渋滞の向こうに

黒川[師団付撮影班]憲昭

「ニホンは印度になってしました」
 ラジオのお天気お姉さんが淡々といった。
 暑さで耳がおかしくなったとおもったら。
「今週一週間の平均気温は、香港を上回り、ニューデリーとほぼ同じです」
 おかしくなったのはニホンの気候の方らしい。ぎっしりと並んだクルマの列からの照り返しで、道路の脇はタール砂漠より暑かった。
 信号が青に変り、渋滞の列がワゴンR一台分動いて、止まった。
「越前までは何マイル」
 京滋バイパスの入口、巨椋ICまで5キロの国道24号線の路肩で熱射病ならぬ、オーバーヒートでくたばった、借り物のミラを眺めながら呟く。
「ロウソク灯していけますか?」
 また信号が変わった、が、今度はハイエース半分ほどしか列が動かなかった。
「だめだこりゃ」
 海の日の連休を利用したキャンプ&ダイビングは、後半の方をキャンセルしなければならない。
 たぶん今頃、大津あたりを走っているはずの、MSG隊長のクルマへ携帯をかけた。走行中なので電波が通じるかどうか一抹の不安がよぎったが。
「もしもし、コノタンのパパでしゅ」
 ドコモの性能を過小評価していたようだ。
「なんだ黒川君かどないしたん。あ、エンコしとるんや。いま何処? 京都入ったとこくらい?
 うちらとあまりかわらへんやん」
 はあ? いまなんていいました?
「なんでって。名神で事故があってん。吹田から渋滞で、うちとことは京都南で下に降りた。大井さんも降りるいうてる。
 いまどこかって? 清水寺? 違う、五条? そうや曲がれへんかったやろ、のぞみ。あ、いま方向転換できるところ探してるから。
 あっ、コ、コノタンそれは駄目でしゅよ」
 どうやら取り込んでいるようなので、いったん切って、大井さんにかけてみた。
「大井です。あ、黒川君か。まだ高速。桂川のちょうど上。MSGは大分前に、左の車線から追い抜いていった。俺も降りようと思うんだけど、詰まってて、車線をかわれない。でも、もうすぐ降りられそうなんで。ダイビングの予約? 初代がやってるから。うん、そっちに連絡おねがいしまーす」
 どうやって、MSG車が大井車を抜いていったのかよくわからなかったが、とりあえず名神は京都南付近で大渋滞のようだった。
 で、初代のクルマを呼び出してみる。
「はい。ああ、黒川君」
 礼子さんがでた。
「ひどい渋滞なの。いま初代に代わるね」
「いまどこや」
 不機嫌な声がいった。
 ミラが熱中症になったので、国道の上で休ませている旨を告げると、少し機嫌が良くなった。だが、MSG車が京都市街地を抜けそうだと告げたとたん、前よりも機嫌が悪くなった。
「あんなあ、カーリーさんには昨日から家に泊まってもらって。君やMSG、大井さんよりも早く出発したんや。そやのに、なんでわしらはまだ京都におらんとあかんねん?」
「それはやっぱり日頃の」
 電話のスピーカーから、ベンガル虎も逃げ出すような殺気が伝わった。
「たべごろ、笑いごろ。お茶の間に花咲くザッツ・エンターテイメント。ここは左で押さえは岡島だからホームランでしょう」
「おのれは、いしいひさいちのキャラクターか」
 携帯が放り投げられるような音がした。
「もしもし、黒川君?」
 すぐにカーリーさんの声がした。こちらはいつもどおり落ち着いた声であった。
「京都南インターが過ぎちゃったんで、俺達はこのまま行くしかないけど。ところで、名神の事故についてラジオでどんな風にいってる?」
 ラジオの交通情報では、名神の渋滞について聞いていなかった。その旨を伝えると、しばらく沈黙してから。
「ねえ、これからちょっと注意してラジオを聞いてくれるかな」
「?」
「それと、できたら定期的に連絡いれてほしいんだけど。いいかな?」
「はい、それはかまわないですけど?」
「じゃあ、よろしく」
 携帯が切れた。
 大阪・神戸組は皆苦戦中らしい。
 また国道24号線の信号が代わって、今度はトレーラー一台分、動いた。もっとも残念ながら、牽引している荷台には一杯に幌がかかっていて、ミラを載せられるスペースはなかったが。
 話している間に、なんとか立ち直ったミラを渋滞の列に復帰させた。
 たが、あまり元気とは言い難い状態なので、クーラーを切って、窓を全開にして、排気ガスを堪能しながらの運転だった。
 さー、まー、たーいむ〜。
 着メロが鳴った。
「はい、黒川です」
「なんか、名神の事故について新しい情報ある?」
 カーリーさんだった。
「いえ。大津を先頭に40キロ近い渋滞としか、いまのところいっていません」
「そう。こっちもPHSからネットに入って検索してるんだけど、道路情報のホームページにもなんにもあがってないね」
「道路公団はさぼってますね」
「いや、たぶんそういうことではないと思うんだ」
「休日で休みとか」
「もう少し考えてからいった方がいいよ」
「すんません」
「まあ、ともかく。ラジオ以外でも、なにか変わったことがあったら知らせてね」
 何か変わったことか。
 それにいったいなにが"変"なのだろう
 通話を着る直前、北東に向かってヘリが編隊を組んで飛んでいった。自衛隊のヘリコプターがそっちへ飛んでいきます。言葉が浮かんだ瞬間小学生並だと思い、自己嫌悪に陥った。
 さー、まー、たーいむ〜。
「MSGでっす。
 現在、京都南ICの入り口まできましたが、高速には上がらず、このまま大津まで下を走りまーす。
 やっぱり日頃からおこないがこういうときにものをいうね。君、もう少しちゃんとせなあかんよ。
 そうそう、大井さんはねえ、京都市内でまた渋滞にひっかかってるみたい。じゃあまた後で」
 “日頃の行い”という奴について大井さんに意見を聞こうと思って携帯をかけようとしたら。
 さー、まー、たーいむ〜。
「はい、黒川です」
「わしや」
「あ、初代。まだ渋滞ですか」
「あのな、ぁ、ぁ、ぃぃ、っぁぅ……ぅ」
 ツー・ツー・ツー・ツー・ツー・ツー・ツー
 突然電話が切れた。
 初代車はトンネルに入ったようだった。
 ようやく渋滞をぬけて、走り出したのだろうか。そう思ってしばらく待っていたが、待てども着メロは鳴らなかった。
 しばらくして、こちらも渋滞の先頭が見えてきたので、走り出す前に、もう一度初代車に乗っているカーリーさんに連絡をいれたが、通じなかった。
 MSG車に連絡を入れたが、話し中。
 大井車に連絡を入れようとしたとき。後ろからパトカーのサイレンが聞こえ、あわてて左側にクルマを寄せた。
 パトカーを先頭に、機動隊のバスが三台、赤色灯を付けた灰色のランドクルーザー、機動隊のバス、黒い覆面パトカー、という隊列がかなりの速度で追い抜き、京滋バイパスを東に走り去った。
 この時初めて、大津の方でなにか尋常でない気配を感じた。そして初代、礼子さん、カーリーさんの乗った車はいままさに、大津直前の道路上にいる。 ラジオのチャンネルを変えて、ニュースを聞こうとしたが、この時間帯にはやっていないようだ。この渋滞の先で、一体何が起こっているのか無性に知りたかった。
 また、自衛隊のヘリが編隊を組んで飛んでいった。
 いいようのない、不安に駆られて携帯に手を伸ばすと同時に。
 さー、まー。
「はい、黒川です」
「MSGや。あんなあ、いまさっき名古屋組から連絡があったんやけど。今日、甲州先生が警察に捕まったそうや」
「警察に、拘束、ですか」
「詳しい事情はわからんのやけど、そういうこと」
「そんな、ネパールみたいな政情不安の国じゃあるまいし。捕まる理由がないじゃないですか」
「理由か。ところでまたく違う話やけど、名神が渋滞してるのは知ってるな」
 全く違うどころではない。それはいま、最も直面したくない事実だった。
「渋滞の理由がわからない、ってカーリーさんがそっちにもいうとったはずや。そっちでもおかしいことはないか?」
 機動隊のバス、上空を飛び交う自衛隊のヘリ、そして路肩に止まっているときに目の前を通ったトレーラーの幌の、異様な形。
 いつの間にか携帯は切れていた。
 そして、前方で赤色の発光棒を持った警官が、車の列を停止させているのが見えた。



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