超光速シャフトの存在は我々に「宇宙の同時性」と言う厄介な問題を抱え込ませた。アインシュタインの宇宙においては、光の速度を越える情報伝達手段は存在せず、例えば観測者にとっての「今」と1万光年離れた場所においての「今」とを比較する事は出来ない。方の事象は事実上存在しない。即ちアインシュタインの宇宙のなかでは、実は同時性と言うものは絶対に存在しないのである。しかし、宇宙を気紛れな同時性の網の目で繋ぐ超光速シャフトの発見が、我々の慣れ親しんだ宇宙の因果律を脆くも崩壊させてしまった。
このため、汎銀河人の宇宙への伝播の歴史も錯綜したものになっている。惑星によってその文明レベルは大きく食い違い、文明の隆盛と衰退をへて、すでに自らその惑星に下り立った技術を失った惑星も数多く見られる。航空宇宙軍の外宇宙調査団が訪れたそれらの惑星に必ず見られた社会現象は、失った宇宙への回帰願望である。独力でロケットの原理を発明し軌道速度に達した文明が有る中で、ロケット以外の異形の手段で宇宙を手に入れようとした文明があった。なかでもその文明の立地条件から特殊な宇宙開発の歴史を持つに到ったものを、今回より数回に分けて紹介しよう。
F2型恒星MGC2007261をめぐる第2惑星は、近日点で約14500万キロの軌道をとる、地球人にとって理想的な植民星であった。いまなおその理由は明確ではないが、これは汎銀河人にとっても居住に理想とされるものであり、我々調査団が到着した際、すでに大規模な植民の跡と、その崩壊を示す遺跡が存在し、工業技術レベルのかなり退化した種族が国家形成を行なっている模様であった。
この惑星の遺跡の特色の一つは、その赤道の砂漠地帯を取巻くように点在するマスドライバ−の列であろう。
植民の初期には軌道上のプラントよりかなり大規模な支援が行なわれたらしく、軌道上より観測しただけでも、2箇所ある大陸に全長数十キロ級のマスドライバ−が十数基確認され、静止軌道上には彗星のコアを利用したと思われる総質量六億トンの支援プラントが2基確認できた。もちろん地球年で十数世紀を経て化石同然の姿となっていたが。
しかしもっとも調査団の目を惹いたのは、マスドライバ−に並列に存在する全長十キロあまりの線状の構造物であった。反射能等のリモ−トセンシングによってそれらはマスドライバ−が建築された時代より遥かに新しく、建築後半世紀を経ていないことが確認された。当初我々はそれを、退行した汎銀河人の末裔が先史時代の超文明を崇めるために建築したモニュメントであり、地球における二十世紀のカ−ゴ・カルトに類するものであろうと考えていた。事実それ以前に調査団が派遣された惑星のいくつかでそのような文化様式が確認されていたからである。
土着文明不干渉の原則に従い、さらに軌道上より地上社会の調査を続けようとしていた我々を最初に驚かせた出来事が起こったのは、その数日後であった。静止軌道より例の線上構造物を観測していたサ−ベイヤ−が、構造物の惑星自転方向の端に強烈な閃光とともに砂丘上を広がる超音速の衝撃波をとらえたのだ。すぐさまサ−ベイヤ−に最優先観測指令を与え、観測デ−タをリプレイしたところ、閃光と同時に構造物より全長約十五メ−トルの砲弾型の飛翔体が射出されていることが確認された。
飛翔体の発射速度は約秒速3kmに達し、さらに加速を続け、惑星をまわり込んでいた。静止軌道上のサ−ベイヤ−ネットワ−クによるリアルタイムセンシングは、その飛翔体がついに秒速十qに達し、不安定な低軌道に乗ったことを確認した。我々はここで調査の方針を変えざるを得なくなったわけである。とりあえず飛翔体の回収を試みることに決定し、有人の調査機を派遣した。
飛翔体は赤道を約5度の斜角で交差する近日点(最低高度)約八万mの軌道に乗っていた。低いとは言え間違い無く[宇宙空間]である。不安定な軌道要素は制御の失敗によるものと思われたが、いずれにせよ原始的ながら自律的制御によってコントロ−ルされていることをうかがわせた。発射直後十五mあった機体はわずか三mを残すのみで、地上における文明が少なくとも不用質量を投棄するという多段式ロケットの原理を知ることが確認された。
我々を心底驚愕させた事件が起こったのはこの直後である。調査機が飛翔体に軌道を同期させつつ彼我の距離およそ二百mにまで接近したとき、突然飛翔体の前部が開き、中から白い塊が飛出した。塊はたちどころに白煙となって拡散霧消し、そこに現れた人影は、調査機に向かってやつぎばやに矢を放ったのである!
軌道をほぼ同期させていたため調査機に被害はなかったが、もし高相対速度でランデヴ−していれば、この矢は恐ろしい武器となったと思われる。通常の火器にくらべ、弓には反動が比較的少ないため、軌道上では軽便な宇宙兵器となるのだ。
矢が使い果たされた後、調査機は抵抗の姿勢を示す原住民を飛翔体とともにマニュピレ−タ−を使って回収した。原住民の宇宙服は大変原始的なもので、断熱材にアスベストを使い、獣皮にグリスを重ね塗りすることによって一応の気密化を獲得し、太陽光の遮断には金を圧延したホイルをこれもグリスで外被に張り付け、生命維持装置は手動式のふいごを使うといった代物で、内部気圧は純酸素ではなく通常大気で0.3〜4気圧しかなく、我々が回収しなければいずれにせよ数分以内で失神していたものと思われる。飛翔体は厚さ5mmの鋼鉄のシェルの中に約六十cm厚さで樹脂と合成ゴムが塗り重ねられ、アブレ−ジョン材となっており、その内部に表面に碍子を敷き詰められた鋼鉄性の本体があった。機内には耐Gシ−トと呼べる物はなく、皮革性のスリングが複雑に組合わさったカウチが水槽の中に沈められていた。機材類はすべて単純なショックアブソ−バ−に載せられており、航法に用いると思われる装置はオイルタンクの中に必要なときまで沈めておく設計となっていた。これらは、この飛翔体が発射時に連続的な衝撃に耐えなければならないとしか考えられない。圧搾窒素ガスによる手動バ−ニアをジャイロをみながら操作する他に姿勢制御法はない。いうまでもなく電子的航法支援システムといえるものは搭載されておらず、一片が4×8mm程度の金属製パンチカ−ドを大量に使い大気圏突入動作をル−チン化した半自動帰還システムが存在するのみであった。
しかしいかに原始的であっても原理的には姿勢制御も地上への帰還も可能なのだ。そしてなんらかの方法で彼等は軌道速度を得ているのである。
地上の航法支援システムも含め謎は多く、さらなる解明は、飛翔体のパイロットとの意志疎通が可能になるまで待たなければならなかった。