下部分に設置されており、これは防音対策のためであるとのことだった。
マンロックで加圧を体験した次に、入り口から立坑をはさんで一番奥にある、管理棟の一階だった。 12畳ほどのごく狭い部屋で、立坑内の大気測定器が入り口の方の壁面にあり、それ以外に部屋の大部分を占めていたのが遠隔掘削機のコンソールだった。
まず、目に付くのが、掘削機に取り付けられたカメラの画像を受信する20型くらいのテレビ。オペレーターは主にこれを見ながら操作する。
その横には掘削面の周囲におかれた三台、穴中央の一台をあわせた、計4台のカメラから送られてくる画像を映し出すもう一台の受信機。
さらに、掘削機の位置を模式図として表示し、あわせて内部の傾斜などの情報を表示するCRTが並べておかれている。
オペレーターはそれらで情報を把握しつつ、イスの肘掛け先端に取り付けられた、左右一本ずつ、二本のレバーを操って、掘削機を操作する。イスはよくある事務イスであったが、それで十分に機能ははたせているようだった。
希望者のうち何人かが、イスに座って操作を体験したが、カメラからでは、特に奥行きの感覚をつかむのが難しく、うまく底面までシャベルが届かず宙をすくってしまうようだった。
もっとも熟練したオペレーターは一日12時間の作業で、1立方メートルの土砂が入る釣り鐘のような巨大なバケツで、60杯分を地底からすくいあげるという。それだけやって一日あたりの進行は、順調にいって0.5メートルくらいだそうだ。
最後に、現場入り口近くの壁板で囲まれた一画にはいった。そこには全長6メートルほどの、巨大な減圧チャンバーがひっそりと置かれていた。
それは、これまでダイビングポイントや、海洋工事現場などで見たものと比べて、もっとも大きなものだった。
そうはいっても胴殻入り口から、さらにもう一枚扉の奥は、左右のベンチに、4人ずつ腰掛けるのが精一杯というごく狭いものであった。
天井からは、酸素マスクが4本ぶらさがっており、これこそがこの現場の採用した最新技術だった。
高圧下で長時間滞在すると、体内に余分な窒素が蓄積され、急激に減圧をおこなうと、これまで何度もいってきたように潜函病を引き起こす。
その症状は関節のひどい痛みから、意識障害、ひどいときには肺、脳の障害によって即座に死を招くという場合もある。
この潜函病を避けるためには、周囲の圧力をゆっくりと減らしながら、新陳代謝による窒素の体外への排出を待つというのが一般的だ。
もっともこの減圧時間というのは、作業時間に比して幾何級数的に増大し、たとえば数時間の作業で、1週間近い減圧を必要とすることすらある。この間、作業員は減圧チャンバーからでることはできない。
減圧時間を短縮するため減圧中に一定時間ごとに純酸素を呼吸する、という方法がこの現場にとりいれられた。思えばマンロックのマスクも、純酸素を吸入するためのものであった。
この純酸素の吸入をとりいれた結果、減圧時間は大きく短縮され、40時間を2時間にまで短縮できた事例もあるとのことだった。
確かに減圧チャンバーは大きなものだったが、長いしたくなるほどの大きさではなかったから、この手法は大いに歓迎されたことだろう。
現場見学は2時間ほどであったが、盛りだくさんで、あっという間にすぎてしまったというのが実感だった。
普段の生活では見ることのできない、様々な技術を体験させてくれた土木フォーラムと@niftyに心から感謝したい。
最後に。万が一、潜函病にかかるようなことがあって、病院も引き受けてくれないということになったら、ここにかけあってみたらよいかもしれない。 この立坑工事は来年の2月で終了となる。