――長いプロ野球選手生活の中で、ヒットがでない打撃不振、具体的にいえばストライクがバットに当たらないでカウントをとられる。いわゆるひとつの“スランプ”というものは必ずくるものなんですね、ハイ。
そうしたときどうするかは、やはり本人の努力次第といえるのですが私の場合、とにかくバットを振る。たとえボールにかすらなくて、ストライクとなったとしても、それは三振とは違うようで同じ、バッターアウトなのです。
要はチャレンジャースピリッツで、アグレッシブにヒットを打つことがスランプ脱出の鍵となるのではないでしょうか。(プロ野球某監督のインタビューより)
例年、年度末が近づくと何となく体の具合が悪くなる。
頭が重く、集中力がなくなり、疲れやすく、風邪をひきやすくなり、ぐずぐずといつまでも布団から出られなくなる。
昼間は何時間でも眠れるのだが、そのおかげで日が沈んでからは、らんらんと目が冴える。
季節の変わり目は常に乱調気味なのだが、冬から春に変わる、いわゆる「木の芽時」の様子は我ながら酷いものだ。
毎年のように訪れる、季節性のスランプにいい加減手を焼いており、その度にいろいろとあがいてきたのだが、まだ抜本的な解決方法というものは見つかっていない。
だが、ここ数年この時期を意識して過ごすことにより、少しはノウハウも蓄積されてきており、幾つかの対策も少しは成果を上げてきているようだ。
先日、ある新聞の夕刊にやはりこの時期になると、気分がすぐれないという投書を見て、似たような人がいることが予想以上に多いのに驚いた。
そこで、今回は「木の芽時」の過ごし方についての、ごく個人的な方法について書いてみた。
その一、早めに医者へゆく。
身も蓋もないようだが、個人的な体験からいうと一番効果があると思う。
そして、精神安定剤、抗うつ剤、睡眠薬を処方通りに飲み、アルコールとタバコを控える。面白くも何ともないが、真理とはそういうものだからしょうがない。
イエローページで、心療内科、メンタルヘルス、などの広告を出している医者は、十数年前から着実に増え続けている。
ここは不景気をかこつ日本の中で、成長を続ける数少ない業界のひとつだ。
そしてこの先も、世間全般の見通しが暗いことを考えると、多いに成長が見込まれる。もし株式投資を考えているのならば、この分野は推奨銘柄の一つといってもいいだろう。
いわゆる高度情報化社会では、多かれ少なかれ、脳神経に負担がかかるものだ。
これは「初め人間ギャートルズ」の時代から、脳の基本的な構造が変わっていないのに対して、ライフスタイルの方は「サラリーマン専科」になってしまったことからも容易に想像できる。
さらに。もしあなたが最近疲れ気味ならば、簡単なアンケート形式のメンタルヘルスチェックやってみることをお勧めする。たぶん「軽いウツ」という判定になる人がほとんどだろう。
そして心療内科を訪れたなら、待合室にいる人々の顔ぶれが、駅のホームと大して違わないことを確認できるだろう。
その二、小さいことからコツコツと。
キー坊やあるまいし……(注:キー坊=西川きよし参議院議員)。
まるで面白くないといわれればまさにその通り。
が、えてして面白くない人間の方が長生きできることもまた確かなことなのだ。
起死回生、一発逆転、のるかそるか、などの言葉を口にするときは、たいていにして落ち目のときである。
裏目が続くと、人は多かれ少なかれ自棄になる傾向がある。気分がすぐれない季節にはなおのことだ。 が、そういう気持ちで上の様な言葉を口にしながら、転職したり、競馬につぎ込んだり、果てはネットワークビジネスに手を出したりすると確実に失敗することができる(蛇足ながら、ネットワークビジネスで確実に失敗できるかどうかについては、実地に体験していないので確実とはいえない。音信不通になった先輩も、今ごろハワイのコンドミニアムで優雅な暮らしをしている可能性はあるのだ。またそうであることを切に希望するが、まあ無理だな)。
夜が明けたらスランプから脱出できる、なんて方法は残念ながらまだ開発されていない。
似たようなところで、宗教的改心というやつが無いわけではないが、これはラフから今度は別なバンカーに入り込むようなものだと感じるのは、ひが目なのだろうな、きっと。
小さいことから。
本棚の整理や、十分早い起床、古新聞を紐でくくる、くらいのことからすこしずつペースを取り戻すことくらいが無難かつ最も効果的なのだろう。
ほとんどの人間は生存中に天才と呼ばれることはないのだから、むやみに破滅したところで誰も感心しない、というのが「やすきよ」を知っている年代の人間の印象だ。
その三、春の嵐は身を伏せてやりすごす。
この時期にスランプになる、ということは逆にいえば、この時期さえなんとかやり過ごせば、あとは回復するだけなのだ。
従って、ゴールデンウィークが過ぎる頃までは、死んだふりををしてやり過ごす、というのは戦略として正しいだろう。
今回は、いつにも増してごく当たり前で、面白くないことばかり書いていて、気が滅入ってくるが、これもスランプであるからなので、しょうがないことだろう(ですから読者の皆さんも、今回はしょうがないと思っていただければ幸いです)。
このように観念してしまい、ひたすら身を縮めている限り、勝つことは出来ないだろうが、致命的な大敗を被ることもない。
野球でも戦力不足のシーズン当初に負けを少なくし、五割を切るくらいの勝率で我慢するチームが、結局は終盤Aクラスに近づくことができる。
チーム力の弱さから、開幕ダッシュを意識しすぎて、とどのつまりは定位置……。というチームも無いわけではないのだ。
負け越したらそれで終わり、というのは勝負の世界だけをみても、案外に少ない。
ただ、同じ負け越すにしても、6勝9敗と、1勝14敗とでは次の勝負の時、越えがたい差となって現れるというのも、また冷厳たる事実なのだ。
その四、パターンをかえない。
麻雀をやっているとよくわかるのだが。
悪い手が続くと、いきなりスタイルを変えて、勝とうとする人がいる。
早上がりを目指していたのが、いきなり大物手狙いになったり。またダマテンで待っていたのが、無理目なリーチをかけ始めたり……。
そうやって、少しでも流れを変えようとすると、えてして悪い方向へ流れが変わる。
雀聖・阿佐田哲也でなくとも、或る程度強い人間は流れが悪くても、スタイルを堅持する。
スタイル、あるいは雀聖のいうところの“フォーム”というのは、その個人の適正などをよりどころにして、必然的に身に付いてくるものだ。
他のたとえをつかうならば、ペンギンの体型(=スタイル)にはそれなりの進化論的背景があり、いきなり空を飛ぼうとするならばそれなりのリスク(足を挫く、手ひどく腰を打つなど)を引き受けなければならない。
人間というのは、かなりいろいろな環境に適応できる動物ではあるが、それだけにちょっとのことで、これまで適応してきたよい環境を、ごく簡単に捨ててしまう傾向がある。
スランプとは、それまでのパターンが通じなくなることから始まるものではあるのだが、なぜ通じなくなったかを十分に検証せず、闇雲に変化を求めるならば、スランプ脱出への道は開けないだろう。
原因が環境の変化か、或いは個体の劣化か、さらにそれが一時的なものなのか、永続的なものなのか。 スタイルの変更をするならば、最低でもこれだけは考えるべきだろう。
その五、気にしない。
王貞治はスランプに苦しんだが、長島茂雄はそれほどでもなかったという。さらに新庄剛はそもそもスランプというものを意識しているのかどうかすら疑わしいものだ(←誹謗中傷?)。
考えないことがいいとはいわないが、考えすぎることも結果としては同じだ。
来た球をセンターに打ち返す。
ただそれだけ。
いわゆるひとつの動物的カンですね。
これだけを頼りに、素直なバッティングをする。
結果は考えないで、後からるいてくる。こういうチャレンジャーとしてのスピリッツが大切なので、すべてはここから始まります、ハイ。
わたしは、つまるところ、この考えだけで野球をやってきて、これからも続けていくつもりです。
はあ?
いってることが、よくわからない?
考えないで大事なのは結果です。
つまり、常にチャンピオンであり、チャレンジャーであれ。そういうことです。ですから巨人軍は永遠に不滅なのです。