ON? それともOFF?

黒川[師団付撮影班]憲昭

(Sorry SFmono Only)

///黒海苔の@〜的SF日記///
20XX年6月20日

 見事にはまっちまった。
 それも「ぶぎうぎポップンに笑われて」シリーズに(^^;)。
 あちこちの書評やHPで、新作が出るたびに取り上げられているので、この人気作品についてはあえて紹介する必要もないだろう。
 先にいっとくと、この手のジャンルは基本的にキライじゃない。
 というか、読書の原体験をたどって行くと、どうしてもCJ(コンタクト・ジャパンではなひ)や、999のノベライズ(爆)にいきついてしまうのは、僕だけじゃあないっしょ。
 でも、最近はオトナになったので(^o^)/
 不死身町の方にはいまいち行きにくい <じゃあいくなよ。
 で、まあ、何事にも魔が差すってあるじゃないッスか。
 たまたま近くにあった第一巻を読んだのが運の尽き。
 11時過ぎたらソッコー「BOOK ON」のページに繋ぎましたよ。また繋がらないんだよこれが(;_;) そんでもって検索遅いし〜
 反省しろ「BOOK ON」(怒)
 で在庫にあった「ぶぎプン」ソッコー全部ゲット。13巻だけなかったので予約入れといた、在庫が無いのは珍しいよホント(^^;)
 あと、いま文庫フェアー中で、文庫を二十冊注文すると送料がタダになるので。ちょうど一月前に出て、買いそびれてた。
「大逆転外惑星連合D 軍神ハスミ元帥・殲滅汎銀河帝国軍」
 が在庫に入っていたのでこれもゲット。
「ぶぎプン」が19冊で、1900円。
「ハスミ」が新作なので定価の半値で800円(三日待てば旧作で400円になってた、くっそー)。
 だったから、合計で2400円。
 あともちろん税込みで合計2880円。ざけんな! 消費税27パーセント絶対阻止へのリンクはここ。
 なんだ、送料300円だから、大してもうかってない(>_<)

 え〜、昨日続きをといった、反省堂落日書店の倒産については、ちょっち差し障りがありすぎて、書けなくなりました、またほとぼりが冷めたころに密かにUPしやすんでm(_ _)m
 このところ好きな作家の自殺未遂(;_;)、神田の出版社の倒産(;_;)^100、なんか嫌な話が多いですが、本好きの同士諸君。がんばって出版冬の時代を乗り切りまセウ。

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 少しふざけ過ぎたようだ。
 冗談モード《ON → OFF》。
 今回は、一部で話題になっている「BOOK OFF」を初めとする「大規模新古書店」について。
 まず、この問題を取り上げるにあたって、はっきりさせておきたいことがある。
 業界大手の「BOOK OFF」を初めとして彼らは、全く、完全に、一部の灰色の部分もなく、合法な商売をしている。
 漫画家や作家が、いろいろな場面で、新古書店を批判するのを耳にするが、“一時の感情にまかせたイチャモン”以上のものを残念ながら聞いたことがない。
 発言のほとんどが、「著作権」と「所有権」を混同しているか、あるいは著作権を大幅に拡大解釈しているのがほとんどだ。
 「著作権」は著作者(作家、漫画家、作詞作曲家など)がその著作物を独占的に支配する権利だ。そして条文中の「独占的な支配」とは、著作の複製・上演・翻訳を等を作者に断りなくしない、ことと解釈されている。
 ひどく強引にいうならば、「俺の著作物を勝手に使って(コピー・レンタルなどで)儲けることは許さないぞ」という法律だといってよいだろう。逆に言えばそれ以外は何をしてもいいのだ。
 もう少しだけ面倒な話が続くので、勘弁してほしいのだが。
 「所有権」とは、今回の話題では「自分の物は自分の好きなように使ってもよい権利」と考えてもらっていいだろう。
 例えば、あなたの買った本は、読もうが、壁に叩きつけようが、引き破ろうが、神棚に飾ろうが、焚き付けにしようが、どのようにしても他人からはとやかくいわれないし、いわせない、法律がそれを保証している。当然、いらなくなった本を売り・買いするのもOKだ。
 これは、当たり前のようでいて、実をいうと、現代の資本主義・市場経済社会の根幹をなす、重要な掟なのだが、詳細は割愛する。
 繰り返すが自分の本を、売ったとしても、なんら問題はないのだ。
 現在の法律では、「BOOK OFF」を無法者だというのは、魚屋を指して魚の死体を扱っている、と非難するのと同じくらい理不尽なことだというのをまず理解しておいて欲しい。
 で、ここからがいよいよ本題だが。
「BOOK OFFを初めとする、大規模新古書店は本読みにとって、とてつもなくヤバイ」
 ということを、我々はもっと認識するべきだ。
 今はまだいい。だが、将来どのような事態になるのか?
 それが、冒頭のHP日記のような状況だ。
 気に入った作家の過去の出版物は、書店に行かなくても、オンラインでしかも定価よりもはるかに安く手に入るようになるだろう。
 「BOOK OFF」のような大規模新古書店が、全ての在庫をオンライン情報として記録し、注文のあったものを、全国の支店や在庫倉庫から、集荷・発送できるシステムを完成させたとき、一般書店では文字通り“新刊”しか売れなくなる。
 作家は印税収入をあてにした生活設計を、見直さねばならないだろう。ほとんど印税はあてにできなくなる、と考えた方がより現実的かもしれない。そうなると専業作家の姿は必然的に変わらざる得ない。
 ここで、現在流通しているのべ数十万冊の本を、果たして完全にオンライン化できるのか、という疑問が出されるだろう。
 これは数台のサーバーと、強化した検索ソフト、さらに本の裏表紙に印刷されたバーコードで可能になるはずだ。あとはシステムを構築するための資金があるかどうかの問題だが、感触としては億単位、ただし一桁の前半くらいあれば、なんとかなるように思える。
 繰り返すと、新古書店のために、かなりの数の書店が潰れ、作家が転業しなければならなくなる、そんなことが起こる可能性があるのだ。
 だが、この事態を避けるため、本の売買に制限を加える。つまり、中古の本を存在させなければいい、というのはあまりに短絡的だ。
 そうなるとまず最初に神保町の古書店街は壊滅する。
 それくらいならまだいい、絶版本を手に入れる方法が無くなることは、文化の壊滅も意味するといっても過言ではないだろう。
 さらに神聖な市場経済の掟に反して、「本」だけにそのような“特権的”な待遇が与えられることに猛反発がでるはずだ。
 本が文化だから、というだけでは説得はまず無理だ。本が文化だ、というのと同じかそれ以上に、「自動車」や「釣り」が文化だ、と考える人は沢山いるのだから。本が特別なものだというならば、それを、本に必要性を感じない多くの人に、説得せねばならない。
 この問題で外国、特にアメリカのケースは全く参考にならないだろう、扱う地域も、人数も違うし、いまの世界共通語は英語なのだから。
 これは我々日本人が、自分の文化を将来どうするか、という問題に他ならないのだ。
 冒頭の架空HP日記の20XXという部分は、最初200@となっていた。@が5より大きい保証はどこにもない。



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