破滅する日を過ぎても

黒川[師団付撮影班]憲昭

 気がついたら世紀末でした。
 皆さま方におかれましては一九九九年七の月をいかがお過ごしでしょうか。
 自宅の核シェルターでお暮らしの方、クレジットカードを目一杯作って買い物三昧の人、或いは遠く離れた山のなかで静かな祈りの日々を送られている、などそれぞれにお忙しいことと思います。
 なにせ、予定でいけば「今月」で世界は破滅するのですから、いろいろとやり残したことが多いこととお察しいたします。
 ところで最近新聞やテレビでは「今月」を待つことが出来ず自分たちの手で世界を破滅させようとしたせっかちな宗教団体の残党達の活動を、法律で規制しようとする動きが伝えられています。
 確かに、あの宗教団体がお隣に引っ越してくるということに、原発や米軍それに産廃施設が町内にやってくるのと同じくらい、不安を感じるというのは無理のないことです。
 しかも聞くところによると、宗教団体の人々は今も世界の破滅だけを心の支えにして生きているらしいのです。でも、もし「今月」なにもなかったら彼らはいったいどうするつもりなのか? 
 信者達もさることながら、思いもよらず関わり合いになった方々の心中穏やかでないことご同情申し上げます。
 はたして予言がはずれた時、それを信じる者達にいったいなにが起こるのか?
 このことについては、社会心理学がどうやら回答に近いものを用意しているようです。法律論争の前にとりあえず、ある社会心理学者のフィールドワークについて見るとにしましょう。
 時代は少し遡って五十年代のアメリカはシカゴでのこと。
 ある日「もうすぐ世界の終わりがやってくる(彼らも一九九九年を待てなかったのですね)」、と主張する教団があることをミネソタ大学の三人の社会学者が聞きつけました。
 教団の主張する終末の日が近いことを知った彼らは、自分たちも教団の信者になることが必要だと考えました。そして雇い入れた数人の観察者と共に教団に潜入した彼らは、破滅を預言された日の前後の様子を詳細に記述したのです。
 潜入したのは総勢三十名ほどの小さな教団でした。指導者は中年の夫妻で夫の方は超自然現象、特に空飛ぶ円盤(いかにも五十年代的ですね)の権威としてグループの中で尊敬されていました。でも教団の中心になっていたのはもっぱら妻の方で、彼女は「ガーディアンズ」と呼ぶ他の惑星に住む知的生命体からの信号を受信し、「自動書記」によりそのメッセージを皆に伝えたのです。現在の業界用語でいうところのチャネラーといった役どころでしょうか。
 ある時教団の人々は彼女の伝えるメッセージが、恐ろしいことに世界の破滅することを警告するものであることに気づき愕然としました(伝えるところ彼女の受信機としての能力はあまり高くなく、その内容を解釈するにあたって幾度も議論が交わされたそうです)。
 その後メッセージの「解釈」が進むにつれ、世界は大洪水により滅亡すること、その前に信者達は空飛ぶ円盤により救助され全員災厄から逃れることが出来ることなどがわかりました。
 信者はその宗教体系に深くコミットしていたため、あるものは社会的な地位を捨て、またあるものは財産を放棄して来るべき日に備えました。当然、信者達には強力な社会的・経済的・法律的圧力がかかったのですが、それは信者達の信念を逆にいよいよ強めることとなったのです。
 また信者達はあまりに自分たちの信念が強かったので、教義を積極的に広めようとはせず努めて秘密とし、詰めかける報道陣に対しては破滅について公表する事を避けて、改宗者を増やすこともしませんでした(空飛ぶ円盤にも定員があると考えていたのでしょう)。
 そして、ついにその日はやってきました。
 その日は三人の学者と観察者の前では不条理劇さながらの、興味深い心理的な葛藤が繰り広げられたのですが、ここでは割愛します。
 空飛ぶ円盤が迎えにくるはずの午前零時を過ぎたころから、信者達に変化が始まりました。一つは「自動書記」が突然メッセージを伝え始め、信者達の祈りのおかげで破滅が避けられたことを告げたのです。このとき信者の一人は黙って部屋を立ち去りました。
 次に、預言がはずれた理由を公表せよというメッセージがもたらされました。こうしてこれまで秘密主義を貫いてきた信者達の方針はその瞬間から劇的に変わり、教義に対する広い支持と、新たな信者を求め始めたのです。
 信者達は自己の信念のためにあまりにも多くのものを犠牲にしており、それが崩壊することに耐えられませんでした。円盤の来訪が物理的に否定されたとき、自己の信念を守るためには、社会にそれが正しいことだと認めてもらう以外に道はなかったのです。
 半分やけになっていたせいか、結局は新しい信者を増やすことは失敗に終わった。教団は破滅の日から三週間もしないうちに解体し、人々はちりぢりになり、社会学者の論文だけが後に残りました。
 もっとも破滅を予言して「はずした」集団のすべてが崩壊するわけではなく逆に布教の努力が実を結び、信念の社会的証明に成功したものもあります。その例として一五三三年に破滅を予言したオランダの再洗礼派は、翌年から大規模な信者獲得運動を展開して大いに隆盛を誇ったと記録されています。
 ここで、結論をまとめてみると。

  1. 破滅する日が過ぎたとしても彼らはすぐに考えを改めるわけではない。
  2. それどころか自分達の信念を正当化するために新たな信者を求める。
  3. 信者の拡大に失敗してゆくなかで徐々に集団は解体してゆく。

ということがわかります。
 集団の規模や構成員のコミットメントの深さの違いにより、集団の崩壊または縮小の速度は違ってきますが、いずれにせよ集団が自己の存在の正当性を証明するための新しい構成員或いは賛同者の獲得が出来なくなるか、あるいは不可能というコンセンサスが集団内部に出来た時点で集団は消滅すると思われます。
 以上のことを例の宗教団体にあてはめてみると、今月何も起こらなくても教団がすぐに解散する訳ではないでしょう(すでに破滅は九五年の教祖の逮捕の時、或いはそれ以前の参議院選挙の時に起こっていたともいえます)。そして新たな信者を獲得するための動きは「今月」を過ぎるとますます強くなるが、一方でその思想は先鋭的なものから多数の人々が受け入れ可能なより穏健なものに変化してゆくことが予想されます。後は、この先信者が増えるかどうかが教団消滅の鍵となってくる訳ですが、このことについて個人的にはまず不可能だと思います。
 思想が軟化してゆくことにより、つまり他の宗教と似たようなものになっていくとき、教団に所属することによって得られる満足感は低くなり、デメリットがニーズを大幅に上回ってしまうのです。
 このことは教団も本能的にわかっているようですが、しかしながら現在の「殺人を許容する教義」を持ったままでは一般への浸透は不可能であることは、遠からず彼らも納得せざる得ないでしょう(特に経済的状況がそうさせることと思います)。
 行政当局が目指すべきなのは、活動を法的に規制する事ではなく、信者の数を増やさないようにして自然消滅を待つことでしょう。法律で人の信念を変えようとすることは非効率でかえって結束を高めることの方が多く、それよりも現行の法制度を使った経済的締め付けという一見迂遠な方法がこの場合近道だと思うのです。
 そうして待つことにより教団は無害化の方向に向かうか、自壊するか、どちらかの道を行くと思われます。いずれにせよ半世紀も待てば教団は歴史上の存在になっていることでしょう。
 もっとも、「今月」で世界が終わるなら彼らも、私たちも別に法律の心配などしなくても良いので、それはそれで結構なことかもしれません。
 何はともあれ皆様も残り少ない七月を心おきなくお楽しみ下さい。
 ではまた来月、もしくは来世にてお目にかかれますように。
 失礼しました。

追記 落下物防止用のヘルメットが八月からいらなくなるので必要な方はご連絡下さい。価格は応相談。



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