こうしゅうでんわ

谷甲州

 仕事を片づけてからこうしゅうでんわと思ったのですが、例によって仕事はなかなかすすまず、結局はこうしゅうでんわと原稿の両方を遅らせるという不格好なことになってしまいました。なんだかこのごろは、躁と鬱の間をいったりきたりしているみたいな気がするなぁ。

 いまやっている仕事は徳間書店(文庫)の書き下ろしで、同時に平行して早川書房の書き下ろしもやっています。珍しいことにタイトルだけはすでに決っていて、徳間書店が『低く飛ぶ鳩』、早川書房の方が『雪嶺を越えて』ということになってます。タイトルからもわかるとおり、どちらも非SFです。最近の仕事はこんなのが多くて、これ以後も冒険小説やらハードボイルド(あんまりハードにもなりきってないが)なんかを書くことになるでしょう。前のふたつについては、六月から七月にかけて(たぶん)出るから、一時的にSF作家ではなくなりそうです。

 こんなことになったのは単に偶然が重なっただけですが、なかには「あの男はSF書かなくなった」なんていいだす人もいるかもしれん。そういえばヴァレリア・ファイルを書き始めたとき「あなたがこんなものを書くことはない。航空宇宙軍史だけ書いていればいいのだ」なんていわれたこともあるけど、大きなお世話だと思うがなぁ。私は好きでやっとるのだ。実をいうと『惑星CB−8越冬隊』を書いたときから「本格冒険小説をはやく書いてくれ」ともいわれていたのだ。SFをやめたわけではないぞ。
 NIFでも書籍関係の会議室をあちこちのぞいてみると、こんな書き方をする人が最近は目について仕方がない。たとえば「あの作家はこのごろSFを書かなくなったから、読む気がしない」とか「以前ほどおもしろくないから、本を買わなくなった」とかいうのが。そんなふうに思うのは読者の勝手だけど「読まなくなった」とか「買わなくなった」作家のことを、わざわざ書きこむのはどんなものかねぇ。以前のことはとにかく、いま現在その作家がどんあものを書いているのか、書き込みをしている人は知らないわけだし。なかには読み手の好みが変ったのを、作家の責任にしてしまう人もいたし。読者は勝手なものだという前提で考えれば、別に問題ないんだろうが、なんだかそら恐ろしい気がする。

 いかんいかん。仕事か進まないものだから、愚痴めいたことを書いてしまった。これはパワーが落ちている証拠だ。反省する必要がある。ところがこんなことを思っていたら、某社の編集からあたらしい仕事を依頼された。その人はえらく陽気に「谷さ〜ん。ミステリやりましょうミステリ。いままでになかったような、新しい形のミステリ。あなたならできます。やりましょうやりましょう。よいしょよいしょっ」と持上げてくれた。こっちも乗せられやすいから、ついその気になってしまった。私の生活信条は「豚もおだてりゃ木に登る」なのだ。

 なんだか今回は、パソ通をやっていない人には理解しにくい文章になってしまいました。ところで前回の講習画報で「セビロ・パンク」のイラストがありましたが、モデルはやっぱりあの人でしょうか。その、つまり、大阪在住のハードSF作家にして、酔っぱらうとスーダラ節を踊りだす、ええと、その、まぁあの人です。ちがうかな、やっぱり。




●戻る