天を越える旅人特集


読んだふりをするための
「天を越える旅人」

花原[私を「まちゅあ」と人は呼ぶ]和之

 谷甲州と言えば、航空宇宙軍史に代表されるハードなSFだけでなく、山岳小説や冒険小説にも「遥かなり神々の座」「凍樹の森」といった秀作がありますが、「天を越える旅人」は、「岳人」という伝統ある「山岳」雑誌に連載されていた、しかし紛れもない「SF」です。リアルな山岳描写と仏教的世界観の独特の雰囲気に加え、宇宙の構造を論じるスケールの大きさまでもが堪能できます。もちろん、甲州ならではの「寒さ」に加えて「魂」「死者」「悪霊」といった言葉もふんだんに登場しますので、暑い夏には特にお勧めの一冊です。
 本稿はあくまでこの作品を楽しむ一助となることを目的としています。まだ読んでいない方で興味を持たれた方は、実際に購入して読んで見られることを是非お勧めします。

主な登場人(?)物

ミグマ・サンゲ
 本編の主人公。雪山で遭難・凍死するというこの上なく寒い夢(このあたりの描写はほんとうに寒い。さすがは甲州)の謎を解明するため、自分の過去を探る旅に出る。僧ダンズンの教えによって幽体離脱という高度な技を会得し、ヤシュティ・ヒマールに挑む。
ダンズン
 ギャルツェン・ゴンパに住み着いている僧。ミグマに幽体離脱の大技を教える。
ナムギャル
 ミグマの前世の人物。ヤシュティ・ヒマールに登頂を試みたが、途中で遭難してしまった。何回かミグマに説教をしに出てくる。
ミラレパ
 初代ミグマ(と言えると思う)。この世界の知識をきわめ、完ぺきな曼陀羅を書くために、転生を繰り返しつつ様々な情報を収集することになる伝説の詩人。
ソナム
 一度死んで生き返ったことのあるシェルパ。バルドゥチュリでミグマと共に悪霊退治をする。
ロブサン
 ヤシュティ・ヒマールへの登頂を目指すナムギャルを追って装備の回収をもくろんだが、遭難し、悪霊となる。転生を説得するミグマを悪霊の世界へと引きずり込んだ。
ギャンゾ
 ヤシュティ・ヒマールで死んでいたシェルパ。転生を条件にミグマの登頂を手伝う…が、ミグマは登頂した後に異世界へ行ってしまった…。たぶん、ミグマが帰ってくるのをずーっと待っているものと思われる。
ヤシュティ・ヒマール
 カンリンポチェ峰、カイラス山、真のメール山などとも呼ばれる。帝釈天の化身でもある。ナムギャルはここへの登頂の途中で遭難した。様々な問いを投げかけて登頂しようとするものを試し、資格がない者の登頂を阻止する。

キーワード

仮想現実
 バーチャル・リアリティといったほうが(今では)通りがいいかもしれない。様々な装置によってそこには存在しない物事を体感させることをいう。「天を越える旅人」ではミグマが曼陀羅の世界に没入することによって仮想現実の世界を体験するが、あれはミグマの修行の賜物であって、凡人にはとてもできない。本読みの達人になれば、SFを読むだけで仮想現実の世界へとトリップできる…かも知れない。
 ちなみに最近「バーチャなんとか」というゲームがあるが、あの程度で「バーチャ」を標榜するのはおこがましいと思う。
フラクタル
 ある形の中に縮小された元の形が存在するような形。自然界には数多く見られる。例えば木の枝を見れば、太い枝も、その一部である細い枝も、そのまた一部のさらに細い枝も、大きさ以外は非常によく似た形をしている。余談ですが、実は少しだけ関連の研究をしていたりします…。

あらすじ

 雪山で遭難・凍死するという、とてつもなく寒い夢に悩まされていたミグマは、それを実際に経験した転生前の自分を探る旅に出た。古毛布にズック靴という軽装、おまけに高所登山がどういうものかも知らない状態で、死にそうになりながら、それでも体力にものを言わせてチベットの峠を越えた彼は、ギャルツェン・ゴンパ(寺)に住み着いていた僧ダンズンに出会う。ミグマの話を聞いた彼は、夢と現実の境を取り除く、夢見による瞑想法という幽体離脱の秘術をミグマに伝授した。
 「そやけどこれ使うんやったら経験つまんとあかんで」

 転生前の自分がナムギャルという人物であることをつきとめたミグマは、ヤシュティ・ヒマール登頂の目的を知るべく、宇宙の構造が描かれているという曼陀羅を求めてカリンポンのゴンパへとたどりついた。
 踊りだす尊像。曼陀羅に描かれた仮想現実の世界へと没入してゆくミグマ。しかし、曼陀羅に書かれていたのはヤシュティ・ヒマールを中心とする限られた領域でしかなかった。
 「この曼陀羅には宇宙の構造が書かれてるんとちゃうんか…」
 「お前の世界認識は、まちがっている!」驚いたことに、曼陀羅に書かれていた仮想現実世界の一部であるはずのナムギャルは「生きて」いた。そしてミグマに曼陀羅の真の広がりを垣間見せたのだった。
 「まだまだ経験が足りんのう。バーチャばっかりやっとったらあかんで。自分の足で歩いてみんと」
 さて、実際の雪山での経験をつむべくシェルパとなったミグマは、バルドゥチュリへの登山でソナムと共に悪霊退治をすることになった。が、ナムギャルに恨みを持つ20年前の悪霊・ロブサンによって自分自身が悪霊へと堕ちてしまう…。
 考えることを放棄してグレてしまったミグマだった悪霊は、今度はロブサンとしてミグマに相対することとなった。しかし、それはミグマではなく、ナムギャルだった。
 「…そやから言うたやろうが。おまえには現実世界での経験が足りひんて。ほら、もっかいミラレパからなぞるんや」

 十年後、あちこちを自分の足で歩いて経験をつみ、現実世界の認識を深めたミグマは、いよいよヤシュティ・ヒマールに挑んだ。しかし、ヤシュティは意地悪だった。
 「おまえに登頂する資格があるんか?この世界の構造もろくに知らんくせに」
しかしミグマも負けてはいない。
 「何ゆうてんねん。おまえこそ知ってんのか?ここから一歩も動かれへんくせに」
 「よっしゃ。ほんなら答えてみい…。第1問。朝に4本足、昼は2本足、夕べには3本足になるんは何や?」
 「おまえはスフィンクスか。そりゃ人間のことやろ」
 「やるな…。そやけど次が本番やで。第2問。この宇宙を支配してる物理法則はどんなんや」
(そんなもん知らんぞ…)答えに窮するミグマを雪崩がおそった…。
 ミグマは肉体を抜けだし、幽体のまま宇宙空間へと飛んだ。めいっぱい加速しても速さが変化しないことから光の伝播速度を確認した。通りがかりの彗星の核を加速してみると質量とエネルギーの関係がわかった。こうしてミグマは物理法則を…光速不変の原理から、不確定性原理まで構築していった…。

 ついにミグマはヤシュティ・ヒマールへと登頂し、異なる物理法則を持つ異世界への通廊を抜けるための資格を手に入れた。しかし、その先に行くためには肉体の放棄が必要だった…。
(せっかくのこの宇宙についての知識はどうなるんや…)悩むミグマ。(そやけど…)
 「…よっしゃ、それでええ。身体のほうはしゃあないな。ま、いつか帰ってこれるんやったらええわ」
(帰ってきたら、あの曼陀羅にまた書き加えたる…)
 そしてミグマは異世界へと旅立った。

曼陀羅の中の人外協

 「天を越える旅人」に登場する宇宙の構造を書いた曼陀羅はなかなか魅力的なものです。そこで、人外協の隊員がミグマの代わりに曼陀羅に没入した場合を想定してみました。

1.NIFTY にはまっている隊員の場合(例えば初代)
 「これはすごい。『JM』に出てくるやつなんかよりずっと進んだサイバースペースやで。ここに人外協のHP作ったらええんとちゃうか。RTみたいにまどろっこしいことしてキー叩かんでもええし。あ、例会もここでできるんとちゃうか。…そやけどここ、酒はあるんかいな。それにあくまで仮想現実やってゆうし、酒飲んだかて酔えんかったらちょっとつまらんわな」
 (ナムギャルが現れ、「お前の世界認識は、まちがっている」と言って、曼陀羅の中の宇宙の構造を見せる)
 「ほえー。現実世界での経験が大事っちゅうことは、経験があったらここでも酔えるんやな。そりゃええわ。そや、これやったらここに人外協の支部が作れるで。『この宇宙は我々人外協が制覇した』…うん、ええなあ…」
 (頭を抱えるナムギャル)
2.いろもの氏の場合
 「ふんふんなるほど。こうなってるわけやね。フラクタルつこうて書かれてるんかいな。ちょっとばかし『ちょ〜』のにおいがせえへんでもないなぁ」
 (ナムギャルが現れ、「お前の世界認識は、まちがっている」と言って、曼陀羅の中の宇宙の構造を見せる)
 「そりゃおかしいんとちゃうか。おまえ、さては『ちょ〜』とちゃうか?おまえの世界にはまだ量子力学があれへんみたいやないか。知ってるか?こっちはちょーはちょーでも超ひも理論やぞ」
 (激しい論争。しかし議論でいろもの氏に勝てるわけもなく、ナムギャルはついにいろもの氏の理論を納得する)
 「あぶなかったな。あやうくこの世界が『ちょ〜』になるとこやった。ほんま、どこにでも『ちょ〜』はおるんやなあ」
 (礼を言うナムギャル)
3.甲州先生の場合
 「ネパールや…。なつかしいなあ。おまけに飛べる飛べる。そんなとこ飛んだら天気悪なるて?かまへんかまへん、どうせ仮想現実や。あ…そや仮想現実やったらここで戦略シミュレーションやったらええんとちゃうか。初期条件ちょっと変えてみてどないなるか試したやつを原稿にしたらええんや。ほんで俺が上村尽瞑の役をやったらええんや」
 (ナムギャルが現れ、「お前の世界認識は、まちがっている」と言って、曼荼羅の中の宇宙の構造を見せる)
 「おおお。これはすごい。航空宇宙軍史まるごとここでできるんとちゃうか。それやったら俺がムルキラやったらええんや」
 (ナムギャルが役をねだる)
 「そやな、汎銀河人はどうや。ダムダリなんか向いてるんとちゃうか。過去の記憶を持つことになるんやし」
 (喜ぶナムギャル)

あとがき

 またこんなものを書いてしまいました。今回はなんと甲州先生にまでご登場いただいてしまいました。なお、これを読んで本当に「読んだふり」ができるとは思わないように。甲州作品をなめてはいけません。それから、前述のエピソードはあくまで私の個人的な解釈によるもので、登場人物本人の考えでは(たぶん)ないことを明記しておきます。




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