見聞録のクリスマス

黒川[師団付撮影班]憲昭

 まず初めに。
 見聞録は人外協の隊員を読者としているのはいうまでもないが(えっ!? 知らなかったって?)、今回はさらにその読者層を絞るつもりだ。
 想定しているのは。
 この週末の三連休、家族や恋人と過ごす予定がない人。
 皆が休むときに“あえて”働きたがるワーカーホリック。
 この時季ことさらに無神論を唱える者。
 本人は平気なつもりなのだが、なぜか周辺に哀愁を感じさせるロンリーウルフ。
 もっと具体的にいえば、連休中もエアコンの生産ラインでバイトをしながら、クリスマスなんて犬に喰わせろと毒づいている、著者とよく似た境遇のひとに、読んで欲しい。

 昨日のことだ。
 冬は寒いのは当たり前だが日付が変わる間際に、しらふのままホームの端で、列車を待っているときにはさらに身に染みる。
 MA−1のポケットに突っ込んだままの軍手をはめると、少しは暖かくなったが、潤滑油の臭いがさらに気分をめいらせた。
 唐突に、さっきから隣で顔の赤い、額に油の浮いた中年親父が、機嫌良くやっている鼻歌が気にさわった。
「ハッピィー・クリスマスなんてクソくらえ」
 口の中で呟く。
 すると、War is over.というサビの部分で鼻歌が止まった。
 聞こえたかなと思ってから、うつむいた視線が何となく、汚れた靴の先で止まった。
(こいつでどてっ腹を蹴り上げてやったら、どうなるかな?)
 つま先に鋼鉄の入った安全靴。ちょっと面白いことになるかもしれない。
 それと軍手を取り出すとき、ポケットの中にダイスがあるのに気が付いていた。使ったあと入れっぱなしで、そのまま持ってきてしまったらしい。
 握り込むのにちょうど良い重さと、大きさだった。
「ねえ、にいちゃん」
 中年親父がいった。
 ポケットのなかで、軍手が合金の固まりを握った。
「メーリークリスマス!」
 、…………。
 温度の上がりだした体が一気に冷えた。
「いやあ、今年もいいクリスマスが迎えられそうで、よかったよかった」
 こっちの様子には関係なく、一方的に、嬉しそうに話しだした。
 また、ホームに入ってきた風が、ひどく冷たくてさらに肩をまるめた。
「あんた、クリスマスは予定あるんやろ」
「仕事」
「そうか。わしとおんなしや。稼ぎどきやからしっかり稼がんとあかんわ」
 中年親父のアルコールと、ニンニクの香りのする息を嗅ぎながら、早く列車がくることを願った。
「来年はエエ年になりそうや」
「はあ」
「タイガースはあの辛気くさいおっさんが監督辞めて、万々歳や」
「つぎも駄目でしょ」
「戦争もはやく終わってホンマによかった」
「またテロだな」
 俺は余計な話をしたくない、というのを理解してくれたのか、ようやく中年親父は黙った。
 目の前を特急が通過していった。一瞬みえた満席の車両は、明るく、にぎやかで、暖かそうだ。
「にいちゃんこんな言葉知ってるか?」
 どうやら中年親父はまだ諦めていないようだった。
「闇は夜明け前が一番暗い、ゆうてな」
「共産主義は前世紀にこけた」
 つまり、万国の労働者は今世紀も搾取され続けることが、決定しているわけだ。
 この秋ごろから、アルバイトを探すのがかなり難しくなってきた。最近では、アルバイトの面接にスーツ姿の人間がいても場違いだとは思わない。
 状況は年があけたら、良くなるどころか、さらに悪化するのはまず間違いないところだろう。
 ため息がもれた。

 バン。

「ッはあ?」
 いきなり背中をどやされた。
 驚いて振り向く。
「ひひひひひひ。
 元気をだせ、青年。未来はあかるい、あかるい」
 植木等のような口調で親父はいった。
「どこがあかるいねん。口からでまかせいうとったら、どつくぞコラ」
「おお、元気になった。その調子でいってみよう!!」
 アッハハハハハハ。
「あんた、なんでそんなに明るいんだ?」
「それはいまがクリスマスだからだ!!!」
 なんだそりゃ。
「ひょっとすると、青年よ。なんでクリスマスがめでたいか、その本当の理由はしらないようだな」
「キリストの誕生日だからだろ。俺は仏教徒だから関係ない」
「そりゃ表向きの理由だ」
「?」
「クリスマスがなぜめでたいか? そしてなぜワシがこんなに明るいか? 知りたいだろう、青年よ」
「すいません。やっぱり結構です」
 あっ、そう? ほんとにいいの? とかぶつぶついっていたが、無視することにした。実際、この手のノリについていくのは苦手だ。
「まあ、それはこっちにおいといて」
 いうまでもないがチェスチャーつきだ。
「来年はよい年になる」
 だから、なんでやねん。
「なぜなら、今年以上に悪いことは間違いなく起きないからだ」
 ほんとうに、ほんとにそうなのか?
「その目は、疑っているな? だったら来年どんな悪いことが起きると思う?」
 いろいろあるだろ。たとえば王大尉が中華機甲師団を指揮して攻めてくるとか。
 ……。これだけは絶対にないか。
 正面から問われると、急には思いつかなかった。
「思いつかないだろう、青年よ。2001年はどん底の年だったんや」
 そうか、今年はどん底か。どうりでなにもかもうまくいかなかったはずだ。
 なんか、妙に納得してしまった。
「黙っていても年は明けるんやから、あとは良くなるしかない!!」
 いわれたらそんな気もしないではないな。
「にいさんは若いからわからんやろうけど、人間、どん底に居続けられるほど強くはないもんや」
「強くない、ですか」
「そう。
 死ぬ奴はどん底にいくまでに死んどる」
 これまでの少ない人生経験からもその言葉にはうなづけた。
「青年よ。くちはばったいようだが、お互い生きてるんやからええとせな。それ以上は、またあとでしたらどないや」
 なにかいおうとしたとき、ホームに普通列車が入ってきた。
「おお、ようやっときたか。にいさんは?」
「次の快速です」
「そうか、じゃあメリー・クリスマス!」
 そういって、中年親父は列車にのっていってしまった。
 遠ざかってゆく、ライトを見送りながら、口に出していった。
「変な親父」
 もっとも、凶器を使って見ず知らずの他人をぶん殴ろうとした奴もどうかしてるが。
 クリスマスか。
 実をいうと、馬小屋で大工の息子が生まれた、本当の日付はわかっていない。さらに生まれた年も西暦0年より十年ほど前だ。
 でも、長い一年の終わりに、こんな時があってもよいのかもしれない。
 クリスマスは懐旧と希望の季節。
 クリスマスは和解と友好の日。
 クリスマスは愛と平和の始まり。
 そしてクリスマスには世界中がすべての善きものを讃える。
「確かに悪くはないな」
 口に出していってみると、なんとなく楽しい気分になった。
 吐く息が白い。
 気が付けば、レールの上にも白いものが舞っていた。
 見上げると、暗い空から雪が落ちてきていた。
 駅員のアナウンスとともに、快速列車がやってきた。これでようやく寒さからも開放される。
 ドアが開いて、列車に乗り込むとき、ふとなにか忘れ物をしたような気がした。
 そういえばいうのを忘れていた。
 でも、あの人は許してくれるだろう。だってもうすぐクリスマスがやってくるのだから。
 では、こんどは忘れないうちに、見聞録を読んでくれたあなたに。

 メリー・クリスマス!
 そして良いお年をお迎えください。



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