師走も下旬に入った二一日、その年最後の「お大師さん」、通称「仕舞い弘法」の露天市に出かけた。
四天王寺の門前は夕方の阪急梅田コンコースくらいの混みようだった。といってもいったい何人がわかるだろう? まあ、数は多いけれど両手に荷物を持っても十分通れるくらいの人出だ。門前から境内へ所狭しと、いろいろな種類の露天が並び、それ以上の数の商売人で活気付いている。
七味唐辛子。
高野槇。
明石焼き(たこ焼きにあらず)、八個四百円。
カレンダー、一つ千円也どれも趣味悪し、デコトラの車内用? のし袋・ぽち袋、隅の方に香典袋。
線香と仏具。
鯛焼き、一匹百円、しっぽに餡がない!
組み紐各種。
助け合い募金。
高齢者向けサポーター。
天津甘栗。
南洋乾物、どれも大正の方が安い。
龍の置物、狸、福助。
吊し柿、一筋七百円、本当に国内産か?
どんぐりあめ、一つ三十円、昔は十円だったのだが。
真綿、キロ二千二百円、ちゃんちゃんこによいそうな。
女性用カツラ。
シクラメン、白赤紫二百鉢以上。葉牡丹、小三百円、大二千円。松・南天・葉牡丹の寄せ植え千五百円から。その他に和蘭・洋蘭など鉢物多種多数。冷たい空気に甘い香りが溶けている。
托鉢僧。
乞食。
ままごと用プラスチック製玩具、タイムスリップしたような店先。 棒鱈。
明太子、産地直送海産干物、来月も来るから変な物は売らないよ
各種お茶、おかき、せんべい。
お好み焼き、一つ百円、いうまでもないがごく小さい。
チヂミ。
経木。
エトセラエトセラ……。
目についただけでもざっとこれくらいのものがあったが、これらの露天は実を言うと「お大師さん」の市の中ではまったくの付け足しだ。ここでの一番の売り物、それは古着・古道具といった広い意味での中古品、骨董だ。ちなみにこの市は別名「ぼろ市」とも呼ばれている。
関西では同じく毎月二一日に行われる京都東寺などでもぼろ市が開かれるが、四天王寺はより日常品に近い、はっきりいえばよりゴミに近い品物が並べられているといわれている。ゆえに値段は外国人観光客のコースに組み入れられている東寺よりも、四天王寺の方がかなりリーズナブルだ。
だから、掘り出し物をより安く手に入れたいのなら、四天王寺のぼろ市に行けという人がいるが、残念ながらこれは半可通による俗説の類だ。この市に店を出している商人達は、関西一円の骨董市やぼろ市を回っているか、どこかに店を構えていて市の立つ日は臨時休業して出てきている。従って自分の持っている物がいくらくらいで売れるかについては、極めてよくわきまえている。
最近流行の古布の店、三十センチ四方の端切れが五千円以上するのだが、おばさん達が何枚も買っていく。
吉野の山奥にあるような田舎家から運んできたような釣瓶や五徳などの民具、わら細工用の木製の錘が欲しかったが二千円は高い。
毛沢東の描かれた腕時計と胡志明の彫られた写真立が仲良く並んだ店先。
緑色のブリキのロボット、ただし片腕はない。
かび臭い商人コート。古着屋がひどく多いがなぜどれもあんなにデザインが古くさいのだろう?
古靴。誰かが履いていた形跡がある。
ボブ=マーリイと五木ひろしのテープを置いた店から宇田多ヒカルの声が流れる。
いかにも古い階段箪笥には多くの人が集まっているがどうやって持って帰るのか? 値段は応相談。いったい幾らふっかけるのか。
お猪口、そば猪口、色小皿。
火鉢、あんどん、ついたて。
商品よりも魅力的なお姐さん。
大観風の掛け軸、七万円。
そんな、商品や露天を冷やかしながら目当ての店先についた。 そこは話に聞いていたとおり、戦前の古い教科書が五十冊以上並べられていた。国語の教科書が圧倒的に多く、また内容も興味深い物が多かった。けれども有名な尋常小学校一年の国語の教科書などはなく、またどれも紙の質がとても悪く劣化がひどかった。
冒頭が明治天皇の御製になっているものをぱらぱらと見る。なかなか面白かったが、試しに購入するには値段が高すぎ、あきらめて元に戻したとき、修身の本の後ろに隠れて高等小学校(現在の中学)の地理の教科書があるのを見つけた。
値段は安かったがその分状態が悪く、書き込みもかなり多かった。あまり期待しなかったが、試しにページの適当な所を開くと次のような文章が目に留まった。
〈トーレス海峡に木曜島あり、亦我が國汽船の寄港地にして、こゝより大陸の北岸地方にかけては本邦人在留して眞珠貝の採取に従事するもの少なからず。〉
「木曜島の夜会(司馬遼太郎)」の元ネタを期せずして発見したのだった。奥付を見ると大正十年“翻刻”となっている。いい加減寒くなってきたので、思い切って購入することにした。
この後、無料で開放されている伽藍を見物し、一杯百円の甘酒を飲んで四天王寺を後にした。正午を過ぎてまだまだ人出は多くなっていくようだった。
家に帰りついてから早速本日の戦利品を検分にかかったのだが、数ページをめくったところで、一枚の葉書を見つけた。消印は二年、多分昭和だろう。裏に書かれた数代に渡る持ち主達の名前の一つと宛名が合致した。かなり癖のある字で読みにくい。
手紙の書かれたシチエーションはわかりづらいが、多分学校にいっている同年代の友達にあてた手紙だろう。入学するという記述からもしかするとこの手紙の主は一三歳前後と思って無理はないだろう。〈真面目に奮励なさい〉などの表現が時代を感じさせてなかなか楽しかったのだが、ふと気になって歴史年表を開いてみた。
昭和二年(1927年)とは。有名な失言恐慌で銀行が連鎖休業に追い込まれ、中国山東への出兵が行われ、芥川龍之介がぼんやりとした不安を抱いて自殺した年。世界ではリンドバーグが大西洋を渡り、ジュネーブ軍縮会議は失敗に終わる。そして、ぼんやりとした不安はこの二年後にニューヨークで現実のものとなり、ここから世界は暗い戦争へ転がり落ちてゆく。
この手紙をやりとりした少年達のその後どうなったのか。さらにこの教科書を代々受け継いだ兄弟達の運命について。
また仮に彼らが平均寿命を全うしたとしても、もうこの世にはいないということ。
不意に僕は強い思いに捕らわれた。
圧倒的な時間の流れに思いをはせたとき、二十世紀があと一年あまりにせまったという事実がリアルなものとして感じられた。この古い教科書を手にした人々が幸せな人生を送った事を、心から祈った。そしてもうしばらくすると二十世紀最後の年がやってくる。
西暦二千年が皆様にとって良い年となりますように。