そこは仮想された一つの部屋。 狭い四畳半、二方の壁には本棚が押し込まれたマンガ・文庫・雑誌、ビデオの重みで変形している(はみ出た物が畳の上に蟻塚のような山を築いているのは言うまでもない)。 押入の障子は外され、上段にはCRTとキーボード、下段では側面が外された古ぼけたタワー筐体が、唸りをあげている。 部屋の中央には布団兼用のコタツが置かれ、その周囲を四人の男達が囲んでいる。 ちなみにクーラーはない。 「肘で触らんといて。気持ち悪い」 「おめえこそ山下清みたいなシャツはやめろ。流れる汗が暑苦しすぎる」 「なんやと、76ersをバカにするんか?」 「だから似合わないんだよ。デブはデブらしく浴衣でも着てろ」 「ふん、ラガーシャツか囚人服かわからんような奴にいわれたくないわ」 「殺すぞ。テメエ」 「やれるもんならやってみい!」 「まあまあ、ふたりとも喧嘩はやめて下さい。今日は緊急会議なんですから」 「小坊のくせに偉そうに」 「いつからそんな口を効けるようになったんや」 「え、ぼ、ぼ、ぼくはただその、ただでさえ見苦しい人同士の争いをみたくないだけでして」 「おい、こいつからしめるか」 「そやな」 「わあ、ごめんなさい。あやまります。いたい、いたい、いたい、耳がちぎれる!!」 「やめんか貴様ら……」 騒ぎが鎮まった。 二人は顔を逸らして壁と天井のしみの観察に戻る。 鬱陶しくシクシク泣く声もやがて消えた。 重苦しい数分の後、午後一時のアリゾナ砂漠のような沈黙が破られた。 「とにかく抜本的な構造改革が必要なのだ」 いつになく真剣な声だった。 それぞれ三様にうなずく。 「いま緊急に、これまでの失われた十年を精算し、自信と誇りを取り戻し、将来に明るい希望をもてるような、骨太な方針が求められている」 「もちろんこれ、牛乳の話ではありません。よね」 がっっっス。 左右からのパンチと、正面からの新明解国語辞典が同時にヒット。 アホがその場にかがみ込んだ。 「まだ若干の余裕が残されているとはいえ、無為無策、加えてここ数ヶ月の収入の途絶により、近い将来に破綻することは必至である」 「もうそろそろ引っ越しのバイトでもするか」 「暑っついのう。どこか涼しいとこでの仕事はないんかいな?」 「バ〜カ。現実を見ろよ。五体満足な身体以外にいったいどんな取り柄があるっていうんだ」 「えっと、たとえば気配りができることとか」 「タコ。おめえは鈴木健二か」 「それ誰もわからんわ」 「うるせえ。俺の青春は窓際のトットちゃんだったんだよ!」 「レディー・ペネロープの声ですね」 「なにゆうてんねんおまえら」 「黙れ。この無能どもめ」 三人の視線が向いた。 心なしかひどく冷ややかだ。 「なんだ、何か文句があるならいってみろ」 「ふん、べつにねえよ」 「いうてどないなるわけでもないし」 「この期に及んで、そのような無責任な発言が出ることこそが問題だ。私は改革を阻もうとする勢力とは断固闘うつもりだぞ」 「あの、少しだけ、いいでしょうか?」 残る全員から睨まれて、一瞬泣き笑いのような顔になって、凍り付いた。 「いいだろう。続けたまえ」 うながされて、セリフをおもいっきりかみながら、話し始めた。 「このところ、この連載は面白くないという認識が、内外でできあがりつつあります」 「いちいちいわれなくても、わかってるよ。ボケ」 「面白かったことが、これまでにあるんか?」 「いい。無視して続けろ」 「30回という節目にあたって、このさい脳内を司る各人格が、連載建て直しのため、人生設計を含めた抜本的な見直しが必要だという認識で一致し。今回代表として僕らが集まったわけです」 「そやから、わたしらが無能ゆうのは、そのままあんたが無脳ちゅうことになるわけや。」 「まず、役割をはっきりさせましょう。 僕は主として外部に現れる人格で、この連載でもおなじみのものですね」 「わたしは格好良くいうたらユーモア担当。ちゃちゃいれるんが仕事や。そやけどタダでさえひ弱なのに、このごろはいろいろあってかなり疲れとる、いうんがホンマのところで」 「私が各人格を統合して、文章化する、エッセイスト。理想としては、いや……」 突然、俺が立ち上がった。 「その"……"が、てめえの弱さなんだよ。小説も書かずに小説家、海に潜らずにダイバー、税金を納めないのに社会人、こいつらのいったいどこらへんがちがうんだよお!!!」 「お、落ち着いて下さい。お願いします」 「そやそや。冷静に。内ゲバやっても得にはならんでえ。ほら、深呼吸、深呼吸」 「ゼハ、ゼハ、ゼハ。そういえば俺がまだだな。でも俺は俺だ。以上」 「時たま僕のタガが外れかけて、妙に座った目で睨む時の人ですね」 「危ないやっちゃでえ。わたしが止めたらんと誰でもかまわずブスっといくんと思う」 「それは俺じゃねえ。間違うな。僕のタガが外れるんじゃなくて、僕が小坊だから光り物を振り回したがるんだよ」 僕はなにかいおうとして、泣き笑いのような顔をして、黙った。 「じゃあ、あんたはどなたさんで?」 「いちいちうるせえな、未熟者。おれはこれまであえて意識しようとしなかった、怒ってるヤンキーだ。時たま現れて、ちゃぶ台をひっくり返す」 「あんましかわらへんやん」 ハハハ、と三人はなげやりに笑った。 「私はこれからどうすればいいのだろうか?」 笑わなかったひとりが呟いた。 「わかりません」 「知るか」 「勝手にしいや」 同じ脳の中に同居する人格とは思えないような、冷淡な声が、即座に返ってきた。 そして半分泣き声で。 「元はといえば、あなたが全ての元凶であって、あなたさえいなければ、僕はここにはいなかった」 ばちん。 どげし。 ごす、ばき、どげ、がちん。 遠慮のない掌底と、ヤクザ蹴りが続け様に叩き込まれた。 「われは世界の王様か? このヘタレ」 「こんどボケたら埋めるぞ! ボンクラ」 僕はタガ外れる前に、完璧に意識を外されてしまったようだった。 「おい、そいつから先に片づけてしまう気か?」 「殺すつもりならバットかゴルフクラブを使う」 「トラックで轢いてまう方が、楽やし確実やで」 私は部屋の中を見回して、バット、ゴルフクラブ、そしてトラックがないことを確認した。 「馬鹿には口でいうよりも、身体で教える方がてっとりばやい。で、さっきはなんていったっけ」 どうやら質問が不適切だったようだ。 「訂正する。この連載をこれからどう進めたらいいのだろうか」 「そりゃ、いまさらいわんでも。これまで通り続けるしかないわな」 「しかし、それが限界にきていて……」 「その"……"が余計なんだ。逃げんな。腰抜け」 「連載のタイトルをなんで途中で変えたんや?」 「それはネタが無くなってしかたなく、外へ捜しにいくことにしたんで」 「じゃあ、そうしたらええがな」 「でもどこへいけばいいのだろう?」 「それこそ外へ聞きにいけよ。あんた、もうちょっと俺ら以外の、他人の言うことを素直に聞いた方がいいぜ」 「それはこっちで、のびとる奴にもいわんとあかんこっちゃな」 「いっても無駄だ。その都度身体で覚えてもらうことにしようや、面倒だけどな」 「しんどいな、それ」 「あんたもう少し体を鍛えた方がいいぜ」 「最後にひとつだけ聞いてもいいですか?」 「なんだ小坊? 生き返ったか。俺がなんで突然表に出たかだろ。俺はこれまで何度も殺された。でも時間が経てば復活するんだ。前回はこっぴどくやられて、少し回復に時間がかかったけどな」 「でも気を付けて下さい、もう歳なんですから、次も還ってこれるかどうかはわかりませんよ。僕はイヤだけど、あなたがいないと、ここはうまくいかないみたいだ」 「いらんお節介アリガトよ。だがそれも俺=僕=わたし=私、次第だぜ」 「とりあえず方針は外へ出る、ですね」 「どや、手始めに飯でも喰いにいこか」 閉ざされていた仮想された部屋のドアが開く。