王子様とわたし

黒川[師団付撮影班]憲昭

「あのー、ちょっとお聞きしたいことがあるんですが。お時間宜しいでしょうか?」
 入浴中にかかってくる電話にはろくなものがない。
 閑を持て余した「天下ごめんの浪人者」にも、邪魔されたくない時間というのは存在するのだ。
「えー、先物取引や、ゴルフ会員権に興味はありますが、ただいまのところ、預金と定職がありませんのであしからず」
 そういって電話を切ろうとした。
「あのー、違うんです。わたしNさんのご紹介で電話させてもらった者なのですけど」
 ひねりのない、テレホン・セールスのマニュアルどおりのセリフだったが、“Nさん”というところでひっかかった。
「えっと、間違っていたらすいませんが、Nというのはビールに七味唐辛子をいれて飲む、おかしな奴のことでしょうか」
「そうです、隙をみせると他人のグラスに、芥子を入れようとする、あのNの野郎っす」
 受話器の向こうの声がなれなれしくなった。
「はあ、ということはセールスじゃないですね」
「そりゃそうですよ、Nの友達にセールスかけるようになったらおわりっしょ」
 あははははは。
 明るく笑いあった。
 そのまま、電話を切ってやろうと思ったが、Nの友人なら性懲りもなく、再度電話をかけてくるだろう。しかも今度はトイレにいるときに。
 諦めて相手をすることにした。
「で、聞きたいことというのは」
「えっと、ちょっと変なことなんですが。こういうことはそちらがご専門ということをNからお聞きしまして。
 えっと、ほんとに変なことなんですが、ほんとに大丈夫っすか?」
 なんだかなあ。
 聞きようによってはこれほど失礼ないいぐさもないし、いったい俺はなんのご専門だと思われているのだろう。
「赤ちゃんがどこからくるかとか、その手の質問じゃないですよね」
「なにいってんですかいったい」
「いやー。自分のご専門というやつがいまひとつ、よくわからなくて」
「えっと、あなたSFさんですよね?」
 電話の向こうの声が不安そうに訊ねた。
 しかし、いうにことかいたとはいえ"SFさん"ときたもんだ。
「えっと、そちらSFとか、UFOとかそういうのが専門だと聞いていたんですが、なにか間違えてましたか」
 こちらの沈黙をフォローしようとしているのだろうが、さらに傷口が深まった。
「いわれればそうですが……」
「そうなんですよ。そんな変な話なんすよ。俺も聞いたときほんとに驚いちゃって。それで、Nに相談したんですけどね」
 なんでえ、隣に宇宙人でも引っ越してきて、ソバでも持ってきたというのか。だったら有り難く喰っておいたらいい。
「えっと、実をいうと俺、王子様だったんです」
 受話器を放り出した。よっぽど風呂に入り直そうと思ったが、なにせNの連れだというのだから、懲りないタイプの人間であるのは目に見えていた。
 Good grief.
 呟いて受話器を拾い上げた。
「すいません、家の猫が電話機を落っことしまして」
「いえいえ、家もハムスター飼ってますんで気にしないで下さい」
「ところで、質問の件なのですが」
「そうそう、俺が王子様だっていうのはいいましたよね。変な話でしょう。俺もこのまえ初めてきいた時にはびっくりしちゃって」
「わかります。それでどのような問題が起こっておられるのか、具体的にお願いします」
 できるだけ皮肉な口調で訊ねてみた。
「良かった、実を言うと、本気にしてもらえるか不安だったんですけど、さすがご専門は違いますね」 さきほどの見込み道理懲りない奴のようだった。さすがはNの友人だ。
「えっと、まだ具体的な問題は起こっていないんですが。なんていうか心構えとか、やっておくべきこととかそんなもんでお願いします」
 心構えにやっておくこと、ときたもんだ。
 着替え、寝間着、タオル。あとは病棟で退屈しないように電話帳でも用意しとけ。普通ならばそういうところだが、なんとなく興味が湧いてきたの別のことをいった。
「王子様というと、どこかの国の跡継ぎと考えてよろしいでしょうか?」
「えっと、まだ跡継ぎと決まった訳ではないんですが、王様が年寄りなんで、もしかすると近いうちに"A国"を継がなきゃならないかもしれないんで、そうなったときの用心です」
 いよいよ話がおかしくなってきた。
 ニューヨークで起こった事件をきっかけに、このところ毎日のように耳にする"A国"関連の相談事を持ちかけられるとは、思わなかった。
「えっと、実をいうと親父の父親、おれからみて爺さんにあたる人は、これまで戦争で死んだって聞いていたんですよ。
 それが、実をいうといまも生きてきて、それがニュースにでている"A国"の元王様だって、ばあさんが親戚にいってるらしいんですよ」
 そういえば、いまアメリカと戦争をしている"A国"の現政権が崩壊したあかつきには、昔の革命で亡命する羽目になった王様を担ぎ出して頭にすえる、という報道を聞いたことがある。
 元王様、しかも九十歳近い高齢者をわざわざ引っぱり出す、というのにいささか疑問を感じたといわざるえないが、はっきりいって芸能人の結婚以上の興味は持っていなかった。
 突然、新たな疑問が湧いた。
「あの、元国王がおじいさんなんですよね」
「えっと、まあそんなところです」
「そうなると、王子様というのは、あなたのお父さんであって、あなたは皇太孫ではないんですか?」
「いやあ、うちの親父が王子様なんて、馬鹿いわないでくださいよ」
 馬鹿いってるのはそっちだ。
 我が国の皇太子がいったい何歳か教えてやろうと思ったが、それより先に相手が口を開いた。
「えっと、馬鹿なんていってすいません。そういえばそんな話になったんだ。さすがご専門だけあって鋭いしてきですね。うん、Nの友達にも凄い人がいるもんだ。マジで感激してます」
 そりゃどうも。
 こんなことで感激してもらえるなら、多いに結構。俺もあんたにひどく感心しているよ。
 腹の中で罵声をあげながら、先を促した。
「最初、親戚から話が来たときに母ちゃんがあんたが王子様だよって、ひっくり返って笑たんで、親父気を悪くしちゃって。そんでもって、そんなややこしい国はいらねえ。だいいち俺は仕事が忙しいから、そんな遠くまでいってる閑なんかない。
 健、おまえ仕事辞めてぶらぶらしてるんだから、いって王様でも王子様でもやらせてもらえ、ということで俺が王子様ってことになったんです」
 ぶらぶらしてるから王子様をやる……。
 まるで左前になった商店街で、古道具屋を継ぐんじゃあないんだから……。
「えっと、俺もはっきりいって最初は乗り気じゃあなかったんっす。なんかあそこらへんややこしいみたいだし」
 そりゃ、ややこしいといわれれば、あそこくらいややこしいところは世界でもあんまりないだろう。
「でもね、俺、高校時代から付き合ってる彼女がいて、これがね、あそこで困ってるひとが大勢いるから人助けと思っていってみたらどうか、っていうもんですからだんだん乗り気になってきまして」
「彼女、いい人ですね」
「えっと、わかりますか。それで彼女、なんなら一緒に付いていってもいい、といってくれてるんす」
 話をきいているうちに、だんだん状況がわかってきた。そして共通の友人、Nがなぜこんな奴をうちに振ってきたのかもだ。
「ところで、王子様の心構えについて、専門の立場から少々アドバイスをしてよろしいでしょうか」
「えっと、待って下さい。いまメモを……。あった、はいどうぞ宜しくお願いします」
「まず、テレビでも報道されている通り、向こうは米軍の空爆で焼け野原になっています」
「ええひどい話です」
「なので、向こうに行くときには、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、たんす、などの家財道具をもってゆく必要があります」
「それは王宮に用意されてるんじゃ……」
「全部焼けました。というわけで、当初は自腹でやらなければいけません」
「あの、国連とかの援助は」
「まったくあてになりません。とかく家うつりはものいりなので、しばらくNの店で働いて貯金する」
「はい」
「王子様が甲斐性をみせてれば、国民もついてくるはずなので、とにかくがんばって下さい」
「わかりました。ありがとうございます」
 というわけで専門としてアドバイスを終え、有無をいわずに電話を切った。
 危なかった。
 もう少し話が長引いたら、顧問とかろくでもないことを引き受けさせられただろう。
 なによりも、その前に湯冷めして風邪をひくところであった。



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