夜明け近く、突然頭の上に何かが落ちてきた。
飛び起きる間もなく、次々と固い物が、額や鼻を乱打する。
(北○鮮のミサイルか)
ぶつかってひっくり返った大脳のキャビネットから、なぜか例の首領様の顔が転げ落ちた。だがすぐに訂正。ミサイルが着弾したならもっと派手な音がするだろうし、これくらいで済むはずがない。
落下は数瞬で終わり頭を抱えた時には全てが終わっていた。恐る々々、枕元のスタンドをつけると落ちてきた物に当たったのか、シェードが九十度右に曲がっていた。元に戻して、手近な落下物拾い上げる。そこには。
〈ばかな男 バイトくんブックスF〉と、印刷されていた。
菊池くんの間抜けな顔が見えたような気がした。
調べるまでもなかった。机の上の本が落ちてきたのだ。なぜ、落下してきたかについては議論が分かれるところだろう。物理学者ならばエントロピーの法則を持ち出すだろうし、建築士なら構造物の重心について見解を述べるかもしれない。
母親の意見によれば机を物置、ではなく本置きにしていることが最大の原因だという。
でもそんなことを言い出せば、部屋全体が既に本置きであるし、このままのペースでいけば来世紀の半ばまでに、家中が本置きに変わる日が来るだろう。
もしかするとひどく危険な状態なのかもしれない。
物理的な危険は朝の一件で証明済みだし、もうしばらくしたら逆上した家人の手で首を絞められる日が来るのは見えている。
去年の年末は、本の山に対して戦わずして戦略的撤退をした。気がつくともうここはダンケルクで後がない。ここはひとつ来世紀を生き延びるための作戦が必要だった。
その週の土曜日の午前九時をもって作戦行動を開始した。
とりあえず、DIYショップで安売りしていた「文庫本せいり箱(26冊収納・定価580円)」を6箱買ってきて、本棚に押し込んだ文庫本を放り込んでいく。計算では少なくとも机の上くらいは確保出来るはずだ。
開高健、隆慶一郎、Eハミルトン等々、一カ所にまとまって揃っているものを入れていくが、すぐにいっぱいになってしまった。それでも150冊以上片づけたのだから、少しは本棚が空いたかと思ったのだが。
見たところ、まったく変化がない。
本棚の上は前後二列になって本が並んでいる。それらは150冊以上の仲間が姿を消したというのに、まだ整然とした隊列を保っていた。どうやら本と上の棚の空間に横向きにして詰めていたものが、同僚が抜けた後の空間を、すぐに埋めているようだった。
仕事を開始してから一時間も経たない内に、早くも作戦は大きな転換を余儀なくされた。
こんなに部屋の本が多かっただろうか?
少なくとも漫画はあまり持っていないはずだ。別に嫌いだからというわけではない。漫画はいわゆる活字だけの普通の本に比べると、格段に良い値段で売れたからだ。
あだち充を売り払った金で映画にいった。
〈ドラゴンボール〉は何度目かの天下一武道会で挫折したおかげで値崩れする前に売り逃げられた。
高橋留美子のおかげで月末の窮地を乗り切ったこともある。
もちろん漫画は基本的に旬のものなので、売るタイミングを逃すと、一時期の〈キン肉マン〉〈キャプテン翼〉のように廃品回収でもあまりいい顔をされなくなる。でも基本的に、漫画はなるべく早めに売るという戦略にさえ従っていれば、発売の翌週に持って行かないと金にならない文庫本に比べて、格段に現金化しやすい。
漫画に対してはかなりハードボイルドな態度をとっているのだが、それでも時々〈宇宙家族カールビンソン〉〈Shadow
Skill影技〉のように連載再開であわてて買い戻したりするので、常時本棚の三段くらいはつねに漫画が占めている。だが、本棚の惨状を引き起こした戦犯が漫画とはとうてい考えられなかった。
(全ての元凶は文庫本だ)
仕事が進まずオーバーヒート気味の頭に、突如天恵のごとく、いささか短絡的な考えが閃いた。
文庫本をなんとかすれば部屋はきれいに片づくはずだ。だって、この部屋のあちこちに散乱しているのは文庫ばかりではないか。しかも手元には最近届いたばかりの「粛正リスト=〈文庫三昧、ふるほん文庫やさん在庫目録〉」がある。
「文庫本問題の最終的解決法」
と、呟きながらグフグフと笑う姿はかなり不気味だっただろう。だがその時すでに客観的な思考はとうに失せていた。
試しに手近な早川文庫の販売価格を調べて見ると、〈画像文明〉〈プロジェクトゼロ〉〈銀河乞食軍団〉これらは680円。〈バーサーカー〉〈銀河辺境〉は880円。創元推理文庫では〈終点:大宇宙!〉になんと1280円もの値段がついているじゃないか。もしこれらが、仮に販売価格の二割で売れるなら。
回っていないお寿司が食べられる!
勢い込んで買い取りの規約を読んでみると、基本的に出版社定価の一割、売り出し価格が1280円のものでも160円でしか売れない。しかも、美本が望ましい……。
世の中うまい話などないらしい。
冷静になって考えると、たとえば定価220円の本を160円買ってくれると言われてはたして売るだろうか? いくら金になるからといって〈冒険の惑星〉を手放す気には、絶対にならないだろう。確かに購入したのは古本屋の百円コーナーでだったが、このシリーズ四冊を手に入れるために、どれだけ苦労したことか。
思えば、これまでSF小説を手にいれるため、あちこちかけずり回って来た。
単行本が手に入らず文庫落ちを待ちこがれていた〈エリヌス−戒厳令−〉。全三巻のうちなぜか第一巻だけ抜けていて二年以上捜し回った〈消滅の光輪〉。〈レモン月夜の宇宙船〉は四国の古本屋で偶然手に入れ狂喜した。その他、〈天の光はすべて星〉〈バケツ一杯の空気〉〈果てしなき旅路〉〈異星の人〉〈クラッシャー・ジョー〉〈大いなる惑星〉等々、SFにだけ限ってもどれもこれも手に入れたときや、もちろん読み終わったときの思い出がありすぎて、とてもじゃないが手放せない。たとえ普段は本棚の奥で埃にまみれているとしてもだ。
〈「超」整理法〉の著者がいうように本は「センチメンタル・バリア」が一般的にもひどく強い。
僕を含めたある種のSFファンは小説を自我の延長としている場合が多い。並べられたタイトルがこれまでたどってきた人生を表しているといっても過言ではないだろう。
配偶者や家族、戦友よりも本が大切だというのは、ある意味当然かも入れない。だって、本は自分の魂の構成部品なのだから。
結論が出ると急に仕事をする意欲がなくなってしまった。
しかし現状は、というとほとんどなにも変わっていない。確かに自分の心は大切だが、物体化した心に押しつぶされて死ぬなんて。Fブラウンの短編じゃあるまいし。
思案投げ首で本棚を見ていると、ふと、似たようなタイトルの本が結構あることに気がついた。いや、まったく同じ本がかなりだぶっているじゃないか。〈終わりなき索敵〉が文庫とハードカバーで。〈石の血脈〉が違う会社の文庫で。〈旅のラゴス〉は表紙が違うだけで後はまったく同じ。SF以外のジャンルもぼろぼろと似たようなものが見つかっていく。さらにその過程で、自我を構成しないような〈こちら異星人対策局〉〈ポストマン・新訳版〉(古い方は見つからなかった)なども見つかって……。
結局、紙袋一杯分の本を古本屋に売り払うことで当初の作戦目的である机の確保は達成されてしまったのだった。
古本屋の帰り、手に入れたばかりの〈キャッチ=22〉がひどく軽く感じられた。