――某月某日、ビアホール・ノイエ・ザクセンにて
「だから俺はいったんだ」
『それをいっちゃあ、おしまいっス』
「かまうもんかい」
〈でも、いったってわかんないんじゃないの、あれの場合〉
『そうそう』
《ところでさっきの話で思いだしたんだけど》
「どれや? 光秀のことか?」
『危なすぎるっス、……それ(笑)』
〈「『《ヒヒヒヒヒ(大笑)」》』」〉
テーブルの上には空いた皿とフライドポテトが数本残っていだけだった。
そして、林立する大小のジョッキ。
開始から一時間を経過しても、二次会のボルテージは上がる一方だ。
生中から始めて、ハーフ・アンド・ハーフ、黒ビールと続いて、もう一杯黒ビールを頼もうかどうか迷っていると、こんな声が耳に 入った。
「しかし、宴会の時どれだけ盛り上がっても、明日の朝になればみんな忘れてるから……」
確かに。
このメンバーで飲むといつも楽しいが、翌朝憶えているのは雰囲気だけなんだよなあ。
毎日、好きなときに、今の気分を思い出せたら少しは楽になれるんだけど。
運ばれてきた新しい黒ビールに口を付けながら、しばし考え込んだ。
しかし、このテーブルの“空気”を記録するなんてどう考えても無理だよなあ。
普通ならそう考えて、この思いつきは空気中に溶けていってしまうのだが、今回はこころの深いところで何かがささやいた。
いや、待て。
即断するのはまだ早い。
僕が思い考えるようなことは昔の人が考えているはずだ。自分の独創なんていうのは幻想だ、というのは身に染みているはずだぜ。
そう思った瞬間、突然脳のメモリ領域のかなり古い部分から一つの単語が浮上してきた。
「連歌」
「俳諧」
八九間空で雨降る柳かな 芭蕉 春のからすの畠ほる聲 沽圃 初荷とる馬子もこのみの羽織きて 馬見 内はどさつく晩のふるまひ 里圃 このふから日和かたまる月の色 沽 狗脊かれて肌寒うなる 蕉 …… (続猿蓑、八九間雨柳より抜粋)
「連歌(五七五七七のほう)」は記憶によると、宮中での宴会から始まったそうだ。
つまり、何にも話題がないと酒が美味くないので、なにかお題を決めて参加者全員が一つづつ面白いことをいおう。てなことを誰かさんがいいだしたのだそもそもの発端なのだ。
と、アルコールで回転の良くなった頭が答える。
更に時代が下って「俳諧」になると。
あらかじめ、全体の流れを決めておいて、前の話題を受けたアドリブを楽しむようになる。
つまり、クラシックからジャズへと進化したわけだ。
うん、歴史的にも、進化論的にも正しい道筋だ。
金田一春彦や大岡信が聞いたら、その場で悶絶しそうな言いぐさだが酔っぱらいに敵はない、というか誰にも相手にされないからべつにいいのだ。
で、これが現在どういう倦になっているかというと。
黒ビールを飲み込みながら更に思索を重ねる…。
突然閃いた。
そうだ、インターネットだ。
なんとも頭の悪いひらめきだが、元々良くも無いのでここら辺は見逃して欲しい。
メーリング・リスト、掲示板、ニフティのパティオ等。
どれも、面白いスレッドに対して、レス(Re)を付け、更にそのレスが展開していくことで、面白くなっていく。連歌・俳諧の伝統はこのような形で現在に受け継がれているのだ。
うーん、インターネットが日本の伝統を受け継いでいるのだなあ。
目の前の皿が下げられ、あわてて残ったパセリを口に放りこむ。
浅漬けと枝豆がやってきた。
誰かがオーダーを入れてくれたらしい。
実際、面白いレスの続いたのは後で読み返しても面白い。一方つまらないものは徹底してくだらない。最近“2チャンネル”のログが出版されたが、あれで面白いのは例の「ヒヒヒヒヒヒヒ」の部分だけだものなあ。
匿名・不特定多数の掲示板は便所の落書きと同じか。
いや、
この前あるトイレの個室で見たものは。
【沖縄奪還】
【ナンセンス!】
【解放が正しい】
【お前こそナンセンスだ!】
【我々は反米闘争に勝利するぞ!】
【亜細亜との連帯はどうした】
などなど、
古典的な字体かつ古式ゆかしいとても礼儀正しいものだった。それに比べるなんて、便所の落書きに対して失礼だろう。これなども情報環境の整備が、情報内容の向上とは全く関係がないという例のとても良い見本だと思うのだがいかがだろうか?
さらに蛇足ながら。
醜かったり、不愉快なレスを付ける人間は、実際に会ってみるとやはり醜く不愉快な人間である、というのはまず間違いの無いところなので、インターネットでの恋愛を夢見る人はご注意を。
不特定多数が参加できるというキャッチコピーで売られているインターネットも、結局は人を選ぶのだ。
それに、どれだけ人を選んでも、やはり文字情報だけのやりとりよりもオフ会の方が楽しいというのは、僕の偽らざる心境だ(“僕の”と限定したのはオフ会が苦痛だという人を最近よく見かけるからだ。自分の感覚が共有できる、と考えられる時代はもう終わているのだ)。
では、今の楽しさを記録するためにはどうすればよいのだろう?
そんな考えに沈んでいるとふいに背中を叩かれた。
『おい、どないしたん』
〈さっきから黙っているけど、気分悪いの?〉
《自分だけ関係ないふりをするのはいかんよ》
「まあ、飲もうよ」
こうして、更にもう一杯黒ビールがやってきて……。
かくしてつかの間の思考はアルコールに溶かされていった。
「で、その後えらいことに……」
話は続く。たぶんこの場限りだから楽しいのだろうな。と、最後の記憶が呟いた。