新作日本昔話・やまのくらっち

黒川[師団付撮影班]憲昭

 むかしむかし。
 あるところに人外協を名乗る、知恵と勇気にあふれた若者達がおったそうな。
 若者達は毎年11月になると、山に分け入り、杉で出来た薪に火を付けてダイオキシンを吸い込み、アルコールを二千円分も飲み干したうえ、大声で歌のようなものを怒鳴り散らす修行をしておりました。
 そのような寒い時期に山に籠もるのは、一日だけとはいえ、他の人々が避けるほど辛いことでした。幸い、山の麓には昔から薬効があり霊験あらたかな山中温泉があり。山にゆく前にそこの湯で禊ぎをするのを恒例にしていたそうな。
 さて、この若者達が誰もが勇敢で知略にとんだ者であったというのは、先程も申しましたが。中には勇敢の“度が過ぎる”者がいたのもまた確かなことです。
 それは道中の中頃、賤ヶ岳インターチェンジでのことでした。
 若者の内、近江の国より西方に住まう者どもが、この地で落ち合うのはいつものことで、これまでの消息と無事を喜び、旧交を温めあう内に一人の者がこんなことをいいはじめました。
「おい、話によると君はたいそうきれいな自動車免許を持っているということだが」
同乗者に訊きました。
「確かに、私の免許は一点の点数も欠けていない、金色かーどですが」
「それならひとつ俺に変わってハンドルを握ってみないか」
 いわれた者は驚いて訊ねました。
「いえいえ、刃こぼれのない刀はお飾りの証拠、ということば通り、免許を取っていらい、あまり運転をしたことがないから金色なのです」
 しかも、とさらに不吉な言葉をいい足します。
「私が免許を取った時には、まだ全ての教習車にクラッチがついていて、やむおえずその車を使ったのですが。それ以来、クラッチの付いた自動車を運転したことがありません」
 免許を取ってから、ことしで干支が一巡する程の年月が経った、とも付け加えました。
 普通の者ならば、これだけ不吉なことばかり続けられると、後込みして、諦めるのですが。いいだしたものは優しげな見かけとは違い、驚くほど剛胆な者であったので。全て笑い飛ばしてこういいました。
「なあに、AT限定免許じゃないなら、運転しても大丈夫。乗っているうちに慣れてくるさ」
 そういって、人からまちゅあと呼ばれる若者は、黒川にキーを手渡しました。
「まちゅあさんと私が事故死するのは仕方がないとしても、後ろに乗っている磯崎さんが巻き添えというのは浮かばれないですよ」
 あくまでも自分の身が可愛い黒川は尻ごみします。けれども。
「面白いから大丈夫よ」
 と磯崎さんは笑いました。磯崎さんもまた勇敢なひとでした。
 黒川はいっそのこと他の若者の自動車に、乗り換えさせてもらおうかと思いましたが、そんな面白くないことを許すほど、若者達は大人ではありません。
 そして、まちゅあは黒川を運転席に乗せると。
「さあ、いってみようか」
 といいました。
 インターチェンジの駐車場を出るまでに、二回ほどエンストしてから、自動車は北陸道を走りはじめました。

 いま自動車を運転している人でも、クラッチ、というものを知らないという方は、とても多いと思います。
 クラッチで自動車教習を受けたものでも、その機能については良くわからないのがほとんどで、「2速発進は検定中止」などの呪文を唱えながら公道にでていたのですから無理もありません。
 このほかクラッチに関しては。
 クラッチを急に繋ぐとエンジンが止まる。
 坂道でクラッチを繋がないと後ろに下がる。
 クラッチを入れてもがくがく進む。
 エンジンブレーキは使ったことがない。
 半クラッチはたいてい踏み過ぎか離しすぎだ。
 赤子とバオバオ吹かす奴に近寄るな。
 などの呪文が現代も残っていますが、それが何を意味しているのかは、ほとんどわからなくなってしまいました。
 けれども、これだけたくさんの言葉が残っているところからしても、クラッチがどれだけやっかいで怖いものであったのか想像がつきます。

 さて、黒川の運転する自動車は意外なことに、高速道路を順調に走ってゆきました。
 これは、別に不思議でもなにもなく、高速道路は混んでいない限りは、ずっとギアをトップに入れたまま走って行けるからです。
 アクセルと、ブレーキだけでならAT車と変わりがないので、いつもの調子で運転してゆくことができたのでした。
 安心感と軽い失望感が車内に広がる中。インターを出て直後の渋滞で、真後ろのRVがさりげなく車間距離をとったのを三人はきれいさっぱい忘れてしまったておりました。
 そして自動車は福井ICを過ぎて、一路、中山ICへ向かって走り続けました。

 ここで、クラッチが起こす最大の恐怖について、お話ししようと思います。
 交差点などで停車中、ギアがドライブに入っているとき、ブレーキを離すと何が起こるでしょうか?
 車が前に進むと答えた人は、AT車に乗っているひとです。
 エンジンがストップして、なおかつそこが上り坂なら、車が後ろに下がるのです。

 停止したら、ニュートラル。
 発進の時は、ローギアー。
 上り坂は受験者泣かせ。
 サイドブレーキ、命の綱よ。
 エンスト一つで車は下がる。
 エンスト一つで試験が終わる。
 (葛城自動車学校近辺に伝わる子守歌より抜粋)

 山中ICから、山中温泉までは、山深く分け入る上り坂でした。
 料金所のゲートでエンストしたのを皮切りに、そこから先の道路では、難行苦行の連続でした。
 待ってくれている先行車に追いつこうとしてエンストする。
 交差点の真ん中でがくがくと動く。
 信号が変わって発進できない。
 サードとトップを間違える。
 後ろの車からクラクションをたびたび浴びる。
 後ろの車が車間距離をとるためバックする。
 下校中の児童に避けられる。
 車がエンストしてバックする。
 犬に吠えられてバックする。
 などなど。
 それはもう、空いている一般道とは思えないような、トラブル続きでありました。
 そして、先行した若者達が、とうに山中温泉で汗を流しながら、自動車保険について話し合っているころ自動車はついに動かなくなりました。
 事故や故障のせいではありまん。
 山中温泉町内にある、細い上り坂の交差点に捕まってしまったからです。
 黒川は、信号が変わった瞬間、半クラッチにして、サイドブレーキを押し込んだ……、つもりでした。
 しかし、なんということでしょう。
 自動車はエンストして、ずりずりと後ろに下がり、あわててブレーキを踏みます。
 その間に信号は赤になりました。
 なぜか、真後ろにいたくるまが、そそくさとバックするのがバックミラーの中に見えます。
 また、信号が変わりました。
 しかし今度はいくらアクセルを踏み込んでも、一向に前に進む気配がありません。
 ギアがニュートラルだったからです。
 あわてて、ギアをローに押し込むとまたエンストしました。
 ズリズリと後ろに下がります。
 さすがに勇敢なまちゅあも顔色を変えました。黒川の顔は青を通り越して、土気色になっています。
「運転をかわろう」
 互いにいうと、運転席と助手席のドアが同時に開きました。
 とたんに後ろの乗用車で、おばさん達の地獄の様な馬鹿笑いが破裂しましたとさ。

「ユニバーサルスタジオの乗り物よりも、スリルがあって面白かった」
 と後に磯崎さんは語ったそうです。彼女の勇敢さには頭が下がります。
 這々の体で、山中温泉に到着したとき。
 先行した若者達は、これまで参列した葬式の善し悪しについて、語り合っておりました。
 そして、まちゅあに続いて黒川が温泉に入ってきたとき、ティーシャツを指さして異口同音にいいました。
「その汗はいったいどうしたのだ」
 みるとシャツは10月末だというのに、汗でぐっしょりと濡れています。
 黒川は土気色の顔で。
「悪い汗をかいたから」
 とぽつりともらしました。
 再起不能にみえたのですが、そこは霊験あらたかな山中温泉のこと、湯につかっているうちに、悪い汗はすべて流れてしまったそうな。



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