友人の旗持が酒を奢るというので、のこのこ出てきたら、キャラクターグッズで儲ける方法をレクチャーしろ、とぬかしやがった。
日本橋の不景気な旅行業者にとって、近所に店を張るゲーマーズなどの、羽振りよくやっている、オタクな商人達にあやかりたいというのは、まあわからないでもないが、あまりに考えが甘すぎる。
俺に言わせるなら、その道で一儲けを企てるよりも、これから始まる秋のG1を、全て的中させる方が遙かに楽だ。
でもまあ、ただ酒をしこたま飲んだ手前もあるので、それくらいは付き合わねばならない、と思い直して、腰を据えるために河岸を替えたのが前回までの話だ。
「おい、佐無椀。こんな所にホンマに店があるんか?」
これからいよいよ喧噪が高まるミナミを後にして、俺達は黒門市場のアーケードを抜けて東へと向かっていた。
先程の店から10分も歩いたかどうかだが、ミナミは少し中心を外れると人影が、思った以上にまばらになる。
「ああ、あそこだ」
暗い街路に、場違いな程輝く黄色い看板を指していった。
「? コンビニか」
「この近くなんだが、ついでにあそこで買い物をしていく」
「他人の家か」
「ああ、これから友人の平方根の家にいくんだ」
「この時間から? 平方根? なんやそれは?」
頭上にいくつも“?”を浮かべる旗持を無視して、俺はコンビニに入った。平方根の好みのものがあればいいのだが。
コンビニからほど近い、アパートの一階、一番端が平方根の家だった。隣はもう寝てしまったのか、すでに明かりが消えている。
コンビニで買い込んだ手提げ袋を旗持に持たせて、平方根の郵便受けを開け、中から家の鍵を取り出す。キーホルダーがぷちこからクウガに変わっているのに気が付いた。ドアを開けると、サージェント・ペッパーとその楽団が出迎えてくれた。
「やあ、いらっしゃい。久しぶりですね」
本棚、ビデオラック、大型テレビ、二台のCRTによって構築された陣地の真ん中で、平方根がくるりと振り向いた。
「飯はまだだろ? コンビニで弁当を買ってきた」
俺はウーロン茶とのり弁当を二つ座っている平方根に渡した。拝むようにしてそれを受け取ると、早速ふたを開けて食べはじめた。
「いやー、つい忙しくて昨日はポテトチップしか食べられなくて。散らかっててすいませんが、適当に座っていただけますか」
食べる合間に言い訳のように付け加える。俺と旗持は顔を見合わせると、散らばった雑誌やCDを適当にどけて、適当に袋の中からビールと乾きものをとりだし、平方根が食べるのを見ながら適当に飲み始めた。
「ずいぶん部屋が片づいてるがいったいどうしたんだ」
部屋を見回してこういうと、旗持は意外そうな顔をした。
相変わらず平方根の家は物が多い……、いや、世間の基準から見ればひどく多いが、前に来たときよりも明らかに数が減っていた。そのおかげで、長いつきあいの中で初めて、彼にも整理という概念があることを知ることができた。
「隣の部屋が空いたんで、先月借りたんですよ。倉庫代わりに。だからすごく貧乏になっちゃって」
「なるほど」
旗持は言葉とはうらはらに、まったく理解不能の目で、もう一度部屋の中を見回した。
そのうち平方根は二つの、のり弁当をふたの裏についた米粒まで丁寧に食べ終えてから、手を合わせてごちそうさまといった。
「ありがとうございます。おいしかった」
平方根は旗持にだけ、礼をいった。
「いや、お礼なんてええですわ。でもさすがに目利きというだけあって、よくわかってはりますな、先生」
「いえいえ、ただ単に佐無椀氏の財政状況について少し知っているだけです」
二人はそういうと、時代劇のようにハッハッと笑った。
俺はあまり面白くなかった。
「……。というわけで、この旗持の迷妄を解き、まっとうな世界へ立ち戻るよう説得して欲しい、というわけだ」
これまでのあらましを平方根にいった。
「ワシはまだ諦めるとは、一言もいってないで」
平方根は、話を聞きながら、カタカタとキーボードを叩き続けていた。別に話を聞いていないわけではなく、例えるなら運転席でハンドルを握っているような感覚だろう。
しばらくしてリターン・キーを叩くと、平方根はやはり座ったままくるりとこちらを向いた。
「お話は大体解りました」
平方根は困ったような笑みを浮かべていった。
「無礼なお願いやとは重々承知の上ですが、あかんなら、あかんで納得させていただければ、それだけで救われますねん。先生、どうかあんじょう頼みます」
「まあ、そう固くならずに。まず、今回は滅多にないことですが、佐無椀氏に相談されたのが正解だったですね」
「なんだよ、それは」
俺の抗議を無視して、平方根はラックからあるビデオを取りだし、巻き戻して再生するようにいった。旗持は機敏に立ち上がって、ビデオを再生する。飲み屋では手前にある皿すら寄こすのを面倒がっていたのに。旗持は完全に営業モードに入っているようだった。
「えーと、先生?」
再生してる間に旗持が聞いた。
「いやー、先生はやめてください。平方根で結構です」
「その平方根というのは、当然本名ではないですわな」
そういえばまだ平方根の由来について話していなかった。
「平方根=√2、二次コン、ということさ」
「僕のハンドルネームなんです」
「はあ、さいでっか……」
そんなことをいっているうちにビデオの巻き取りが終わり、平方根がリモコンで再生を始めた。
アニメのオープニングを見て、俺は思わず苦笑いした。
「なるほど、これならわかりやすい」
「なんやねん、おっ、ようけ乳が揺れとるのお」
旗持がまるっきり親父だが、しかし限りなく本質を突いた発言をした。
「『HAND−MAID メイ』。この秋まで10回のシリーズとしてWOWOWの無料枠で放送されたアニメです」
アンミラ・ウエイトレス風のヒロインが、平方根の紹介に答えるように、画面の中でにっこりと微笑んだ。
オープニングが終わると、早送りしながら、時折役柄についての簡単な説明を加えながら、第一話が終わったところで平方根はビデオを止めた。
感想を求められて、しばらく考えてから、旗持はいった。
「なんか、わしらの子供のころの奴とは大分違ってきとるんですなあ。あまりエエこととはちゃうと思いますが、それも時代ですか」
旗持の言葉に、俺は胸を突かれたような気がした。
「そうです。ガンダムやマクロスの頃から考えても、ずいぶん変わりました。いまになって考えると、エヴァもある種のクラシックカー的なカッコ良さが、知らない世代に受けた、というところが大きかったのでしょう」
平方根はそういうと、佐無椀氏は? と話を振った。
「確かにプロットとか構成とか、言いたいことは山ほどあるが……。それをいっていたら幾晩もかかるし、今日の話とはズレる。
ただ、これまでのアニメとは違う合理性に基づいた、ある種の工業的な試作品として、これは作られ過ぎてる」
平方根は真面目にうなずくと、少し言葉を強めていった。
「その“作る”というのが、これからする話に深く関わるのです」。