中古ゲームソフト裁判リポート

黒川[師団付撮影班]憲昭

 ハードに電源を入れると同時にディスクの読み込みが始まる。ソフトメーカーの商標が映し出され、その後しばらく画面は暗転する。スピーカーから荘重だがどことなく不安に満ちたモチーフのテーマ音楽が流れ出す。画面の一角から光が現れてしだいになにかの姿が現れてくる。それは巨大な石版でありその表面にはイタリック体で大きな文字が刻まれている。
『The war of used gamesofts』
 ナレーションが流れる。
「時に西暦一九九八年一月。混沌と悪徳のはびこる中古ゲームソフト市場を一掃すべく、CESA(社団法人コンピュータエンターテイメントソフトウェア協会)は〈違法中古ソフト撲滅キャンペーン〉を開始したのだった。
 あなたの使命はゲームソフト会社の一員となり販売協定、出荷調整、民事訴訟などあらゆる手段を使ってこの世界から中古ソフトを〈撲滅〉することである。
 敵は中古ソフト店、公正取引委員会、台湾製エミュレーターなど手強いものばかりだ。しかしひるんではいけない。違法な行いに天誅を下し、ゲームメーカーの正当な著作権と利益を守るべく戦うのだ。
 勇者よゲームソフトの未来のためにいまこそ立ち上がれ」

Press Start

 と、いうような訳で中古ゲームソフトを〈撲滅〉しようとするゲームメーカーの戦闘がここ数年来続いてきたのだが、つい最近この戦いの行方を大きく左右する重大な判決が先月の二八日に東京地裁で下された。
 結論からいうと「中古ゲームソフトの自由販売を認める」というメーカー側全面敗訴の判決であり、まさに法律的なクリティカル・ヒットをゲームメーカーは受けたのだ。これと同種の訴訟が大阪地裁にて係争中で年内にも判決が言い渡されそうなのだが、もしここでも同様な判断がなされるなら、中古ゲームソフトは適法という判例が定着する公算が大きい。そうなればゲームメーカ側の敗退によるゲームオーバーとなる。いうまでもないがこの手のゲームにはセーブポイントもなければリセットボタンも存在しない。
 もっとも苦戦は最初から予測されていたともいえる。
 現在ゲームメーカーの唱えている、中古ゲームソフト違法論の根拠は控えめにいってかなり怪しいものがあり、〈撲滅キャンペーン〉が始まった当初から法律関係者の間ではかなり強い疑問の声があがっていたのだ。
 ゲームメーカーの主張は簡単にいうと、]

  1. ゲームソフトは「映画の著作物」に該当する。
  2. 「映画の著作物」であるので「頒布権」が認められる。

 というものでありゲームメーカーのそもそもの狙いはゲームソフトに頒布権を認めさせることだったと推測される。この頒布権とは簡単にいえば、著作権者がソフトの譲渡などを制限することができる権利である。
 通常、本やCDなどの著作物の複製品は最初に販売された時点で頒布権を失うと想定されており、欧米諸国でもファーストセール・ドクトリン(複製物が最初に適法に販売された後は効力が及ばない・第一次販売の法理)として確立されている。
 その著作物の中でほとんど唯一の例外として、映画にだけ販売後の頒布権が認められているといっていいだろう。この権利は市場経済の原理を取り入れている国家ではかなりイレギュラーなものであることは間違いない。たとえば、自動車を購入して代金を支払った後も、他の人に転売するときにはいちいち製造メーカーの許可を受けねばならないといえば、たいていの人がおかしいと感じるはずだ。 そのおかしなことがなぜ映画にだけはまかり通っているのか。それは国際条約や歴史的な経緯、そして著作権が立法された当時の映画配給会社の社会的な影響力など複雑な事情があるのだが、説明が煩雑になるのでここでは映画の持つ「歴史的な既得権」だと考えてもらっていいだろう。
 映画の頒布権が立法されたのは、劇場用映画フィルムは配給会社を通して各映画館に貸すなどの制度があり、その行き先をメーカー側が指定する権利としてであり、それを法的に担保するためだった。
 判決が指摘したまず第一点はこのような法律の趣旨であり、映画館が勝手に上映したら映画会社の経営が成り立たない劇場用映画と、多数の製品を直接消費者に販売するゲームソフトは本質的に違うという立場を今回はとった。
 さらにこの判決では、もっと根本的なところでゲームメーカーの主張が覆されたのが大きかった。ゲームソフトは映画に類するものである、というゲームメーカーの大前提が否定されたのだ。これはある意味で今後の裁判を決定ずける判断になるかもしれない。
 判決で「映画の著作物」とは、劇場用映画のように同一の連続映像が常に再現されるものと定義された。
 それに対してゲームソフトは同じものを利用しても、プレーヤーの操作に応じて、画面に表示される映像の内容や順番がその度ごとに違い、ゲームソフトは映画の著作物の定義からはずれている、という判断が下された。
 もう一度ここで判決の要点を整理すると。

  1. 映画とゲームソフトでは提供される形態が違う(立法の趣旨による判断)。
  2. ゲームは映画の定義に当てはまらない(立法の要件による判断)。

 こうしてみると、今回の判決は非常に常識的な線に沿ったものであり、わかりやすいものといえるだろう。ゲームソフトを「映画の著作物」ということ自体が、もともとかなり強引な論法であり、これからも頒布権を主張してゆくのはかなり苦しいといわざる得ない。それだけにゲームメーカーとしては今後の裁判において苦しい戦いを余儀なくされるだろう。
 そもそもゲームメーカーが今回のような裁判を始めたのは、中古ゲームソフトの流通により、開発資金が回収できなくなるという危機感からだった。そこで中古販売をやめさせるための手段として訴訟を起こしたのだが、現在の法体系ではそれが難しいことを今回の判決は示している。
 パソコンソフトの様にあらかじめケース表面に「中古販売の禁止」、「包装を破った時点でこの条件に同意がなされたとする」旨を印刷し販売する方法もあるが、そもそもこのような形で所有権を制限することができるかどうかは法的にも難しい問題だ(実際このようなシュリンクラップ契約を無効とする判決も米国で出ている)。
 法律的にもっともはっきりした解決方法は、中古ソフトについて新たな法律を制定することなのだが、これにはねばり強いロビー活動と相当な年月が必要になるだろう。
 このように法的な規制が難しい以上ゲームメーカーにとって残された選択肢は技術的に中古ゲームソフトを使用不能にすることだ。
 考えられるものの一つとして、ハードごとに固有のシリアルナンバーを持たせ、最初にソフトを立ち上げたときにソフトに対してそのナンバーを電子的に刻印する。その後は毎回ソフトを立ち上げるたびに、ハードとソフトのシリアルナンバーが一致しているかどうか調べ、同一のものだけを認識するという方法が考えられる。もっともこの方法だと、本体に新たに媒体に対する書き込み装置が必要になり、そうなると当然ハードの値段はかなり高くなってしまう。
 このほかにもソフトそのものの材料を工夫して、ある一定以上使用すると自然に劣化して使用できなくなるようにする。ロムカセットのように内蔵電池に類するものの寿命が、事実上ソフトの使用期限とするなどのアイディアがあるがどれも一長一短である。
 これからゲームの開発費はますます膨らんでくることが予想され、ゲームメーカーの収益は苦しいものとなるだろう。またこの問題はこれからのデジタルコンテンツの販売にも大きな影響をもたらす、一つのテストケースとして考えられる。ゲームメーカーによる中古ソフト〈撲滅〉への戦いをこれからも注視してゆきたい。

To be continue



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