甲紀くん、満20才

天羽[司法行政卿]孔明

 先月号の甲州画報に掲載された「こうしゅうでんわ」の中で、甲州さんの方から、画報の表紙の片隅に記載さいされている、甲紀二O年という表記はおかしいのではないか? という疑問をちょうだいした。今まで、どなたからもそのような疑問をちょうだいしたことがなかったため、人外協七不思議の一つとして、真実をあかさぬままにいこうと思っていたのだが、二O年というこの記念すべき今こそ、その神秘のベールをはぎ取り、今年をして、甲紀二O年と記載している謎についてお答えたいと思う。

 今を去る事十年以上前。とある場所にて、谷甲州の作品世界に魅せられた三名の男達が出会ったのだ。彼らは、共に関西に住み、時あらば、谷甲州の作品について論じ、かつ、熱い思いを語りあっていたという。
 ある年の夏のことであったと聞いている。かれらの中の一人が、「どうだろう、この広い日本の国には、我々以外にも、我々同様、谷甲州の作品に魅せられた人々が、かならず入る筈であるとは思わないか? そんな人々の期待にこたえるためにも、我々三人に手で、谷甲州ファンクラブを結成しようではないか?!」
 三人の中で、誰が、この、神のごとき台詞を口にしたのかについては、明かにはされていない(これもまた、人外協七不思議の一つなのである)。だが、その三人の中より、阪本雅哉氏が初代隊長に選ばれ、ここに記念すべき青年人外協力隊は結成されたのである。 ぼくなどが入隊したのは、このすぐ後ということになっている。当時のドットプリンターで打ち出された会員名簿が手元にあるのだが、そこには、わずか二十数名ほどの名前しか記載されてはいない。
 当時、関西在住の我々は、毎週のように集まり、谷甲州の作品について論じていたのである。
 そんなある日、我々の中の一人が、「どうだろう、われわれは、こんなにも谷甲州の作品に魅せられているのであるから、これからは谷甲州の全作品を一つとして、いや、一人の子供として、成長をみまもっていこうではないか?」
 この台詞を口にした者の名前も、なぜか思い出そうとすればするほど記憶の奥底へと沈みこみ、まるで霞がかかったようになって思い出す事が出来ないのである。これは、先に、ファンクラブを結成しようと言った者と、同じ人物であったかもしれないし、あるいは、まったく別の人物であったのかもしれない。しかし、当時の我々はその意見に賛成し、谷甲州さんの作品を一人の子供として、甲紀くんと名付け、育んできたのだ。
 そして我々は、甲州画報の表紙の片隅に、毎年甲紀くんの年齢を記載していくことにしたのである。しかし、出来る事ならば、甲紀くんのことは公にはせず、我々有志一同だけで育みたかった為、そこには、甲紀二O年などという表記にすることにしたのだ。であるからして、より正確に記載するのであれば、『甲紀くん、満二O才』とせねばならないのである。
 今だから言うが、過去、甲紀くんの七五三をこそ出来なかった我々は、十三まいりだけはと、京都府嵐山まで行った事もあるのだ。そして今年、甲紀くんは二十才。成人式の年である。皆で、お祝いをしようではないか。
 お祝いの引き出物には、紅白の甲紀饅頭を二個出すという計画もあるらしい。これは、甲紀満十を二個で、甲紀満二Oとなる謎かけででもあるとか・・・。いやはや、なんとも目出度い事である。

 どっとはらい・・・。




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