乱調の春

黒川[師団付撮影班]憲昭

 この原稿を書いている平成十四年四月上旬において日本国各方面での混乱は続いている。
 町内恒例の花見。
 ミズホ・ファイナンシャル・グループ。
 阪神タイガース。
 永田町界隈。
 極めて一部かつ一過性のものから、全体的かつ長期に渡ると思われるものまで。
 とかく新年度にはいろいろ、ドタバタ、イライラ、ジタバタするものではあるが。今年の春は混乱の収束しないうち、怒濤のごとくゴールデンウィークへと突入しそうな塩梅である。
 まあ、世間がそろいもそろって泡を食って右往左往してくれているおかげで。給料も安いが、責任も軽い気楽なバイト君である我が身には、へまやずぼらもかえって目立たず、思いがけずほかのんきに野次馬をきめこんでいらて有り難い。有り難い。
 社員の人達が血相を変えて血眼で伝票をひっくり返しているのを横目で見ながら、タイムカードを押して家に帰って。飯を喰って、風呂に入り、さあこれから爪でも切るか、それとも耳垢をほじくるかと思案していたら電話が鳴った。
「夜分遅くスイマセン。あの先輩ですか」
 先輩と呼ばれて良い話があった試しがない。
「HOZUMIソフト(仮)でお世話になった者ですが。覚えていらっしゃいます?」
 語尾を上げながら質問されるのは嫌いだ。
 こき使われて、お肌がかさかさになるわ胃を壊すわ。あげくに因果を含まされたうえ自己都合での退職願を書かされた弱小零細ソフト会社の名前なんぞ、聞くだけでばっちい。
「あの、わたし、先輩とは違う部署でしたが。本を貸していただいたりしたんですが」
「もしかして“ナポレオニック”の?」
「そうっす。先輩元気してるみたいですねえ? 最近はTCGばっかりで、金ないっすよ、俺」
 急になれなれしくなった。だからオタクは嫌だ。
 こいつにはシュミレーターのバックナンバーとコマンドマガジン付録のゲームを二度ほど貸してやっただけで同類だとおもわれているふしがある。
 ちなみにこれらの固有名詞の意味するところを、即座に理解でき、うんうんとうなずいている読者ははなはだすくないだろうが。大半の方はここら辺の固有名詞をタナトス戦闘団、ゾディアック級フリゲートなどに置き換えていただければ、嫌さの具合を理解していただけると思う。
「なにしてんだよオラ」
「オレ的にいま一年戦争です」
 ああ、嫌な会話だ
「違うだろ社会人」
「ああそうっす。いま会社からかけてるんですよ。はは。休憩。休憩。トイレ休憩」
 酔っぱらいと、徹マンの人間は外見上見分けがつかないが、たぶん後者であろう。
「なにてんぱってんだよ。どうせ残業ついてないんだろうから帰ったらどう?」
「帰る? 今日も帰れないです……。たぶん」
 声がいきなり暗くなった。
 マンガなら吹き出しの上に、濃い縦縞が「かけあみつき」で描かれていると思って欲しい。
「教えてほしいことがあるんですがいいすか?」
 さんざん嫌みをいわれた交通費請求の書き方か?
 と、いおうと思ったが、お互いに惨めモードに入りそうだったので止め。
「俺で解ることだったらなんでも教えるが……?」
 そう応えてシミジミと古い地層に放棄して、無いことにしてしまった、放射性廃棄物的、当時の記憶を嫌々ながらほじくり返す準備を始めた。
「すんません」
「で、ドウヨ?」
 どうやら高見の見物を決め込んでいた、春の嵐に巻き込まれたらしい。
 諦めて愚痴をきいてやるか。
 ミズホ銀行とHOZUMIソフト(仮)名前は似ているがまったく関係ない。というか(仮)ということは勝手につけたのだが書いてみてひどい仮名であるとおもう。
 でもそれから暗い声で、こんこんと小一時間聞かされたことのなりゆきは、4月にミズホ・ファイナンシャル・グループで起きた、システム統合の失敗のまさに超縮小版的状況だったのだったのだから、そこらへんの陳腐さは理解していただきたい。
 ファースト宝石店、マウンテン宝飾、ナショナルジュエリーという三つの宝石店卸し兼小売りが、デフレスパイラル経済状況での生き残りと、地縁血縁
同業的思惑から、合併してアキツシマ貴金属という同業ローカル・地方では最大の会社をつくろうとした。当然ながら社名は仮名。あまりにひねりがないが、そういうことになってしまったと思って欲しい。
 そしてその経理・在庫・オンライン発注システム統合を引き受けたのが、HOZUMIソフトだった。この不景気の中、まことに結構なはなしではあったが、これが工期半年、総予算ウン百万でやれとなると話は違ってくる。
 一人のプログラマが月30万で半年間働いたら180万かかるのは小学生でもわかる。
 冗談のようだが、仮に予算の額が一桁多くても、ちゃんとやったらトントンという仕事を、零細ソフトハウスであるHOZUMIではとてもじゃないが無理というのがあたりまえなのだ。が、伯父であり、HOZUMIの金主でもあるファースト宝石店からの仕事は道理を叩いて引っ込ませるのに充分なものであったらしい。
 だが零細ソフトハウスだからこそ、遠くから、何回にも渡って、中継され、投げおろされてくる外注の仕事を、おろそかにしないわけにもならなかった。
 そこで窮地においこまれたHOZUMIソフトにおいてコペルニクス的な発想転換がなされた。
 この義理義理固めのアキツシマ貴金属の仕事を外注に出したのだった。
 出すほうも出すほうだが、そんな仕事を受けるところがあったのだから、世界は驚きに満ちている。
「というかその時点で早くもダメダメだあね」
「でしょう? というか受ける方も普通じゃない」
「でもよ、野球では送球が悪かったら、エラーは投げた方につくんだぜ?」
「……」
 考えてみれば、野球と仕事の外注はよく似ている。投げる方が上手ければ、受け手が少々下手でもアウトにできる。
 逆にいくらシアトルマリナーズでMVPをとったイチローでもマウンドからレフトスタンドへ放られた球はキャッチしずらかろう。
「というかこれまでに投げたことがあったのか?」
「………………。さあ?」
 野球を始める前提、例えば9人選手を集めるところが、6人しか集まらないのに、ゲームを開始してしまったようなものだった。
 というかその状況ではゲームがはじまらない。
「アストロ球団って知ってるか?」
「ロッテには勝つんすよね?」
 なんでそんなことを知っているのかといいたかったが、そうすると一試合が何カ月たっても終わらなくなってしまうので、無視した。
 というかもう夜も更けたし、だいたい愚痴もきき飽きた。
「えっ、まだ入力の0=法人、0=個人、0=以前のデータのどれにするかで一月もめた話とかしたいんですけど……」 
「だめ。で結局なにを教えて欲しいんだ?」
「先輩。ファースト宝石店のY2Kプログラムを担当してよね?」
 あの時は。
 確か宝石の入った金庫の上に、出前のカツ丼を置いて怒鳴られたとか。ろくでもないことが次から次へと想い出される。
「その時のドキュメソとか、手順書とか残ってないないですよねえ?」
「というかドキュメントはない、指示書なんざあ、ドットプリンターに打ち出したソースに鉛筆で書き込んで……。あとで捨てたんだろうなあ……」
「そんな無責任な」
「ところで、君はドキュメントは詳しく書いてる?」
「そんな指示ありませんよ」
 当然のごとくいってのけた。
 ま、つまりはそういうことだ。
「少しはソースの解析の参考になれるかと思ってきてみなんですが、だめでっすよえね。でもそこらへんは実をいうとどうでもよくて」
「?」
「先輩、ポルトガル語ってわかりますか?」
 まさか!?
 中国や、インドじゃなくて、ブラジルに外注へだしたのか!?
「社長がファーストの方からネジ巻かれて、とにかく形だけでもシステムを動くようにする、ということになったんですが」
 形だけでもね……。
「そこで人を急遽集めたんですが、派遣業者が間違えてその中に日系ブラジル人が5人ばかりまざちゃって」
「送り返せ」
 そういう話をしているところらしいんですが間に、またいくつか派遣会社がはいってて、交渉中ということになってるんすよ」
 なんかろくでもない幻聴をきいているようだ。
「それで、固まってだべってられてもウザいんで、とにかく何かやらせておけってことになったんですが、先輩聞いてます?」
 あまりのあほらしさに、受話器を放りだして、ハンズフリーでしゃべらしておくことにした。
 勝手にしゃべって、勝手に切れるだろう。
 この春の混乱はかなり長く続きそうな予感がするのは気のせいであってほしかった。



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