マッスル・キングダム滞在記

黒川[師団付撮影班]憲昭

 二十世紀最後の年、最後の月。
 俺はその地にたどり着いた。
 なぜこの国に来たか?
 それは「血潮の息吹が叫んでいた」からだった!!!
(ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……)
 濃血と脈打ちつづける心臓が、この“俺を”動かしたのだ!!!
(ズッゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……)

 これを、もう少し冷静かつ科学的に説明すると。
 話は去年の11月に遡る。
 体育の日の前にやらされた、身体検査と血液検査が送られてきた。
「コレステロールと尿酸値が高い」
「血圧の下が90以上」
 というあまりに身も蓋もない事実をつきつけられて、おもわず動揺したというのがスポーツ・キングダム、つまりスポーツジムへゆく発端だった。
 検査結果告げられた夜。
 呆然と天を仰ぎつつ。
「ああ、これぞ21世紀の先進国におけるおとこ運命さだめ
 と人知れず慟哭したものだった。
 が、
 いくら15ポイント・ゴシック体で熱く語りながら、太い涙をうん十リットル流しても、血圧は下がらないし、コレステロールも下がらない。
 夜が明けてから、改めて診断書をみると末尾に、ありきたりの定型文が印刷されているのを、発見してしまったりする。
 いわく、
『あなたの体重XXキログラムは太りすぎです。ふだんからもっと歩くようにしましょう。
 食生活では「肉」の量が多すぎますので減らして下さい。野菜を多く摂るよう心がけましょう。
 食生活では「卵」の量が多すぎます。将来リュウマチにかかる可能性が高いので、減らして下さい。
 あなたは、心筋梗塞になる可能性が高いので、注意して下さい』
 あまりに、ありふれた文句なので、にわかに自分に当てはまるような気がかえってしなかったが、現実とはえてしてそういうものだ。
 もうそろそろ、認めなければならないだろう。
 自分が“中年”とよばれる世代になったこと。
 さらにこれから先には“動脈硬化”、“糖尿病”などのいわゆる“成人病”が待ち受けているということを。
 そういえばここ数年「ジャンプ」は読んでいないわりには、「キン肉マンU世」の粗筋を知っていたりする今日この頃だったりした。
 その日の夜。
 風呂上がりに体重計に乗ってから、つくづくとべったり、ねっとり、がっちりと我が腰に巻いた脂身を見ながら考えた。
(痩せた方がいいかもしれないな)

 食生活を見直してみると。
 昼飯はフライ定食系がおおい、ついでにカツ丼も定番メニューだ。
 固ゆでタマゴやイクラ、ウニは大好物だった。
 生のレタスはウサギのために残すべきだと信じていた。むろん生のセロリも含まれる。
 さらに、金曜の夜、探偵ナイトスクープをみながら「アホやないかこいつら」といいがらビールを飲むのが好きだ。
 ビールのつまみは、かわきものより、ヱーズかできればサラミが良かった。
 最近はデフレスパイラルに直撃された、日本経済の数少ない恩恵である、マクドナルド、松屋も喜んで利用している。
 骨が溶けると脅されて以来、砂糖の入った清涼飲料水は避けているが、かわりにアルコールの入った炭酸飲料を飲んでいるので、冷静に考えるとあまり効果がないように思えた。
 しかしながら。
「美味い物を食べられないのなら、死んだ方がましだ」
 といえるくらいには、まだ体が丈夫であるのが難点だった。
(ちなみに、「人間臨終図巻」山田風太郎著・徳間文庫を読むと、上記のセリフを好んだ人間に限って、喉頭ガンや肝臓ガンになると、深く前非を悔い健康指向に宗旨変えするのが多いに驚く。これは無駄な悪あがきであり、風太郎はこのような人物の描写に腕の冴えをみせてくれる)

 食生活の改善が難しいのを、二日半でさとると、あとは体重を落とすには運動という手段しか、残されていなかった。
 というわけで、去年の十二月から、マッスル・キングダムに通うことにしたのだが。
 これがまた厳しい場所であった。
 肉体的に厳しいのは想像がついていたが、しかし、精神的なダメージの方がきついのには、当初はかなりめげたものだった。
 通いだした、近くにあるスポーツジムの会員は、半分以上が女性のようだった。
 こういうと、たいていの漢は。
「そのような素晴らしい国があるとは、是非我もそこに赴き、王となろうぞ!!!」
 とまではさすがにいわんが、とにかく羨ましいといった類のことをいう。
 だが、考えて欲しい。
 日本の人口比率では、男性より女性の方が多い。
 で、その女性には新生児から沖縄の長寿日本一のオバアまで含まれるのも、いうまでもないことだ。 だがナゼか解らないが、世の男というのはたいてい、女というのは17歳にプラス10から30した範囲のことだと考えているのが、特に四十前の男に多いようだ。
 そして自分自身について語ると。
「漢は、一生涯、一匹の漢である!!!」
 まあ、確かにそうだが……。
 女性のほうが同じように考えているかどうか、保証の限りではない。
 が、男の範囲について聞くのは止めておいたほうが、精神衛生上無難だろう。ただでさえ、抜け毛と白髪の原因には事欠かないのに、これ以上頭髪にダメージを加えるのはお勧めできない。
 スポーツ・ジムの女性のほとんどが、四十から六十歳くらいと見えた。
 確かに、生活的余裕と身体的な衰えが連立したところの解が、スポーツ・ジム、となるのはこれくらいの世代であろう。
 この世代の人間のことを、関西ではオバハンと呼ぶ(男性はオッチャンである)が、このオバハンがおそろしくパワフルだったりする。
 エアロビクスでワッセワッセと汗をかき、プールの中でも泳ぎ、歩きまくり、ドライサウナの中で平気で一時間以上しゃべってから。
「ああ、今日はさぼってもうたわ」
 とぼやきながら帰ってゆく。
 それに引き替え、オッチャンはつつましく隅の方で3キロほどのダンペルを持ち、なにかしらごそごそとやってから、二十分ほどバイクをこぎ、たいていシャワーを浴びていつのまにか消えている。というスタイルが圧倒的に多い。
 ほとんどが寡黙である。
 それは、これまでのライフスタイルと、建物の構造に原因があるように思える。
 室内はあちこちの壁に大きな鏡が貼られ、さらに必要以上に明るい照明がつけられ、軽快なBGMが流れているのが、最近のスポーツ・ジムだ。
 オッヱャン達にとって、これまでの人生のなかで、全身を鏡で、しかも長時間見つめ続けるという経験はたぶんあまりなかったのだろう。
 そしてその鏡の中に、筑波のガマガエルのように、タラリタラリと汗を流す、饅頭型の肉体を発見することとなる。
 さらに鏡の中には、王国の昔からの住人達が、軽快に動き、笑っているのもすぐに気が付くだろう。
 さらに、このマッスル・キングダムは数字に支配された国であることを、思い知らされる。
 年齢。
 血圧。
 体重。
 体脂肪率。
 運動時間。
 ウエイトの重量。
 これらが、厳密な数字となって現れ、厳然とした階級が築きあげられていることに気が付くだろう。
 これまで住んでいた世界とは、全く違う原理によって動く社会。に投げ出された人間が、いかに苦難を味わうかは、PKディックの読藷フ験からなんとか想像できるような気がする。
 今の日本では、女性は組織という服を着ることは、かなりむつかしい。
 はやくから、その個人の持つものだけで回りから判断される。
 それだけ、自分が現在どんな状況であるのか知らせる、あらゆる種類の鏡を、見る訓練を積まされることになる。
 マッスル・キングダムの制度の持つ残酷さは、彼女たちには当然のものなのだ。
 かえって、客観的な数字だけしかないこの世界の方が、よくわからない曖昧さによって成り立つ世間よりはるかに居心地が良いと思う女性も、多いのだろう。
 オッヱャンでも、比較的元気そうな人達を観察すると、彼らのほとんどが自営業であるようだ。

 この国に立ち寄るようになってから、数ヶ月が経つが、まだ慣れない。
 体重もあまり減らないし、血液検査の値もまだ悪い。
 が、しっかーし。
「漢のさいごの砦はおのが肉体である、押忍」
 ……。
 とりあえず、腹筋をしても息が切れないようになるまでは、滞在しているつもりだ。



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