甲゛州便り

川崎[漁師]博之

航空宇宙軍史の社会生態学

継ぐのはダレか

航宙軍と汎銀河世界の“外”に対する思いは、両極端にあるように見えて、一方的な思い込みという点で両者とも何らかに運命づけられているように、表裏一体となっているように思えます。
 「外におるのは敵や」と限定された情報源(SG)からえらい先の話しを聞いて思い込んでしまった航宙軍。軍というのは敵を攻撃して味方を守る役割を与えられているとはいえ、海のものとも山のものともわからぬうちに、“何がなんでも敵にしちゃう”ような政策を航宙軍は選んだのでしょうか。“敵を作らない”、“攻撃の意志を持たせない”というのも戦略であるし、“敵を知る”ちゅうのは基礎的な戦略ですよね。何やらこのへんをすっ飛ばして航宙軍はしゃにむに外にでていっているような気がするんですが。
 一方汎銀河世界にしたところで「外におるのは友や。航宙軍以外は味方や」と“伝説”を信じ、自分達の惑星から一度も飛び出さないうちから、外にいる友人達と連絡を取りあおうとする汎銀河人。方向付けられた進化、伝説があるといっても大気の底に居ながらにして恒星間世界を事実として認識出来る思い込み。なんでそこまで、出来るんでしょうか。
 敵と友。正反対のものでありながら「昨日の敵は今日の友」と成り得る相対的な価値観ですよね。航宙軍と汎銀河世界は同質のものだと思うわけです。「索敵」での戦いは汎銀河人達のゲリラ戦と、汎銀河連合という正規軍によるものとの2種類があると思います。ゲリラ戦の模様は独創的な固有性のある戦いでありましたが、連合軍という正規軍の持つものは航宙軍の体質と同様なものにならざるを得ないと思うのです。ダムダリは決して連合軍には加わらないだろうし、受け入れられないと思うのです。
 もしも汎銀河世界が反地球的・反航宙軍的なものを育んできたとしても、彼らが汎銀河連合軍という正規軍を結成した時にはすでに、航宙軍的なものは受け継がれてしまったと思うのです。
 汎銀河世界に植え付けられた外への方向性は本来なら別の形で出て行きたかったのかもしれませんが、反航宙軍闘争ということで出て行かざるを得なくなり、航宙軍と同じ土俵に上がらなければならなかったわけで、こうなれば好むと好まざるとに関らず、軍の体制、思考、体質は同化というか航宙軍化せざるを得なかったでしょう。
 戦後、汎銀河世界は各自の星域に戻るわけですが、銀河連合結成当時の概念が何の変質も受けずにいられたでしょうか。禁断の果実を喰ったアダム達は再びエデンの園に戻ることはかなわなかったように、恒星間宇宙に踏み出してしまったからには後戻り出来ないと思うのです。航宙軍という共通の敵が居り、共通の伝説を持っていたからには汎銀河連合が可能だったわけですが、航宙軍の敗北の後の伝説はどうなっているでしょうか。「悪い狼さんをやっつけたみんなはそれぞれ自分の家に帰って、末永く平和に暮らしましたとさ。めでたしめでたし」ってか。そうはイカのキン○マちゃいますか。
 彼らが銀河統一を望まなかったのは、第一に超光速航行の危険性についての技術問題点を航宙軍側よりよく理解していたこと。またその超光速技術の封印によって同時代性を失うことになる恒星間文明圏の無意味さをもわかっていた。またその必要性を感じなかったのは彼らの共通する“伝説”にしめされた方向性に再び外に出ていくことが明らかであったからかもしれません。彼らの置かれた状況は、技術的に恒星間交流はできないものの、心理的には恒星間の距離を越えて同胞達が居ることを認識しあっているという、全くの孤立化というのではないような気がします。
 確かに彼らが互いの空間の中に閉じこもっている限るにおいては、無用な衝突は起こらないかもしれません。しかしながら閉じられた空間内では彼らの種としての互いの固有性は高まっていくでしょうが、多様性という点では減少していってしまいます。小さく区分けされた空間がいくつか存在するより、それぞれの空間を包合する大きな空間の方が種の多様性が保たれるのです。“次なるもの”が生まれ出る可能性は突出した固有性より、さまざまな多様性が混在する中からの方が高いと思うのです。
 人間社会、文化の多様性はもちろん何時も平和に共有出来るとは限らないでしょうし、衝突が繰り返され互いが相手を包合しようとし、あるいは排除しようとし続けるでしょう。果たして人間社会において文化とか価値観の固有性を保持したまま共存が可能なのか、多様性を維持出来るのか難しい点ではあります。やはり共通の価値観認識が必要なのでしょうか。それを一方に推し進めれば均質な文明、価値観、統一された社会規範という“帝国”を望まなければならないのかもしれません。暗黙の了解であろうが、倫理観・宗教的な絶対正義でありょうが、認識の共有による“帝国化”において各々が交流し合うしかないのかもしれません。
 「索敵」においてマヤが予言しているように汎銀河人達は再び恒星間宇宙に還ってきます。彼らがとりあえず各自の宙域に閉じこもったのは、単なる途中経過でしかないと思うのです。彼らが次に還って来た時、彼らが宇宙空間の中に構築する世界はどのように“統一”され“多様化”されているのか。それこそ・さんが書かれていたように、この両面価値的な世界をどのような形で提示してくれるのか、そして彼らが何を生み出すのか。継ぐのは誰か。楽しみであります。



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