外道になある・第10回

第三勢力:林[艦政本部開発部長]譲治

 戦後の日本社会は多くの物事が劇的に変化した。この意見には多くの人が同意してくれるのではないかと思う。特に食べ物についての変化は著しい。
 たとえば江戸時代なら子供の時代にあって親の時代には無かった食べ物など非常に限られていた。江戸時代の場合、人の寿命が現在と倍近く違うから、親の時代と子の時代にそれほどの隔たりは無かった。なおさら変化が少ない通りである。
 この戦後日本の食生活の変化が激しいというのは、単なる感覚的なものでは無いらしい。日本列島に住んでいた人々の骨格を縄文あたりから調べて見ると、歯並びの変化が著しい時代が二回あるという。
 一つは弥生時代。この時代には農業が本格的に行われるようになったわけだが、これに伴う食生活や社会全般の大きな変化が、こうした弥生人の歯並びの変化を招いたというのだ。
 弥生以降は歯並びにそれほどの変化は起きない。それが再び大きな変化を見せている時代、二回目の変動の時代こそ我々が住んでいる現代なのだという。

外道譲治 こんなことを考えたのも他でもない、七月の大阪例会でのことだ。たまたま清水宏祐隊員所蔵の万博のパンフレットで皆が盛り上がり、当時の日本のこと、さらには食べ物の話になった。
 「になるなんか食べれるんですか? 」
 そこで盛り上がっていた、客観的に見れば、社会通念上は中年と目される人々は、大阪例会最年少――もちろん清水りゅうせい君とか、落合このみちゃんとかはのぞく――の小西隊員のこのら抜き言葉による発言に驚愕した。ら抜き言葉に驚いたのではない。になるを知らない奴がいることに驚いたのだ。
 あぁ、しかし、今年二三歳、石油ショックを歴史上の事実として大化の改新か何かと同列に教えられ、アルバムを開けば赤ん坊の時からカラー写真が張られている彼がになるを知らないのも無理はない。
 それでも最初は、落合哲也隊長他の面々も小西隊員がになるを知らないことを出身地のためかと考えた。知ってのようにになるは日本全国で見られる物だが、それだけに地方によって名前が違う。
 いわゆるになるは近畿圏ではひめごぜとして知られている。というかひめごぜの方が名前としては主流派で、になると呼ぶのは東北以北だけらしい。さすがにTVなどの普及で、我々もになるとひめごぜが同じ物であることくらいは知っている。になるを連呼していたのは北海道出身の私だけで、他の方々はひめごぜと呼んでいた。だから九州出身の小西君がになるを知らなくても不思議は無い。
 だが小西隊員はひめごぜもまた知らなかった。要するに問題の根幹は地域では無く、時代にある。
 それで二次会に行ったとき、我々は居酒屋のメニューにになるはもちろんひめごぜの姿も見ることができなかった。そう、いまどきの日本人はになるを食べたりなどしないのだ。このことは私が食材の買い出しに行ったスーパーでも確認できた。なるほど最近のスーパーでになるというかひめごぜの姿を見かけることは少ない。
 になるが廃れた理由。それはになるが現代日本の食材において、どのようなポジションにいるかによって理解できる。になるのポジションは概ね鮒に等しい。
 小西隊員は後に「鮒が食べれるんですか? 」とまたもら抜き言葉で驚いてくれたが、知っての通り――少なくとも小西君以外は知っての通り――鮒は食材である。というか食材であった。私が子供のころには川で鮒を釣り、それを晩の食材になるというのはごくありふれた光景だった。
 こうした牧歌的な光景が生まれた理由は色々あるが、一言でいえば貧しいからだ。特に北海道は日本でも所得水準が最低に近いから、川で食料が手に入ることの意味は大きいわけだ。
 しかし、日本も高度経済成長で豊かになってくると鮒もになるも食材に姿を見ることはだんだんと希になってきた。はっきり言って鮒とかになるはまずいとは言わないが、おいしいとは言い難い。ローソンで一〇〇円出せば、それよりはもっと美味しい秋刀魚の缶詰などが手に入る昨今、あえて鮒やになるを食べようと考えるのは余程の好事家でしかあるまい。
 それにひめごぜやになるは、その習性から言っても、食欲をそそるものではない。さっきからになると書いてきたが、これはになる目になる科の生物の総称としてであり、もっとも食材に用いられていたのは外道になるという特定の種類である。入植の歴史の浅い北海道では、概ね学名を元によめごぜがになると呼ばれていたらしい。
 外道になるがどうして、外道になると呼ばれるのか? それはもちろんその習性にある……というところで今回はこれまで。



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