いま人外協を震撼させる 甲紀20年問題の謎と真実を追う

林[艦政本部開発部長]譲治

『ところで前から不思議に思っていること。画報表紙の「甲紀○○年」という表記なんだが、なんで今年が甲紀二〇年になるのだろう。これだとデビューの年は甲紀ゼロ年にならんか?』
 これは先月のこうしゅうでんわでの甲州先生の疑問ですが、同じ疑問を感じている方は人外協でも多いようです。そこでこの問題について考えてみます。
 まずここで一度原点に立ち戻ってみましょう。そう歴とはいったい何のために存在するのか?ここが甲紀二〇年問題を考える上での重要な視点です。
 さて、古代マヤ文明はヨーロッパ人に滅ぼされるまで高い独自の文明を持っていた事で知られています。彼らの文明の所産の中で特に有名なのがマヤ歴。これは金星の運行を元にした歴で肉眼による天体観測としては限界に近いほどの高い精度を誇っていました。この非常に精緻なマヤ歴は何を目的に作られていたかといえば、農業を行うためでした。彼らの主食はトウモロコシでしたが、歴に従い種蒔きや刈り取りなどの日時を彼らは決めていたといいます。
 農業が天体観測と歴の発達を促すのはマヤ文明に限らず、いわゆる四大文明と呼ばれるものではほぼ共通の事例であります。生まれた時にすでに歴が存在する現代の日本人にはなかなか実感できない部分もありますが、歴とは本来、計画実現のための手段であった訳です。
 歴が無ければ農業の計画も立てることはできません。歴のこうした役割は産業革命以降も変わることなく、むしろ大小さまざまなプロジェクトが進行する現代社会では歴の存在は文明の背骨とも言えるでしょう。いわゆるコンピューターの2000年問題にしても、文明が歴に依存していなければ、これほどの問題にはならないでしょう。
 このように歴というのが本質的に計画を実現するための手段・道具であることがお分かりいただけたでしょう。『甲紀』という歴にしても、この歴の基本的な機能から例が至りえません。
 では、『甲紀』も計画実現の道具だとして、その計画とは何でしょうか?まずここで事実関係を検証してみましょう。

1979年3月
 『137機動旅団』が第二回奇想天外新人賞の佳作に入選、掲載される。
 1989年6月
 『谷甲州・野阿梓・神林長平作家生活十周年記念パーティー』が東京にて開催。」

 古くから人外協におられる方ならご存じでしょうが、甲紀の前は甲州歴が使用されていました。これらは基本的に同じもので名称が若干変わっただけの違いしかありません。そして重要な事は、甲州歴は10年から始まっているという事実です。なぜでしょうか?それは歴は計画実現の道具である事を考えれば容易にわかります。そう、甲州歴や甲紀に関しては10年より前の数字は不要であるからです。
 ここまで書けばみなさますぐに気がつかれるでしょう。今年は谷甲州作家生活20周年パーティーの年である事を。この20周年パーティーが開かれることは、すでに人外協では10年前から決まっておりました。つまり甲紀とは谷甲州作家生活X周年パーティー(X=n×10:nは2以上の自然数)を実行するための物なのです。
 何を悠長なとお考えかになるかもしれませんが、某かの行事を10年程度のスパンで行うことは不思議ではありません。現在建設中の国際宇宙ステーションなど、地上にソ連が存在している時代までその計画を遡れます。オリンピックなど時期によっては12年先の開催地まで決まってしまうことがある。比較的身近な例では、2000年に開かれるSF大会のゼロコンなどは96年にはすでに活動を開始しておりました。
 彼のごとく、長期計画というのは別に珍しいものではなく、人外協が10年前に20周年パーティーを計画していてもまったく不思議ではありません。
「それにしてもデヴュー年と合わないのではないか? 」
 ここまで読んでおきながら、まだそういう細かい事を覚えている人もいるでしょう。でもこれは簡単。1989年に10周年パーティーが開かれたわけで、これは公式なパーティーであった以上、20周年パーティーは10周年パーティーの10年後でなければなりません。そうでなければ計算が合わなくなります。
「でもそれなら10周年なら1988年に行うべきでは? 」
 まだそうごねる人もいるかもしれませんが、よく読んでください。1989年に開かれたのは「作家デヴュー十周年記念」ではなく「作家生活十周年」であるということを。作家生活何周年ということは、デビューしてから一年経過してはじめて一周年とならねばなりません。「生活」とあるからには、当然そうでなければおかしい。ですから1979年デヴューの甲州先生の作家生活一周年は1980年になるのです。だから作家生活20周年パーティーは1999年になり、これに合わせて甲紀20年となるのです。
 これでもわからない方。姫始めを思い出そう!姫始めとはいつか?一月一日の夜ではなく、一月二日の夜ですね。そう、甲紀の考え方も姫始めと同じなのです。
 というわけで、甲紀の謎に頭を傷めていた皆様、20周年記念パーティもよろしくお願いいたします。




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