翔べ! 農林二十八号

岩瀬[従軍魔法使い]史明

 近ごろの宇宙食は、けっこーまともなんだそうだ。
 海原雄山や山岡が褒めるようなものじゃあないにしても、クラシックなSF漫画に登場する類の、チューブと錠剤だけの食事。ジェミニ4号のグリソムとヤングがこっそりハムサンドイッチを宇宙服に忍ばせたというエピソードを生んだ、壮絶なまでにまずい代物はいまや昔のものらしい。
 その背景には、宇宙飛行士の精神衛生上の要求と、フリーズ・ドライ食品など味や香りをできる限りそこなわないインスタント食品技術の進歩がある。
 現在の宇宙飛行士達は、アメリカの「スペース・シャトル」においても、ソ連の宇宙ステーション「ミール」においても、ナイフ・フォーク・スプーンを使ったまっとうなディナーを食っているのだそうだ。ソ連に至っては、さすがに宇宙滞在の世界記録をもっているだけあって、各地の民族料理までメニューにあるという。(この原稿が書かれたのは1988年です)

 しかし、考えてみると。
 日本人の味覚は、ここではいまだ「カヤの外」なのだ!
 もちろん、世界に誇るインスタントラーメンを生み出したわが国は、携帯食にかけては優れた技術と伝統がある。そこらのコンビニエンスストアにいっても、カップメンだけではない、味噌汁に五目飯、フリーズドライの野沢菜と、ことかかない。
 ただ問題は、現在のインスタントご飯は、実にまずい、ということだ。米
 そして、ご飯に関する限り、炊きたてご飯のあのうまみをインスタントで再現することは、極めて困難なのである。これだけインスタント食品の需要があってしかもこの程度の成果しか上がっていないという事実が、その困難さを物語っている。
 たかがご飯と馬鹿にしてはいけない。
 いまでこそ日本食は世界に浸透拡散し、スシとテンプラとトーフとキッコーマンがアメリカを席捲しているが、かつての海外旅行者は、離日して一週間もしないうちに連日おしんこと焼き海苔とご飯に飢えさいなまれたではないか。
 つい先日のチョモランマ三国合同登頂では、同じ東洋人の三国間ですら「食摩擦」が吹き荒れて危機を呈したというではないか。

 こうなったら、宇宙で飯を炊くしかないのである。
 しかし、宇宙で飯を炊くのは、考えるほど厄介なことである。
 オニール構想のスペースコロニーなら、まあ問題はない。ほぼ地上と同様に考えられよう。しかしそれ以前の段階、微小重力下で狭い密閉空間での飯炊きには様々な課題があるのだ。

 人外協の、SF誌に掲載した広報文にあったような、「低圧・純酸素下」という条件は、実は現代の宇宙構造物内では、ほとんどない。かつての火災事故の教訓故である。宇宙服内では三分の一気圧純酸素なので、臨時構造物内ではそれと同様にすることも有り得るだろうが、宇宙服の耐圧能力が向上すれば(気圧順応の手続きを省略するためにも)これも一気圧・空気組成に変えたいのが当局の意向らしい。
 そこで、以下では、この条件は地上並と想定しよう。

 さて、本来美味しいご飯は、薪と釜で炊いてやるのが一番である。しかし宇宙の密閉空間で裸火を焚くのが無茶だと言うのは、誰しもわかるだろう。
 まず第一に、裸火そのものが成立しがたい。重力がないために炎が上を向かず、対流も発生しないから燃焼ガスが蓄積されて充分な酸素が補給されない。第二に貴重な酸素の浪費で、また一酸化炭素などの有毒ガスの発生も空気再処理システムの負担である。第三に、なにより防災上危険であることおびただしい。
 というわけで、電気釜か電子加熱を使わざるをえないであろう。炊飯器と釜炊きの差を知る我々には痛恨であるが、やむをえない。
 次に厄介なのは、大量の水蒸気の発生である。これはご飯を炊くという操作自体が、高圧水蒸気によるデンプンの化学変化であるため、回避しようがない。ところで宇宙船内での結露は、電子機器をはじめとするあらゆる内装備品の大敵である。宇宙では重力がないだけに、空中に水滴が浮いていても落ちてこない。結露しても下へ流れていって床に溜るということがなく、あくまで物体表面に居座り続ける。
 地上では考えられないくらい、やばいのである。
 従って、炊飯によって発生した高温・高圧水蒸気は総て回収されなくてはならない。冷却による液化が望ましいが、そうなると炊飯器本体と同様かそれ以上に複雑なシステムが必ず付属しなくてはならないということになる。
 これでもなお、美味しいご飯への道は遠い。
 最後の関門−重力が無いため対流が起こらず、従って大きな不均一が起こる熱分布をどうするか、という問題が残っているのだ。無重力で飯を炊くと、熱源近くは黒こげ、熱源遠くは芯ガチガチ、になってしまうのである。
 お粥をつくるつもりなら、ブレードで撹拌してやればよい。しかしご飯の場合はそうもいかない。熱源の拡散はどうか。例えば電熱線を飯器の内部に多数張り渡してやるとしても、電熱線に直接触れる部分は黒こげになるに違いない。

 この課題に対して、「重力をつくってやる」という以外に、筆者には解決方法を思い付かなかった。読者諸兄はいかがだろうか。
 機械的に重力をつくることは、不可能ではない。遠心分離器のようにぶんぶんと振り回せばよいのである。かなり大がかりな機械となるが、他に方法がなければやむを得ない。
 いや、ここまで大袈裟になったら、いっそ徹底するのも面白い。電気炊飯器をやめて薪火で炊く。火加減の制御はAIに名人の技をコピーして、やらせる。もちろん空気の再処理循環システムまで内蔵してしまうのである。水蒸気ももちろん封じ込めて、冷却回収する。高圧水蒸気の暴発は閉空間では恐怖だから(全身火傷と飯粒ーいや急速な減圧が起こるからポン菓子ーによる窒息死というのは、宇宙死として最高に滑稽なものだろう。末代まで笑われる子孫の身になったら悲惨である)耐圧外殻は原子炉並に堅牢に作ってしまう。
 点火に先立っては、まずGを発生させなければならない。コインランドリーの乾燥機みたいな轟音とどろくなか、あなたは厳かに究極の炊飯マシン「農林28号」に点火する。宇宙の海原雄山たるあなたは、こうやって炊かれた一杯のご飯に、テクノロジーと止揚した料理芸術の極致を味わうのである。
 そんな日が絶対にこないと断言する勇気が、あなたにはありますか?

農林28号


宇宙の食文化を考える

林[艦政本部開発部長]譲治

 農林28号の記事に一つ疑問があります。それは何かといいますと、
 別に農林28号のメカニズムがどうこうという訳ではありません。理論的には農林28号をもってすれば宇宙で美味しいご飯が食べられるでしょう…か?
 確かに美味しいご飯は炊けるでしょうが、あの記事では炊いたご飯を食べる方法について触れられていません。
 あれだけの手間をかけながらご飯をスプーン(しかも先割れの)で食べるのでしょうか?
 たとえ富士山が噴火し、阪神が優勝するような事があってもご飯は箸で食べるもの。それが文化と言うものです。
 この事を考えたとき、私は、人類が宇宙に進出してこのかた、ただの一度もご飯を箸で食べた記録が無いという驚嘆すべき事実に思い当たったのであります。
 そこで微小重力下でご飯を食べることを考えてみますと、これがなかなか難しい。少なくとも地球で我々がしているようにはご飯は食べられそうにありません。
 まず、茶碗にご飯を盛るまでが大変です。重力よりご飯の粘性のほうが優りますから、しゃもじから茶碗にうまくご飯が移動できそうにありません。
 下手をするとご飯が宇宙船内に漂い、そのご飯粒を苗床に胞子が根をはり船内は腐海に飲まれないとも限りません。
 結論から言いますと、農林28号の性能を十分に引き出すためには、人工的に重力を発生させる必要があります。しかし、いかに文化のためとはいえ、ご飯を食べるためだけに宇宙船の居住区を回転させるのも考えものです。
 そこで小型の宇宙船でも1Gの下でご飯を食べることが出来る方法を思いつきました。
 まず四人の人間が使用できる大きさの飯台とそれを収容できるカプセルを用意します。なおこの四人と言うのはマージャンをするための最小必要人数です。ですから実用に当たっては4人用でなくてもかまいませんが、米文化でもある中国四千年の歴史に敬意を表わす意味で4人にしました。
 このカプセルは普段は宇宙船の船体に固定されていますが、ご飯時には宇宙船の外にある芯棒を中心に回転をはじめます。そうして回転しながらそれぞれのカプセルから徐々にワイヤーを繰り出します。
 こうしてワイヤーの全長が六百メートルになり1分間に3回転するようになれば、カプセル内で美味しくご飯を食べることができるはず。もちろんワイヤーは食後には巻き戻すのです。
 いかがなものでしょうか?




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