前々回、前回に引き続いて。キャラクターグッズで大儲けする方法を追い求める、友人であり今夜の飲み代の金主でもある、旗持の遍歴と探求について、続けたい。
今回の俺はさしずめ一杯の……。もとい、数杯の生ビールと、串かつ、浅漬けその他もろもろによってお供に加わった、傭兵? いや、道化師といった役どころか。
探求の道しるべを得るべく、電子の洞窟に隠棲する平方根の元へと旗持を案内したのが、前回までだった。ここで手がかりを見つけるもよし、あるいは迷妄を解かれまっとうな世界へ戻るのもいいだろう。 本音をいえば、日付が変わる前に、諦めて欲しかった。
巻物ならぬ、ビデオを見せた後、オタク賢者はいった。
「キャラクターにたいする、いわゆる“萌える”要素は、20世紀中に全て出つくした、というのが僕の考えです」
まだ世紀はかわっていない、といいかけたが、熱心に託宣を拝聴する旗持の様子をみてもう少し黙っていることにした。
「マンガ、テレビアニメの成功と、それを効率的にリサイクルしていく同人誌、というシステムに加え、80年代から急速にひろまったファミコンを嚆矢とする家庭用ゲーム機器。さらにビデオから始まる、画像の情報化、低価格化は、ここ十年のパソコン、インターネットの普及に伴って革命的なまでの進展を遂げました」
まるで、どこかのネット関連企業のプレゼンテーションのように、平方根は、ここまで一気に話した。
「ここに“キャラ萌え”の要素について、項目ごとにまとめたものがあります」
そして、当然の様に目の前のCRTには、パワーポイントで作成された図表が表示された。
そこには、ごくありふれたものから、犯罪に近いものまで、“萌え”の要素のほとんどが網羅されているようだった。それはある意味、とても興味深いものではあったが……。
「これらの要素を単純に組み合わせればいい、というものでないことを先にいっておきます。これでいいですね、佐無椀氏」
平方根は、俺のいいかけたことをいった。
「はあ、そういうものですか」
旗持はよくわからない、といった風に首をひねった。
「そりゃあ、そうだ。たとえば、猫耳、メイド、という要素だけを指定したキャラを、百人のクリエーターに発注したら、千通りのデザインが上がってくるはずだ」
「そうですね、一つのキャラクターを細かく分析すれば、この表で大雑把に数えるだけで、三十以上あります。これを順列組み合わせしてゆくだけでも、おそらくはとんでもない数になるでしょう」
そういわれて、電卓をとりだそうとしていた旗持は、計算するのを諦めた。
「さらに、キャラクターというものが、いかに微妙なものであるか、これはすでに言葉で表現するには、限界がありますので、自分のめでお確かめください」
そういって、平方根はCRTの画像を切り替えた。画面の中に、並べられた二枚の画像は、一見するとまったく同じものに見えた。
「綾波レイ、第六話の一番いいシーンだな」
エヴァでもっとも有名なシーンの一つであるが、両者は微妙に異なっている。半瞬もかからないうちに、俺はその違いと、平方根の意図がわかった。
「旗持さんは、どちらがお好きですか?」
問われて、二枚の画像をしげしげと眺めて、旗持は左側を指さした。
「やっぱりそっちか……」
俺は今更ながらに感心した。
「いや、特にどうして、といわれると説明しづらいんやがな」
旗持は、歯切れの悪い口調で弁解した。
「右側は『TV版』、左側は『劇場版』で確かキャラデザが自ら作画したもののはずだ」
俺の説明に平方根がうなずいた。
「たぶん、佐無椀氏も貞本版がお気に入りなのでしょう。ただ、佐無椀氏にはバイアスとなる予備知識がありすぎるので、“絵そのものの評価”については、あまり信用がおけない」
さすがに平方根は痛いところをついてくる。
「はあ、知識があるのも、いかんのですか」
旗持が俺の方を、わざとらしく向いていった。
「それは、佐無椀氏だけではなく、撲を含めた、オタク全てにいえることです」
平方根は微笑みながら、肩をすくめた。
「僕も、どちらかといわれたら、もちろんお二人と同じ意見なのですが、あえてTV版を選ぶ人間も無視できないくらい、沢山いるところにこの商売の難しさがあります」
「あの、さっきから聞こうと思とったんですが……。先生はいったいどんなご商売をしてはるんですか?」
「僕は、ある同人でパソコンゲームを創っていて、一応は代表ということになっていますが、まあ体のいい雑用係といったところですね」
「パソコンゲームというと、ドラクエとかの?」
「いえ、アダルト向けというか、世間一般でいわれるところの“エロゲー”メーカーです」
そういって平方根は、机の上に置かれたゲームを、旗持に渡した。それはエロゲーといいながら、白を基調としたかなり品のいいパッケージで、学生服を着た少女達も楽しそうに微笑んでいた。
「いま、キャラ萌えというやつを、一番最先端で追いかけて、しのぎを削っているのが、平方根の世界だ」
俺は旗持に説明した。
「ソフ倫に加入しているメーカーからだけでも、月に百以上のタイトルが発売され、新規参入メーカーも後を絶たないなかで、平方根の同人はそいつらと互角以上にやりあっているのさ」
「というのは、残念ながら佐無椀氏の買いかぶりで、現実はなんとかかつかつで生き残っているというところです」
ここ数年間、斯界の大手としてやっているのだから、大したものだ。
「確かに。でも、今月商業ベースでリリースされるタイトル数は130を越えることになるでしょうし、同人のレベルも飛躍的に高まっています。来年の夏コミまでやっていける、保証はありません」
平方根は自分にいいきかせるようにいった。
旗持は、平方根と、手にしたパッケージを見比べてから、もう一度雑然とした部屋の中を見回した。そして、なにか感ずるものがあったのか、何度かうなずいてから、平方根にいった。
「いや、お話を聞かせて貰って、ホンマに良かった。正直言って、口ではうまくいえまへんが、なんとなく解りました。いや、どの世界も生きていくとなると、生半可なことじゃあきまへん」
旗持はしみじみとした口調でいった。さすがに、ある分野の中で戦っていた者だけに、なにか通じあうものがあったのだろう。
これで、俺も今夜の飲み代分仕事は出来たわけだ。
そう思っていると、旗持がいった。
「いや、キャラクターのことは諦めましたわ。で、今晩集まったのも何かの縁でしょう。折り入ってご相談があるんですが、ええですやろか?」
そういいながら、旗持は財布の中から紙幣を取り出し、俺に押しつけていった。
「ワシはビール。先生にはなにか好きそなもんを。お前も好きなもん買うてきたらええ。ただし大至急たのむで」
「あ、僕は果汁百パーセントのオレンジジュースがいいです」
平方根は遠慮がちだがはっきりといった。どうやら、旗持も平方根も、来世紀まで生き残ゆくタイプのようだった。