宇宙のはてまで追いかけて

黒川[師団付撮影班]憲昭

 外宇宙観測艦サンクトペテルブルグのアレクサンドル観測員がその奇妙なメールを見つけたのは、当直が明けてからすぐのことだった。眠る前にプライベートなデータファイルを処理しておこうと思ったとき艦外から彼宛にメールが、それも外部から親展扱いで届いているのを見つけたのだ。早速CRTに内容を表示させたとき、彼の顔に困惑の表情が浮かんだ。そして読み続けるうちに困惑の色はさらに深まっていった。
「宇宙で働く労働者のみなさんへ。
 航宙士のみなさんこんにちわ。いよいよ、今年もまた私たち労働者にとってとても大切な季節がやってきましたね。これまでも搾取を続ける資本家とその傀儡である各国政府機関によって、私たち労働者は長い間苦しめられてきました。けれども彼らが隠れ蓑に使う国際連合や各紛争処理機関による調停という名の誤魔化しがいつまでも続くと思っていてもそうはゆきません。今年こそ私たち宇宙労働者は一致団結して立ち上がらなければならないのです」
 ここまで読んでどうやらこのメールはアレクサンドル個人宛ではなく、共用回線で使われるアドレスパターンを解析して無差別に送りつけられたものらしいことが解った。
 それにしては内容が今ひとつ理解できないし、親しげな言葉遣いの裏になにやらぶっそうな気配が文面の端々からうかがえた。艦のメインサーバーに設けられたファイヤーウォールはかなり信頼性の高いものであったが、念のためアレクサンドルはこの転送されてきたファイルに対してウィルススキャンを実行した。
「さて、労働者のみなさん。今日は私たちが今まさに直面しているとても大きな問題についてお話したいと思います。先日、宇宙船主協会は私たちの生活に関わる賃金について、許し難い発表をおこないました。
 これまで私たちの給与は地球のグリニッジ標準時を基本とする絶対時間制度を基に支払われていました。ところが彼ら資本家達はこの制度を一方的に廃し、これからは各船の主観時間による相対時間制度を導入すると通告してきたのです。
 この決定に際しては事前に何も私たち労働者と話し合われることなく、資本家による一方的かつ強引な通告があったのみでした。
 もしこの制度が導入されたならば、近い将来に予想される恒星間航路の乗組員達にとって大きな不利益になることは確実です。仮に亜高速で航宙をおこなった場合、地球では十年以上の時間が経ったとしても船内の主観時間を基にしたとき、場合によれば数ヶ月分の給料しか支払われないことになってしまうのです。
 このような暴挙を私たちは断じて許してはなりません。これから新しいフロンティアを目指す次世代の航宙士のため、なんとしてもこれまでの賃金体系を維持し、だれもが希望を持てるような宇宙を築いていこうではありませんか。
 私たちはこれから宇宙船主協会との協議に際して、回答に納得が得られない場合、ストライキを含めたあらゆる手段をとるつもりです。私たちの生活を守るためにもより多くの方々に支援していただけると信じております。
 春闘80闘争委員会にあなたもぜひご参加ください」
 メールはそこで終わっていた。最後に記されたメールの発信元と時間を見て、これが地球で彼の船が出航してから数年後に書かれたものであることに気づいた。どうりで「季節」「ストライキ」などよくわからない新しい言葉が、多く使われているはずだった。
 冗長で妙になれなれしく、そのうえ恫喝しているような文章ではあったが、アレクサンドルにとっては実に興味深い内容だった。特に後半の相対時間制度の導入という下りは彼自身にも関係していることでもあり、それどうなったのか是非とも知りたいと思った。
 百時間程前に1Gによる定常加速を終えた外宇宙観測艦サンクトペテルブルグにはこれから三百日以上の長い減速が待っている。この間地球ではいったいどのくらいの時間が経っているのだろうか。願わくば宇宙で働く労働者諸君が、彼らの権利を守り通すことをアレクサンドルは心から祈った。

 みなさん、確定申告はお済みになりまたか?
 この画報が届く頃には税務署との攻防はほとんどのみなさんが終えられていると思いますが、これまで話を聞くにつれ酷税庁(変換ミスだがあえて直さない)に対して勝ちをおさめるのはなかなかに難しいようです。
 そしてサラリーマンにとっては春闘の行方が気に……、かからないでしょうね。実際この数年組合に対しては高い組合費を取る割にちっとも役に立たない、という怒りの声をよく耳にします。このままでゆくと、いずれ春闘という言葉も死語になるのではないでしょうか。そうなるとアレクサンドルがあのようなメールを受け取ることもないのでしょうが、あんがい頑固者というのは長く生き延びるもので、来世紀の終わり頃になってもまだ春闘を続けている人がいるかもしれません。
 ところで相対論的効果を給与計算に反映させるという考え方は航空宇宙軍史の中でSF史上初めて登場します。「終わりなき索敵」のなかでユリシーズ二世が命からがら空間流との接触から逃げだして地球に帰還してきたとき、通信が回復して最初に艦隊本部から送られてきた連絡事項の中に「相対論効果による航宙期間短縮があれば(給与が)減額される」という、事務的というか非人間的というか実に世知辛い通達が入ってくるのです。榛原特務大尉のいうとおり軍隊というのは「きわめつけに、前時代的で効率の悪い役所」であるのがひしひしと伝わる通達であります。
 このほかに税金を正面からテーマとして取り上げたSFとしてはA.C.クラークの連作短編「月に賭ける」の中の「居住期間の問題」という作品があります。これは役所の規則を逆手に取ったなかなか痛快な話であると同時に、外国人も税金に対しては日本人と似たような感想を持っていることがよくわかるものとなっています。ちなみにクラークがスリランカに移住したのはイギリスの税金の重さに耐えかねたからだ、という噂があるのですが真偽のほどは解りません(税金ではなく、食事だという説もあるらしい)。
 少し話が横道にそれましたが。宇宙で働く労働者の給与計算についてですが。この件に関しては当然のごとく現代の労働法に似たような条文はありません。船の乗組員の契約はその雇用会社が登記を行っている国の労働法によって決まってくるのですが、それはその国ごとにあまりにバラエティーに富んでおり一概にいうことは出来ません。また各雇用者の裁量の余地が大きいのも事実です。
 国際労働機関(ILO)が出来て以来、国際的な労働基準は労働者に有利になる傾向があります。このことから考えると、相対論的効果を給与計算に反映させるという契約は多分禁止されると思います。ただし軍隊で労働基準が守られるということはあまり考えない方がいいでしょう。そもそも軍隊という組織は労働者(=兵員)の労働条件、それどころか人権そのものを無視することによって成り立っているのでありどんなに逆行的な制度が取られても従うしかなく、一概に航空宇宙軍だけがひどいといえる訳ではないのです(でも、ヨーロッパのある国では兵士による労働組合があるそうですが本当でしょうか?知っている方がいればお教えください)。
 もっとも仮に相対論的効果が給与計算に反映されたとしても、航宙士というのは割のよい商売になるはずです。なぜならばこの亜高速で航行する宇宙船による相対論効果、いわゆるウラシマ効果を利用すれば、理論的にいえば少ない元金でも確実に金持ちになれるはずだからです。主観時間での一年が地球時間での百年に相当するならば、たとえ銀行預金の年利が3%であっても地球に帰ってきた頃には莫大な金額(元金の約19.21倍)になっているはずです。
 帰ってくるまで、預金を預けていた銀行あるいは国家が残っているかどうかはまた一つの賭けになりますが、未来に対して楽観的な展望を持っている方は是非機会があれば挑戦してみたらいかがでしょうか。上手くいけば莫大な富を手に入れることが出来ますし、もし上手くいかなくても、もう一度宇宙船で亜高速航行をしてくればいいだけなのですから。



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