バス停へ向かういつもの道に、新しいランドセルが二つひょこひょこと歩いていた。
(ああ、今日から新学期か。)
街路樹の桜は早くも満開。
樹上では、ヒヨドリ達が蜜を求めて、花から花へと駆け回っている。
和やかな極上の春の日の始まり。
少し冷たさの残る静寂な大気の中を、一片の花弁が、目の前に舞い落ちてくる。
その時、うしろから声が聞こえた。
「か〜ぜも、ないのに、ぶ〜らぶら〜」
一瞬、背筋が泡立った。とっさに身を屈め、拳を構え、臨戦態勢で振り向く。
と、近所の厨房どもが、下品な笑い声をあげながら自転車に乗って通り過ぎていった。
春の幻想はがらがらと崩れ、猥雑なクラクションと共に現実に引き戻された。
そして耳の奥から忘れたくて忘れていた、サンタルチアのメロディーがリフレインを始めた。それは、当年取って68歳、自称“おじさん”の姿と重なって……。
その時、まだ桜は四分咲きくらいだった。
前日、S夫妻より急遽来た誘いにより、明石海峡大橋を望む、日当たりの良い海辺に到着したのは昼前のことだった。
駅前から少し歩いた市場には、昼前に上がったカニ、たこ、いかなご、鯛、そのほか名前もわからない近海魚で活気づいていた。その地の名物である、だし汁をつけて食べるたこ焼きを堪能していると待ち合わせの時間となった。
迎えに来てくれた、S夫妻の車で、海辺から更に西の、お城のある街へと向かった。
このときの車中で、改めて今日誘われた理由について、詳しく聞く。
かねてから、ある会合に出席していただくべく、コンタクトを試みていた高名な天文学者であり、現在はある民間向けの天文台の名誉館長をしているM先生より夕食のお誘いを受けたのだが。
共に行くはずの者が日程が合わなかったり、風邪でダウンしたりしたため、先生とお会いするのがS夫妻だけとなり、もしよかったらということでお声がかかったのだった。
たしかに、高齢で独り暮らしのM先生がわざわざもてなしてくれるのに、夫妻だけではちと寂しいしなにより料理を全て食べきれない危惧もある。
高名な天文学者の話を聞くことができ、しかもタダ飯、タダ酒にありつけるのだから、車中の雰囲気はいかに明るいものであったかは察して欲しい。
そして、夕暮れ時分に、車はお城のある街に到着した。
待ち合わせの時間は、午後五時だったが、M先生に電話は繋がらなかった。
しょうがないので、M先生から送られたメールに書かれた道順にそって、最寄りの駅からM先生の自宅へと向かうことにした。
『駅前の、三分遅れた時計を左手に見て道を渡って、さらに左手に見て渡る、つまり対角線に道を渡って、病院の看板を右手に曲がって、ウンムンカンヌン』
大体このような、暗号めいた内容の文章に従って歩いたのだが、不思議と一度も迷うことなく、M先生の住むマンションにたどり着くことが出来た。
確かに、一回にはクリニックがあり、駐車場が空いていたので、そこへ車を入れた。違法駐車じゃないのかという空気が、漂ったが無視することした。
で、近所のショッピングセンターで時間をつぶすこと、四十七分後。ようやくM先生と連絡がとれ、住まいのあるマンションへと向かった。
鉄製の扉には、マグネット付きクリップで「勝手に入って下さい」という紙が貼りつけてあった。しばし逡巡したのち、S氏が扉を開けると火箸で作られたドアベルが涼しげな音を立てた。
足音が聞こえ、老人が現れていった。
「いやあ、今日はきれいな人が来てくれて、おじさん、とってもうれしい」
S夫人がいかにも自動的な笑顔を浮かべた。S氏の頬に一瞬縦線が見えた。その側にいた人間は、泳いで逃げ出しそうになった両目を押さえるのに、必死だった。
どうやら、この自称おじさんが、M先生その人らしい。事前に見せて貰っていた、天文台のHPに掲載された写真が、なぜか玄関に飾ってあった。
ところで、偉大なキューバのミュージシャン、コンパイ・セグンドはこういっていた。
「セニョリータは口説かなければならない。それが男の義務である。俺はこんど90歳になるが、もう一人子供が欲しいと思っている」と。
M先生はラテン系の人だった。人種はもちろん日本人で、もちろんラスタ系の人ではないが、そのライフ・スピリッツはまさにエル・マッチョであった。
酒は好みのものを揃えよう、ということでとりあえず近所の酒屋にいったのが、そこを選んだ理由が「奥さんが美人だから」というのは、まあ当たり前として……。
店番をしていた、その息子(娘ではない)を口説く、隣のアイスクリーム屋のバイトのお姉さんも口説く。とにかくセニョリータには声をかけねばならないということを身をもって示す、68歳のおじさんであった。
S夫人を連れて、上機嫌で前を歩く先生を見ながら、S氏と二人して完全に毒気を抜かれてしまった。
ふと、天を仰ぐと西の空には大きな月。ひときわ輝くのは一番星か。
「いや、いまの時間なら木星だよ」
M先生は初めて天文学者らしいことをいった。
でも、あなたの美しさにはかなわない、なんて事をS夫人にいいながら、おじさんは絶好調だった。
「人生には、負けというものがあるからな……」
呟くように、S氏がいった。知り合ってから五年近く経つが、初めて聞く弱気な発言だった。
その後、M先生の部屋へ帰ってから、M先生の手料理で、酒を飲み始めたのだが……。
まあとにかく、強い、強い。
買ってきたバーボンをがんがん飲む。持ってきた泡盛もがんがん飲む。当然、がんがん飲めという。昔はもっとがんがん飲んだとか……。
その間、形而上的な話は無く、次から次へと現役時代の武勇伝と、差し障りがある人物評、そしてその合間に正面に座ったS夫人を口説き、真面目な話かと思うと結局は。
「た〜ん、た〜ん、たぬきの」
という、例の微笑ましい歌で結ばれた。
その間我々は、ほとんど口を挟むことができず、ひたすら酒を飲んだ。そして深夜をだいぶ前にして、早くもグデングデンになっていた(おっと、S夫人はアルコールがまったく飲めない人だったっけ)。
そのあと、行きつけのカラオケスナックに引率され、M先生のサンタルチアを拝聴し、うながされてカラオケをがなり、その日くるはずだったT氏に宅へ電話をかけ、なぜか初対面である、おじさんが電話にでたり(突然、M先生と電話で話すことになったT氏も、さぞ驚いたことだろう)。
さらに、M先生の家に帰ってからも、がんがん、がんがん飲み続けて。
日付が変わる寸前に、S氏がリビングの床に倒れて、宴会はお開きになった。寝る前に、先生が風呂で背中を流してくれるというのを、固く辞退してその日は終わったのであった。
翌朝、まず最初にM先生は元気に起きて、朝食のみそ汁のため鰹節を削り始めた。その音でかどうか、二日酔い特有の真っ青な顔でS氏も起きてきていった。
「おい、顔色が悪いぞ」
いわれて鏡を見ると、目の下に隈を作った亡者のような顔が映っていた。
その日の朝はM先生お手製の玄米食と、みそ汁、有精卵という昨夜とはうってかわった健康的な朝食を取り、中国で手に入れたという、おいしいウーロン茶をいただだいた。
そして、天気がいいのでというS夫人の発案で、その街の誇るお城と、ちょうど咲き始めた桜を、観にゆくこととなった。
暖かい、昼前の日差しを浴びながら、お堀のそばをのんびりと歩きながら、昨晩よりはだいぶん真面目な話をしつつ、しかし道すがら老若のセニョリータに声をしっかりかけながら、M先生は歩いていった。
その後に従いながら、こういう風に見ると、ひなびた感じの爺様なんだがなあと、考えていると、胸の内を見透かすかのように、S氏がにやりと笑っていった。
「風もない、例の動物だよ」
改めて、S夫人と連れだって歩くM先生の背中を見ると、一瞬、茶色い尻尾が見えたような気がした。
(完全に化かされたなこりゃ)
そう思うと、にわかに笑いがこみ上げてきた。
(まったく、この三人が手もなくやられるのだから、世の中には面白い人がいるもんだ)
「Sさん、今度はもう少し手駒を揃えて、もう一戦しなければなりませんね」
結局用件を果たせなかったS氏は、笑いながらゆっくりとうなずいた。
お堀の土手をのぼると、白亜の天守閣が姿を現した。
(追記;文章はここできれいに終わるが、さらにこの後我々は、M先生にもうひと揉みされたのだった。他にも書き残したことは多いが、その話は今度会ったときにでも)。