ある夏の思い出

黒川[師団付撮影班]憲昭

つい最近、ある人気男性歌手が覚醒剤の所持で警察に捕まった。事件はNHKをはじめとする各テレビ局の定時ニュースで即日報道され、四大全国紙の社会面に写真入りで取り上げられた。
 反面、芸能人がらみのネタならば異様に活気づくはずのワードショーや女性週刊誌の報道がおしなべて低調だったのは、この事件がどれだけシャレにならないことなのかを如実に物語っておりなかなかに興味深いことだ。
 さて、この事件の第一報を聞いたときにすぐに思い浮かんだのは件の歌手のあまり芸能人らしくない顔と、今から十数年前のちょうど同じ夏に僕たちが企て、あと一歩のところで失敗に終わったある犯罪のことだった。
 もうそろそろ時効だし、関係者はその当時みんな未成年だった。しかも数日の差で危うく成功しかけたとはいえ、結局は未遂に終わったことなのでもう話してもいいだろう。
 いまから十数年前。
 県庁があること以外にはこれといっためぼしいものもない、ごくありふれた地方都市でのことだった。
 その夏も暇を持て余していたティーンエイジャーであった僕は、夏休みに入っても毎日のように学校に出かけていた。それは別に体育会系の部活をしていたわけでも勉強熱心だったからでもない。
 強いて理由を挙げるならば、校則でアルバイトは禁止されていたこと、所属していた写真部の部室には扇風機と冷蔵庫があったこと、たまり場になっていた校舎の屋上にある無線部の掘っ建て小屋ではFENが聞けたし、そこには教師の見回りもめったにこなかったことなどいろいろとあるだろう。
 もっともその当時はただ何の気なしに集まって、テレビ番組や女の子のことを話しながら、だらだらと時間を過ごす仲間がいることに別に大した疑問も抱かなかった。
 そんな夏の日も半ばを過ぎたある日のこと。
 ラジオから流れるジョン・デンバーの楽天的なカントリーを聞きながら、去年の冬から置きっぱなしの少年サンデーをぱらぱらとめくっていると、友人のTが部室に入ってきた。
 そこには僕を含め既に三人ほどが思い思いに暇をつぶしていたが、Tが入ってくるとみな顔を上げた。その日は前日にTから電話があり絶対にくるようにといわれてからだ。
 こちらが何か言う前に、Tは鞄から分厚い本とビニール袋を取り出した。ビニール袋の中にはしおれた葉が入っていた。
「ちょっとすごいぜ、これはちょっと」
 Tは興奮したときの口癖である、ちょっとを連発した。
 説明を聞くまでもなく、僕たちは急いで貸し出し禁止のシールが貼られた牧野富太郎植物辞典の索引を探し、目指すページを開いた。そして、ビニールの中にある植物の葉の名前を確認した。
 その図版の下には「大麻」とキャプションが印刷されていた。  僕たちは興奮してTをこづきながら説明を聞いた。Tは笑いながら早口でこの戦利品をいかに入手したかを語った。
 Tの家は市のはずれに近い小高い山の近くで農業をしていた。商売柄、Tは植物に詳しく部室にもよく山からとってきたアケビや山桃を持ってきた。
 ちょうど数日前、カブトムシを捕まえるためにTは雑木林の中をうろついていた。捕まえたのを文房具屋に叩き売れば結構よい小遣い稼ぎになったのだ。もっともここ数年来、Tの乱獲によりカブトムシの数はだいぶ少なくなっていて、そのためTは毎年新しいフィールドの開拓を迫られ、そのテリトリーを山の裏側まで広げていた。
 その日はぼうずでいい加減疲れたので、家に帰ろうとあるかないかの細い山道を歩いていると、Tは道を間違えたことに気がついた。元の道に戻ろうとしたとき辺りをみて少しおかしな感じがした。
 そこは雑木林の間に出来たちょっとした空き地で、以前に畑でも合ったのだろうか妙に平坦だった。けれどもそこには作物はなく、背の高い草が一面に生えているだけだった。
 ふとTはその草をどこかでつい最近見たような気がした。何の気なしに一本むしると、Tはきた道を戻っていった。
 家に帰ると、ちょうどTのおばあさんも畑から帰ってきたらしく鍬を洗っていた。昔から山でとってきたものは、すべておばあさんに見せて、食べられるものかどうかその正体について聞くのがTの習慣だった。
 おばあさんはTのとってきた草を見ると、いつものようにのんびりとした口調でいった。
「ああ、これは麻だねえ。昔はこれでよく糸をとって売りにいったもんだ」
 もちろんTは糸をとる以外の、有効な使用法についても知っていた。あわてて自分の部屋に戻って布団の間に隠してあったプレイボーイをめくると、目当てのページを見つけだした。グラビア以外のページでこんなに興奮するのは初めてのことだった。   
 Tの話の途中ですでに作戦会議は始まっていた。とってきた葉っぱは給水塔の上で干したら目立たないだろう、出来たらタバコにして部室の天井裏に隠せばばれないはずだ、一緒に楽しむことを許可するのは誰とだれかなどなど。
 僕たちはティーンエイジャーらしく芸能界についてはとても詳しく、数ヶ月前あるロックバンドがマリファナを吸って捕まったことも当然知っていた。その事実は僕たちをいっそう興奮させた。
 一人が、もし取りにいったとき暴力団と鉢合わせしたらどうしようといいだした。そのときのために、見張り役と偵察部隊をつくりみなそれぞれ竹刀や金属バットで武装することに決まった。
 景気づけと大麻を楽しむための練習のために、みなでTの持ってきたタバコを吸うことにした。吸っている途中にそれがメンソールタバコであることに気がついてあわてて消した。
 さて、その翌日。学校に集まった僕らはTの案内で秘密の栽培所に向かった。みなそれぞれにいろいろなエモノを持っていた。僕はBB弾を充填したガバメントをナップザックの中に隠していた。その当時も自分自身の行動が幼稚だと思ったが、なぜか持ってきてしまった。
 Tを先頭に山道をしばらく歩いた後、Tは全員に止まれの合図をした。そして独りで雑木林の奥へと進んでいった。
 しばらくして突然、Tのわめき声が聞こえた。
 僕たちは役割も忘れてTのところに走った。そして、雑木林が開けたところで呆然と立ちつくした。
 そこに大麻は無く、日差しの中で土が白く乾いているだけだった。
 結局、その翌日から僕たちはまた暇な生活に戻ることになった。 あきらめきれないTは、せめてとってきた分だけでもと思ったらしいが、肝心の大麻の入ったビニール袋がどこをどう探しても見つからずどうしようもなかった。
 これはよその県の大学にいってから気がついたのだが、もしかするとあの大麻は植物辞典に挟まれたまま、いまも学校の図書館にあるのかもしれない。だがすでに探しにゆく気にはなれなかった。
 良いことも、悪いことも、年相応に少しずつ経験した今、大麻を見つけてもあのときのように興奮はしないだろう。
 だって麻薬や覚醒剤はあまりにリスクが高すぎるからだ。
 司法関係者の間では、覚醒剤の使用・所持・売買の量刑はグラム一年といわれている。
 再犯にはまず執行猶予はつかないし、常習者に懲役十年の判決が出ることはざらにある。殺人事件だって情状が認められれば懲役五、六年であることを知ればその刑の重さがよく分かる。
 しかも、覚醒剤で捕まることが社会的な生命の抹殺に繋がるのはあの男性歌手の一件をみればわかる。逮捕の翌日には彼のCDは店頭から消え、その曲がラジオや有線で流れることは無くなった。
 最後に香川県警に勤める人がいうには、覚醒剤の常用者にはある共通した癖や傾向があり、ちょっとしたコツで一〇〇パーセント確実に判別できるという。
 どうやら薬物は空想と思い出の世界にとどめるのが無難だろう。



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