遂に来るべきものが来てしまった。
先月号の「こうしゅうでんわ」を読んで嘆息したのは筆者だけではあるまい。
心あるものの全てが密かに憂えていたこの問題……「甲紀20年問題」(いわゆるYKK(Year of KouKi )問題)。これが、甲州先生自らの指摘により発生してしまうとは。筆者には目に見えるようだ。今度、画報紙上を、えいせい誌上を、パティオをML を、活字・電子媒体を問わず沸騰するであろう激論が。それによって停滞し危機的状況に瀕する公務が。
なにしろことは「甲紀」。暦とは度量衡と並んで社会集団の根源的なアイデンティティに関わるもっとも基盤的な社会規律であり、だからこそ古来、後世にその繁栄を記録される国家は必ずその整備に腐心したのであり、今日においても単純な合理性に従うならグレゴリオ暦(いわゆる西暦)にならっておくのがもっとも功利的であるものを、東〜東南アジアにおいてはいまもっていわゆる旧暦も併用され、日本でもいわゆる中華街においては必ず春節が祝われ、イスラム諸国ではイスラム暦を国を挙げて使用し、また世界中どこにおいてもイスラム教徒はラマダンを始めとするあらゆる年中行事をその暦を基準として行うのだ。ハンティントン教授語るところの「文明の衝突」とはある意味で実は「暦の衝突」ともいいかえられるものであり、だからこそ、明治初期の「士族年金や公務員の給料を実質一月分も浮かすことができる」などという姑息な理由によってあっさり新暦に切り換えた日本は、その特異性をもって一文明に数えられているのである。
これほど深刻な問題である以上、世論の沸騰と激昂はやむえないとすらいえるであろう。
しかし。
しかし、この問題の発生に関る責任者として、筆者はここで提言する義務を負っている。
諸君、いまはそんなときではないではないか。
今年が甲紀20年であろうと21年であろうと、今年が谷甲州作家生活20周年の記念・慶賀すべき年である事実にはかわりないのだ。
いまこそわれらは一致団結してこの佳き年を盛り上げ、盛大な宴会をぶちかまし、真摯な研究活動に寄稿に挺身することこそ、青年人外協力隊員たる努めではないだろうか。
甲紀が元年から始ろうとゼロ年からはじまろうと、あるいは甲紀が実は数え年ではなく作家谷甲州の満年齢であろうと、そんなことはこの大問題の前にはすべて些細な小事に他ならないではないか。
議論の前に(後でもいいが)まず寄稿を(宴会でもいいかな)!
これこそが新たな世紀に向けてわれらのとるべき、もっとも建設的な姿勢である。筆者は強くそう断言してはばからないものである。
最後に、蛇足ながら付言させていただく。
この記事は、この問題のそもそもの発生が当時の編集長(それが誰か触れるべきではないのかもしれないが会えていうならば本稿の署名を見られよ)の単純な間違いにより発生し、当人はもちろんのこと本部例会の出席者のうち誰一人この記事を読むまで甲紀の誕生依頼先月に至るまで気付いておらず、「さすがに甲州先生、えいせいの〆切期で原稿の集りにくい時期にわざわざネタを提供してくれるとは素晴らしい!」との賞賛が満場より巻き起こり、編集長も「これで紙面が埋る!」と感涙にくれたという事実を隠蔽するために書かれたものではない。
断じて、ない。