「幽霊とか、中学生までは結構みたけど。そういえば、結婚してからは見いへんようになったわ」
「あ、わたしはいまでもみますよ」
「それって昔の人のやろ」
「うん。着物とかだからすぐわかるよね」
昼休みのこと。
その日は月末であり、諸般の事情から昼飯は家から持ってきたバターロール2つを、部屋に残ってたべることになった。
ほとんどの男性社員はいつもの喫茶店にゆき、残っているのはあまりなじみのない派遣の女性と二、三人だけだった。
部屋に残って弁当やパンを食べ終ったあと、たまたま近くにいた女性から旅行みやげの温泉まんじゅうを貰い、なんとはなしに午後の始業までのあいだ雑談となった。
ひとりは同い年くらい、もう一人はそれよりさらに若い二十代後半といったところだが、薬指を見て守備範囲外であることがすぐにわかった。
つい最近あたりをにぎあわせている連続殺人事件の噂から、火曜サスペンスに登場したホテルに泊まったこと、カニの食べ放題ではそんなに食べられないこと、そんな四方山話から心霊体験談へと移った。
「どこらへんでよくみるの?」
「あっちこっちでみるよ。この前は近所のお寺にもいたし」
「ああ、お寺にはよくいはるわ」
なにかの勘違いではありませんか?
「違うよ。たくさんいたし。みんなへんな着物だったからすぐわかった」
「確かに変やな。霊のかっこって」
男同士でこの手の話を始めると決まって「あるかないか」というところに話がいくのだが。そちらの方へゆこうとはしない。
どうも二人は幽霊・霊魂などとよばれるものを、訪問販売のセールスマンや、犬のフンを持ち帰らない飼い主と同様に、ごく当然なものとして話していたのだった。
そんなにヤバイ人には見えなかったがわからんもんだな。
などと思っていたら。
「幽霊にも普通の人もいるよ」
と家から持ってきた弁当を食べ終わった主任が話しに加わってきた。
「そうなんや」
「うそお。そんな人みたことないです」
主任はポーチからメンソールを取りだし、エエかな、と断ってから火を付けた。
「自分がみたことないから信用しないというのは、君の悪い癖だ」
仕事同様なかなかに手厳しい。
「私が前の会社にいた頃、友達も私と同じように霊感が強くてね。何年か前のちょうど昼休み、みんなでそういう話をしてたんよ」
そういうと主任は意味ありげにこちらをみた。
「男の人って、そういう話信じないな」
こちらのおもっていることをいいあてられた。
がそこはそれなにごともなかったように、手元の灰皿を差し出した。これは長年にわたる危険回避訓練のたまものである。
彼女は、どうも、といって灰皿を受け取り灰を落とした。
「で、その時たまたま男の子の一人が近くに駐車場を借りてたから、仕事が終わってから幽霊に逢いにいこう、てなことになったんだ」
「へえ、主任を誘ってそんなところへいったら、なにが起きるかわかへんでえ」
「そのころはあんたと同じくらいの乙女やってん」
乙女の範囲もけっこう広いな、などとおもったがすぐに考え自体を頭の外へ叩き出した。
「で、友達と私。それに同僚の男の子二人と、I山のSトンネルにいったんだ」
「えっ、あそこでるんでしょ」
「そこ聞いたことあるわ」
(はあ?)
いわれた場所は実をいうとよく見かけている。
というか大阪に向かう列車から見える場所であった。件のトンネルの出口の側に、餃子のチェーン店とその大きな看板があるので覚えていたのだった。
「Sトンネルについてから、しばらく出てくるのを待ったんだけど。そういうときに限って出ないんだよね」
「それわかります」
「でも話からすると、だけど、って続くんと違いますか?」
「話の腰を折るな」
そういって主任はタバコをもみ消した。
「アホくさい話だけど、これが出たんだ」
二本目のタバコをつけ、煙と一緒に吐き出すようにいった。
「しばらくは面白かったけど。
さすがに日付が変わる頃にはいい加減飽きた。夜も遅いしラーメンでも食べて帰ろうとなった」
そして四人がクルマに乗りこみエンジンをかけたとき。
「ダッシュボードのカセットデッキから、クルシイ、って聞こえたの。
最初は誰かのいたずらだと思って。
アホな真似するなって、運転席の男の子をどついたんだけど。
そしたらみんな、えっ、て間抜けな顔したんだ。
だからいまカセットから、クルシイ、って聞こえなかったか? と訊ねたんだけど。みんな聞いてなかった。
で、説明しようとしたら。もう一度いいタイミングでカセットから、クルシイ、クルシイって二度繰り返した。
今度はみんな聞こえたよ。
次の瞬間、クルマが事故ったような急加速で発進したからね」
主任はその時のことを思いだしたのか、タバコをくわえながら器用に口の端を歪めた。
「まあ正直なところ、そのあと市街に入るまでの運転の方が私には怖かった。
だって、あそこのトンネルからの下り坂を、時速140キロで、飛び降りるように走ったんだから。
とにかく男の子が興奮しちゃって、私が運転代わるっていうのに。
いや、大丈夫、大丈夫とか繰り返しながら、ハンドルにしがみつくように運転してるの。
そりゃぜんぜん大丈夫じゃないって」
それから彼女は意味ありげにこちらを見た。
「男って、ああいうのに本当に弱いのね。
後部座席にいた奴が、いきなり大声で般若心経を唱えだしたのには驚いた。
友達はそういう時、結構騒ぐタイプなんだけど。もう発進してからすぐに「はんにゃー」と始めるから、友達もタイミングを外されたっていうか。もう私もしらけちゃって」
「あ、わたしも般若心経やれます」
「なんでやねん?」
「うちの高校、校則違反したら写経だったから」
「写経?」
「そう。お茶したりしてるのがばれたら、三回書かないといけないの」
キリスト系だけでなく、仏教系有名私学もあるという知識は持っていたが、般若心経までやるとは知らなかった。
「で、後になって般若心経やった奴がいうんだ。
あの時俺が霊をお経で退けたから無事に帰ることができたんだ、とかね。
そんなことあるわけないのにね」
そういって主任は立ち上がった。
「ところで、あんたの学校、ひょとして夏に京都の寺で合宿してへんかった?」
「うん」
「いややわ。あんた妹とおんなし学校や」
そういって二人もなにやらはなしながら、弁当を片づけはじめた。
気が付くと、部屋に人が戻り始めていた。
あと十分ほどで午後の仕事が始まる時間だった。
「まあ君もどっちかというと、頼りないから、できるだけクルマは運転しない方がいいかもね」
主任はそういって自分の席へ戻っていった。
話はそれで自然にお終いとなった。
その日、帰りの列車から霊がでるというトンネルをみようと思っていたが、思いだしたときにはすでに列車は通り過ぎてしまっていた。
そして、いま、今日の昼の話を想い出しながら、この文章を書いているのだが。
自分が普通だと思っている世界が、はたしてどこまで他人と同じなのだろうか?
そして霊や妖怪のいる、不思議の世界を自分はみることができるのか?
など文章をひねり出しながらいまも考えるのだが、結論らしきものは出てくる気配はなかった。
(実際不毛な思考であるのは自分でもわかっている)
でもとりあえずなにか締めくくる言葉が、文章にはあった方がいいのだが、なんとなく今回に限っては思いつかない。
なんか書くことを忘れているような気もしないではないが、とりあえずここまでとする。