むかし、むかし。未来というとバラ色の超技術世界がまだでかい顔をしてのさばることができた頃。「TVマンガ(アニメとは呼ばなかった)」や漫画雑誌や学習雑誌の特集に登場する未来の服装というと、決まってメタリックなレオタード風スタイルだった。
これはヒュ−ゴ−・ガ−ンズバック時代のアメリカSFからの伝統らしいのだが、いまどきさすがにこんな「未来スタイル」は流行らない。スター・ウォーズにせよエイリアンにせよブレードランナーにせよ、もっと普通っぽい。未来の服というよりも作品世界の風俗・雰囲気に合わせたファッションに過ぎない。
それが悪い、といっているわけではない。ただ、この[にちじょー生活]シリーズとしては、単に雰囲気だけで服飾風俗を決めてしまうという態度は不満なわけだ。
宇宙生活者における服飾の問題をもうちっと論理的に考察・構築してやろーじゃねえか、というのが本稿のテーマなんである。
1.衣服にとっての「地球外環境」とは?
服飾モードを決める要素は一体どんなものだろーか? いやそもそも、衣服の目的とはなんだろうか。それは大きく二つに分類することが出来そうだ。
一つは物理的な必要性。もう一つは文化的な記号としての役割である。
前者はさらに、肉体にとっての温度環境の維持・湿度への対応・打撲や防虫など物理的暴力への対応等に分類できよう。
これらの問題に対する対策には、衣服以外に肉体そのものを改造するというものもあるが、酷環境適応講座でその方向性は既に追究され尽くしているから(?)、とりあえずここではその手は使わない、としよう。
だとすると宇宙生活者にとっての物理的環境はどのようなものになるだろうか。
宇宙生活者にとっての環境条件は、もちろん<宇宙空間>そのものではない。抜本的改造をおこなわない人体には真空を耐えることが出来ない。
そこでいうところの環境とは、人工環境である。
具体的には、☆宇宙船、☆短期滞在ステーション、☆宇宙植民島、☆惑星や衛星地表での密閉ドームなどの内部ということになる。
これらの内部環境と地球との違いは何か。
まず第一に、重力。大型宇宙植民島では1Gを基本にしているかもしれないが、それ以外ではほとんど1Gよりもかなり低い重力環境になるのではないだろうか。
まず宇宙植民島についてだが、径の小さな回転体では疑似重力で1Gを発生させると、重力勾配やらの関係で人間が生活していけないらしい。(ホーガン「究極のエニグマ」の後書き(永瀬唯氏による)に、人間は1分間1回以上の回転に耐えられないことが近年判明した、とある。だとすると1Gを発生させるには半径1キロ以上が必要である)
また、少なくとも太陽系内で、地上コロニーをつくれる固体表面をもつ惑星・衛星は、ことごとく1Gよりも小さな重力しかもっていない。
勿論、古典SFによく登場するごく安価な(大抵そうとしか思えない)人工重力場のような超技術があれば別だ。しかし回転体に働く疑似重力でない重力場をわざわざ発生させるのは、万能超科学が支配する遠未来でないとリアリティが乏しいような気がするのは私だけだろうか。回転体に働く疑似重力は、運転コストがいらないのだから。
第二に、日常環境条件が完全に人工的なものであること。極端な話、環境を完全に制御することが可能なら、服飾の物理的必要性を無くしてしまうことも可能なのだ。服で環境に対応するのでなく、環境を制御して人間生理に合わせても良いわけである。
だからといって全裸が基本になる可能性はかなり低いだろう。人間の皮膚は物理的にも脆弱だし、服飾の決定要因の相当大きな部分は、社会・文化的環境にもあるからだ。
ただ、広い意味での社会・文化的環境が衣服を決定する要因の大部分になってしまうことは大いにありそうだ。つまり人工環境自体が社会的産物であるからだ。
そうなると実に様々なシナリオを想定する事ができるだろう。
例えば、重力・昼夜・季節サイクルをも含めた地球環境のコピーに住むのならば、そこにおける服飾は地球の(当該環境に類似した地域の)コピーに近くなるだろう。もちろん文化背景による振幅はあるだろうが。
また、宇宙生活者と地球生活者の心理的対立が深まる状況が有れば、意図的に地球のファッションを避けようとする動きができるかもしれない。
特殊な要因を設定すればそのバリエーションは無限大になる。孤立性が高く付随設備も不十分ならこれは辺鄙な離島だ。限られた素材でやりくりしなくてはならない。スラム化した都市圏なら、防護性や武装性の高いものが選ばれるだろう。電脳世界なら電子化・知能化した衣服が想定できる。思想・宗教・流行を前提にすれば、既製SFにあるだけでも、入れ墨・全裸。ありとあらゆる時代・民族風俗の模倣。鎧。実用及びファッションとしての共生生物。ファッションとしての身体改造。などなど、際限がない。
三番目を付加えるなら、「板子1枚下は真空」という、潜在的な危険性だ。もちろん我々がしじゅう台風や落雷におびえることがないのと同様、少なくとも大型コロニー内では日常感覚としては感じられないだろう。しかしフロンティア・ラインに立つ宇宙生活者は、充分にありえる突発事態として、真空に即応できる機能性を求めるかもしれない。そしてそれはアーミー・ルックやサーファー・ファションなどのように、ファッションやカジュアルの中に取入れられるかもしれない。あるいは歴史背景次第では、武士や騎士の衣服の様に、公的なファッションに繰込まれるかもしれない。
2.各環境条件の要請するもの
それぞれの条件をもう少し煮詰めてみよう。
まず、重力環境について。結論からいえば、低重力・微重力への対応要求はぐっと高くなるのではないだろうか。前述のように太陽系内で地上コロニーがつくれる惑星・衛星上はほとんど低重力だ。また1Gコロニーであっても、軸部やコロニー外へ出かけるときは微重力を経験することになる等微重力・低重力環境におかれる機会はずっと高い。
低重力または微重力環境での衣服の留意点を思いつくままに列挙してみよう。
スカートは実用的な意味を失う、めくれるとそのままか元に戻るのに時間が掛かり過ぎる。眼鏡の固定はつるを耳に掛けただけではまずい(眼鏡自体いつの時代まで存続するか怪しいが)。つっかけ・スリッパは踵や足首でしっかり固定しなければならない。
重要な留意点をもう一つ。袖や裾や衿をある程度締めつけるようにしないと、微重力下では、開口部が身体と離れ、身体と衣服に空隙部ができたままになりがちになることだ。すると保温効果も薄れ、裸体や下着の(文化的理由による)隠蔽も不十分になる。
次に人工環境であることから来る要請。おそらく、地球よりもずっと安定した環境になるだろう。惑星上のような温度等のサイクル変化やランダムな温度・湿度・変化や降雨などの<落水>は、余分なコストが必要になる。(<風>については大型コロニー内ではむしろ制御の方に問題があるくらいになるかもしれないが)とすれば、周期的較差をもしつけるとしても、心理的環境の要求さえ満たせば充分、ということになるだろう。
地球的なサイクル変化をごく弱めた形でしか取入れないとすれば(つまり昼夜の明暗は取入れても気温等の日較差・年較差は小さくするか無くす)、地球よりもはるかに安定した、肉体的にも快適な環境になるわけだから、厚着や服飾バリエーションの物理的必要性はなくなる。とすると対外的なファッションは、社会的・文化的なディスプレイがほぼ唯一の目的になりそうだ。カジュアルファッションはディスプレイ性よりも安楽性や実用性によるところが大きいから、それについてもう少し付加えると、擦傷などからの保護と皮膚分泌物の吸着・快適な肌触りー早い話が肌着だけしかいらない、ということになる。ニーズの高い高機能素材は安価に量産されるだろうから、肌着兼用で気楽な外出も平気な重ね着不用の衣服が主流になっていくかもしれない。
最後に、フロンティア・ラインにおける衣服はどうなるだろうか。
作業服的な性格を付与するためにはパウチやフックが多い方が良い。温度環境は場所によって様々だろうからそれに対応した素材が選ばれるだろう。(高機能素材の選択肢が現在よりずっと豊富なら行動力を低下させるほどの厚着や防護力を低下させるほどの薄着は避けるだろう)
破壊的な減圧への対応はどうか。一般的な衣服において、頭部は剥き出しである。また袖口と裾と首の周囲は開口部となっている。減圧されると破裂して内部の薬品が周囲の繊維間に被膜を張って通気性をゼロにするようなマイクロセルを開発し、被服素材に織込む、などの処置をしておくとしても、簡易ヘルメットは携帯する必要が高そうだ。気密性だけを目的にするならコンパクトに折畳めるものの開発も不可能ではあるまい。減圧下では自動的に首部から膨張・展開させることも技術的には可能だろう。機能性が高いほどコストも高くつくわけだが。袖と裾の開口部は、薄くて気密性のある(あるいは減圧下では付与できる)手袋を常時していて、いざというときに簡単に袖やソックスとジョイントできるようにすればよい。呼吸のためのガス交換は、マイクロセル方式での素材織込みやパウチに小型で簡易な装置を標準携帯させる、などが考えられる。
こう考えてくると、これらの装備はけっこうコストとわずらわしさがかかるようだ。結局、必要度とコストの綱引きで様々な状況がありえる、ということだろう。
いずれにせよ日常外見には特に目だった特徴はないかもしれない。
いや、理想的な全環境対応服までいけば結構とんでもない外見になるかもしれない。ようするに快適で長持ちする閉鎖循環系をつくってしまえばいいわけで、多少コストがかかろうと一生どんなところでも使えるのなら充分引きあう。そうなると文化的・社会的にそうとう異様な世界ができあがる。例えばジョン・ヴァーリィ描く所の<シンブ>がそうだ。シンブは一人の人間が宇宙空間で生きられるだけの完全に自給自足の環境を提供するようにつくられた有機体だ。共生者は海王星軌道ですら光合成で自活できる。シンブとの共生者は生活文化ばかりかメンタリティまで一般人類と異化されてしまう。
3.結論+セビロパンクの脅威
ようやく結論に入れそうだ。
カジュアル・ファッションはけっこう平凡かもしれない。古典ビジュアルSFによく登場するレオタード風の衣服は、高機能重層素材を使った肌着兼用の普段着としては本当にありふれたものになるかもしれないし、或いは現代の温暖な時候の先進諸国の様相とあまり変わらないかもしれない。ただ、袖や裾は絞ったものが一般的になるのではないか。また重ね着は現在より少なくなるのではないか。
オフィシャルなファッションは、決定要因に占める割合のうち、社交的ディスプレイ性が現在よりずっと強くなりそうだ。少なくとも環境条件がごく安定していれば、そうなる。従ってその想定できる振幅は極めて広い。
いわゆるお洒落としてのファッションは、いうまでもなくあまりにも文化的・社会的な現象である。本稿では追究できない。
結局、意外に平凡な結論に到達してしまった。これでは面白くない。農林二十八号が泣いてしまう。無理やりに外道な蛇足をくっつけて締めくくろう。
外道と言えばパンクだ。宇宙生活者にとって、もっともアナーキーなファッションとはどんなものだろうか。考えてみると、これはモードとしてのファッションよりもずっと選択肢が絞りやすい。社会主流に対するアンチ・テーゼを身体でディスプレイするということは、宇宙生活者にとって合理的実用性に欠け、しかも野蛮さを象徴する記号を含んでいればよい(いわゆるパンク・ファッションはケルト・ゲルマンの狂戦士の身なりの模倣であるように)。つまり今まで本稿で検討してきた事を裏返せば良いのである。
ずばり究極のアナーキー・ファッションを指摘しよう。
それは背広だ。
いわゆる背広−米語でいうビジネス・スーツまたは英国でいうラウンジ・ス−ツ。
それは資本主義社会における産業戦士と官僚の、戦闘服に他ならない。
筆者は服飾史に明るくないので確と断じかねるが、いわゆるセビロの普及は産業革命以後、特に大量生産システムが確立して以後の西欧型社会様式の侵略的普及とほぼ一致していたはずだ。競走的な産業社会にとって、セビロ(ないしそのヴァリエーション)は、非常に好都合なファッションである。まず大方の事務的作業には支障が無い程度の活動性を持ち、またまずまずの通気性と保温性と遮光性をもつので対応できる環境域がかなり広い。重ね着のパターンに融通性があり、それによる対応まで含めるとほとんどあらゆる環境にある程度適応できる。またネクタイやベルトなどの軽緊縛性は緊張感をもたらし、身体に必ずしも密着しない[型]をもたされた上衣のデザインとともに公的な堅苦しさをある程度付与する事によって、公的行事にそのまま参入できるパスポートともなっている。ボタン止めの煩わしさはセーターなどその必要の無い服装と比べ、プライベートな気楽さと差別する記号表現ともなっている。
それらの長所は、未来の宇宙生活者にとってはことごとく逆転するかもしれない。
まず物理的・生理的な合理性はなくなる。微重力下では、前述のように絞っていない袖や裾は保温や隠蔽に適しないのだ。また、ネクタイピンなしのネクタイは滑稽で不便なものになってしまう。
また、肌着・カッターシャツ・上衣と少なくとも三枚の重ね着が必要なので、前述の様に重ね着を煩わしがる風潮があればその点でもうっとおしい。
記号性はどうか。もしセビロが相変らず地球におけるビジネススーツの主流だとすると、それは[地球的]であることの象徴とみなされることになるだろう。宇宙生活者と地球生活者の間に強力な社会的・感情的軋轢ができれば、宇宙生活者の間には意図的にセビロを避けようとする動きが生まれるかもしれない。もしそうなり、さらに過激な対立を抱えたままに独立し、そのまま歴史が重ねられると、セビロは今日のナチス風アーミールックや戦闘的右翼の風俗と類似した記号性を持つ事になるだろう。
もしセビロが近未来の地球においてすたれたらどうなるか。例えば今日の近視眼的効率重視の産業社会の有り様自体に反省が生まれれば、もっとゆったりした、或いは民族性や風土に応じて多様な服装にとって変わられていくかもしれない。もしそうなれば、なにせセビロこそは産業戦士の戦闘服である。地球生態系をほとんど破綻寸前までに追込んだ[忌まわしい時代]、[忌まわしい文化]の象徴とみなされることになるだろう。
もしそうなったとしたらーその時代、もっとも有能で活発な産業民族(どこをさすか言うまでも有りませんね)の風俗も、そのファッションに取入れられるかもしれない。
右記はその1つのモデルである。
恐るべし、セビロ・パンク。
その悪夢めいた異形は、時代と環境を越えて我々の魂を震撼させずにはおれない……