人の浮沈について

黒川[師団付撮影班]憲昭

 仕事を干されて、こう考えた。
痴に働けば角が立つ。場に棹させば流される。維持をするのも窮屈だ。浮き世といっても沈みがち。
あまり裏目が続くと、文豪ならずとも、哲学なんぞを始めたりする。
「果たして人の本性は、沈むものか? はたまた浮くものか?」
ある閑な日曜日、調べることにした。
 身長は高からず。
体重は、軽からず、軽からず、も一つおまけに軽からず。
せんべいよりも、まんじゅうによく似た、体脂肪率31パーセントの男がひとり。
ぴっちりとした水着に、はみ出た下腹もなまめかしく。青いスイムキャップ、ゴーグルを付けて、室内プールの横でこう思った。
(これじゃ、高○ブーじゃないか)
 プールサイドにはBGMにペニー・レインが流れていたが、心の中では大槻ケンジがシャウトしていた。
 人が浮くのか、沈むのか、調べるのにはプールが一番良いように思えたのは、いったいどんな勘違いからだったか知らないが、来てしまったものはしょうがない。
ここで蛇足ながら。
世間では、人間は水に浸けると沈むというのが、共通了解としてある。
一概に頭髪の乏しい気象予報士達に、「今年も水の事故が多かった」といわれるまでもなく、溺れ死んだのと、干されて死んだ奴では、てんで比べようにもならない。
とにかく人間は沈む。
もし数日経って浮かんできたらのなら、そいつは名前が変わっているだろう。そう考えるのが普通の人間だ。
 いつまでも、プールの横でつっ立っているのも芸がないし、寒いので試しに泳いでみることにした。
 ちなみに、遙か昔、中学校のプールで25メートルくらいは泳げたように、記憶していたがどうもあやふやだった。。
不安なまま5メートルぐらい泳いだところで、案の定沈みだした。さらにプールの半分くらいいったところで、名前が変わりかけた。
(やはり、人間は沈むもんなんだなあ)
しみじみと溺れながら脇をみると、どこかの婆さまが、つーい、と泳いでいった。
その直後に、爺さまがこれまたつーい。
その日来ていたプールを開いているスポーツジムは、有料老人ホームを経営している会社が母体で、ジムも施設の中にある。
老人ホームというのもピンキリで、ここはその中でも限りなくピンに近い。サウナに入っていると、バブルで売り逃げて呵々大笑、といった昔話が耳タコになるほど転がっている。そんな類の高級高齢者コングロマリットだ。
プールの真ん中で腕組みしながら考えた。(若い者は遠慮して、端のほうで細々とやってみるか)
 書いていなかったが、溺れる前に足が底につくプールだった。
 泳ぐというような、高級なまねはとりあえず置いといて、プールの隅っこでとりあえず、浮くか浮かないかの実験開始。
 息を吸い込んで、腹這いになってプールの底に沈む。
 そうすると、まず両手が上に上がった。
 次に胸が軽く反って、頭が上向くと、そのまま水面に引っ張られるような感じで、浮き上がって、スイムキャップが水面に出た。
 額から下は、水の中だったが、とりあえず、浮かんだといっていいだろう。
 どうやら、力を抜いて、死んだふりをしておれば、人間は浮かんでくるものらしい。
 次に、仰向けになって沈もうとしたが、何度やってもうまく沈まない。
 やけになってバックドロップの要領で、頭をプールの中に突っ込んだら、いきなり鼻の穴から大量の水を吸い込み、その直後に後頭部を激しくプールの底にぶつけた。
 死ぬかと思った。
 人命尊重の観点から、仰向けに沈む実験は延期する事にした。
 さて、実験は次の段階へ移って。
 当たり前だが人は水中に居続けることは出来ない。 なぜなら息が苦しくなるからだ。もしこの「苦しさ」の原因がわかれば、浮かぶ方法のヒントが掴めるかもしれない。
 なぜ、このようなことを考えたかというと、これまでの経験から、苦しさの原因というのは、突き詰めていくと意外なところにあることを、知っていたからだ。
 ところで、エアロビクス、というものがあるがこれも苦しい。
 可愛いインストラクターに誘われてスタジオに入り、一時間後、全身汗で濡れ雑巾になってはいつくばった経験から断言できる。
 ただ、ここでヘロヘロになったのは、苦しくなったからなのはもちろんだが、一番の原因は足の裏の痛みだった。
 こういう時、心臓が苦しくなって動けなくなるものだと思っていたのだが。心臓は、バクバクいってはいたが、急に止まるような様子は感じられなかった。
 まず、足の裏の痛み、そして脚部の痙攣、意識レベルの低下(脳へ回る酸素の不足?)、が起きて昏倒するらしい。
 ということは「苦しさ」減らすためには、まず足の裏への負担を減らすか、脚部の筋肉を強化することがもっとも即効性があるようなのだ。
 で、本題に戻って、水の中ではいったい身体のどの箇所が苦しくなって、潜っていられなくなるのだろうか?
 息を肺一杯に吸い込んで、水の中に潜る。
 身体が浮かばないように、手近にあった梯子を掴む。
 そうして待つこと十数秒後。
 まず、へその下、空手などでいうところの臍下丹田のあたりが肺を押し上げる感じがして、たちまち苦しくなって顔を上げた。
 どうやら水圧で、横隔膜が上がり苦しくなったようだ。
 今度は、潜った後、下腹に力を入れ横隔膜を押し下げるように努力していると、喉のあたりがひくひくし出した。
 餅が喉につかえて、むせるようなそんな感覚だ。
 それでも我慢していると、急に酷い吐き気がした。たまらず口を開けると、水が気管に進入してきた。
(グゥゲエエエー)
 本気で死ぬところであった。
 この実験で、下腹に力を入れると少し潜っていられる時間が増えること、そしてどんなに喉が苦しくても、水中で口を開けない方が良いことが解った。
 口を覆って、意識がロストしかけるタイミングを調べる、という実験も考えていたのだが、これはやめておいた方が無難だろう。

 うつぶせに沈んだ当初は頭が浮かぶ。
 これは、肺の中に空気が満杯に入っているからだというのは、たぶんあたっているだろう。
 では、人間は肺の中の空気をどの程度失ったら、沈むのだろうか? あるいはすべて吐き出しても浮かんでくるものなのか?
 実験してみることにした。
 まず、水底で腹這いになる。
 このときは、頭が上にあがるかんじだ。
 ここから、ウー、といいながら少しずつ空気を吐き出していく。
 まだ浮き加減だ。
 さらに、ウー、といいながら空気を吐き出す。
 まだ浮力がある。
 肺の空気の半ばくらいを吐き出したところで、すこし頭が下がるが、沈むまでは行かない、水中に漂うような感じになった。
 ダイビング教わる中性浮力という、状態になった。
 さらにそこから、少し空気を吐き出すと、急激に頭が下がった。
(なるほど、肺に半分くらい空気が入っていたら浮かぶのか)
 そこからさらに、空気を吐き出そうとして。
 いきなり水が口の中に入ってきた。
 溺れ死ぬところだった。
 プールサイドでゲホゲホと咳き込みながら、これまでの実験について思った。
(危ないので絶対に真似をしないで下さい)

 実験を終えて、ラッコの様に上向きになって水面を漂おうとしたが、足が沈んでうまくいかない。
 どうやらうつぶせの方が浮きやすいようだが、果たしてそうなのだろうか?
 実験する……、のはやめておいた。
(もう「死ぬところだった」はごめんだな)
 今日一日で、人間というのはじっとしていれば、とりあえず浮いてくることがわかったのだから、それだけでよしとしよう。 
「沈んでも一度は浮かぶか」
 声に出してみると、浮力が少し増したように感じた。



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