前稿によって、真空はカラダによくナイことをしみじみ納得していただいたと思いますが、テーマ解説の最後は、真空等から身体をまもる宇宙服についてです。
まず「宇宙服」という言葉についてですが、いわゆる宇宙服という言葉で一般的に連想されるものは、船外活動宇宙服のことですね。ところが、非常用機能等を備えた船内宇宙服というのも存在しますから、「宇宙服」という言葉はけっこう曖昧な概念であることになります。そのためか、『軌道傭兵』では船外作業宇宙服については与圧服または気密服と称しています。そこで、ここでも、特に註釈の無い場合は、船外活動宇宙服=与圧服と称することにしましょう。
さて、与圧服に要求される性能は、気密性及び吸気の供給以外にも、排熱や微小浮遊物防御等、様々な機能が要求されます。
以下、与圧服に要求される諸性能とそれに対する対応、さらに将来の見通しを、順を追って述べていきましょう。
まず、意外に深刻な、排熱の問題から。なにせ宇宙ですから、『風通しのよい』服にするわけにはいきませんし、外部が真空ですから、排熱に接触伝導も『汗をかく』ことによる気化熱の利用もできません。また、宇宙では、太陽の光を遮るものがない上に外部の熱源が太陽以外に存在しないときていますから、『日なた』と『日蔭』の差が絶大です。ということは、自分自身の体温でむれてしまいがちで、しかも熱量のムラが生じがちだ、ということです。その対策としては、与圧服そのものだけではなく、与圧服着用の際に必ずつけなくてはいけない下着に、水冷パイプをはりめぐらせることによって解決しています。これによって、発生する熱量を均一化し、また『水』という熱容量の大きい物質によって、極端な高温化も低温化も同時にふせいだわけです。アポロ計画でつかわれた冷却下着は、長さ百bにおよぶ冷却水チューブをはりめぐらせていたので、マカロニスーツと通称されていました。シャトル用の冷却下着も基本的には同様で、細い網目状の冷却水チューブは3系統にわかれているそうです。『下着』といってもそこそこの厚みがありますが、実用本意の代物ですからあまり格好良いものではありません。ダサいジャージイみたいな感じですね。
また、与圧服は一般に銀色または白色をしていますが、これは表面反射率を高めること等により太陽熱の吸収をできるだけ減らし、金属蒸着層などを積層することによって有害放射線をも防いでいるわけです。バイザーには透明素材を使わざるを得ませんが、フェイスプレートには薄く金を蒸着して、有害光線の侵入を防いでいます。『軌道傭兵』の設定では光量や紫外線に反応して黒化する素材を使っていますが、ポリカーボネート並みの強靭さを合わせ持つ素材が開発されればそうなるでしょう。
強靭さの問題が登場しましたね。そう、宇宙では与圧服の破断は致命的です。ところが、従来からいわれる微小隕石の問題に加えて、用語辞典でも触れた『宇宙ゴミ』の激増という問題もありますから大変です。与圧服は、強靭で柔軟な素材(ダクロン、マイラー・ポリエステル、グラスファイバーなど)を何層にも積層することによって備えています。
気密性と与圧の問題は、大きな問題点を一つ抱えているので最後に回すとして、様々な補助機能を、シャトル用与圧服についてざっと挙げていきましょう。
七時間前後も活動するとすれば、飲まず喰わずというのはちょっときついですね。飲料水のストローとキャンディー・バーが口元のところにあり、いつでも口にいれられるようになっています。
飲み食いすれば次に排泄というわけですが、排尿システムはアメリカの第2回弾道飛行から装備されました。アメリカ初の弾道飛行の際の悲惨な教訓のせいです。この時は飛行時間が極めて短い(15分)ため排尿システムが必要ないと思われていたのですが、発進準備のもたつきにより宇宙服着用から発進まで五時間かかってしまったので、発進のショックでこらえきれなくなり、オシッコはヘルメットにまで達してしまったそうです……なお、シャトル用与圧服では、950mlまで採尿できるオムツを冷却下着の下に着用しています。
次に、通信機。『軌道傭兵』ではコミュニケーション・キャップという言葉を使っていますが、NASAではコミュニケーションキャリアと称しているようです。これはヘルメットの内側に被る帽子型通信機で、与圧服のトラブルに際しては警報音と指示メッセージが伝えられるようになっています。
船外活動に際しては、行動の自由度を高めるために、移動用のオプションユニットを装備することがあります。MMUと略称されるこれは、全方位に二十四個の窒素ガス噴射ノズルを備えた大型ランドセルみたいなもので、一基あたり7.56ニュートンの推力があります。右の操縦旱で姿勢制御、左で移動の軌道修正・加減速を制御するようになっています。『軌道傭兵』に登場する移動ユニットは、この現存MMUの、後継機と思われます。
与圧服の着脱は、初期のころは大変だったようですが、シャトル用与圧服では一人でも約10分間で着用できるところまで進歩しました。着用手順は、まず液冷下着を身に着け、コミュニケーション・キャリアをかぶり、ツーピース式の与圧服本体を着用してから腰の部分をリングで接続します。さらにヘルメットを被って首のところでアッパートルソ(与圧服の上半分)と接続し、最後にその上に機外バイザー・アッセンブリを被ります。なお、『軌道傭兵』ではさらに進歩して、3分で着脱できるという設定になっています。
最後に、気密性と呼気の供給について。与圧服は、呼吸する空気を密閉するために気密であるわけで、とすると当然服内気圧が存在する(与圧されている)わけです。服内気圧の維持のために、積層構造のもっとも内側から気密層になっています。また、シャトル用与圧服の生命維持装置は背中に装備され、七時間前後の船外活動に必要な酸素供給・二酸化炭素除去が可能です。その表示・制御装置は胸にとりつけられています。また冷却水循環もここで制御しています。
これらの諸機能を付与した結果、現在スペースシャトル用に使われている与圧服のお値段は、開発費が二億四千万ドル、一着の値段が五十万ドルとか。
ところで現在使われている与圧服の服内気圧は、シャトルやステーション内と、気圧や組成が違ってしまっており、そのために重要な問題が発生しています。
宇宙開発においては、長年、宇宙船内気圧は地上気圧よりも低圧でした。その代わり純酸素または60%〜50%酸素に窒素を加え、必要な酸素分圧を確保したのです。低圧の方が宇宙船殻に要求される内圧強度を低くすることができ、その分船体を軽くできるからです。与圧服内気圧・組成も一貫して低圧(およそ三分の一)・純酸素でした。
しかし、長期間の滞在を前提とする宇宙ステーションから、普通の空気とほぼ同じ気圧・組成が使われるようになっていきました。この理由の一つは、低圧・純酸素環境は、火災が大変起りやすく、しばしば事故が発生したことです。(だから、アポロ計画から、もっとも危険な地上発進時では酸素六割・窒素四割とし、その後徐々に酸素濃度を高めていく方法がとられています)そこでスペースシャトルにおいては初めから最後まで船内気圧・組成を地表大気と同様にしています。
それなら与圧服もすぐに一気圧に切り替えればいいようなものですが、すぐにはできない理由があります。与圧服は作業服ですから、四肢が自由に動かなければなりませんが、いままでのような柔軟な素材を一気圧に与圧すると、宇宙と服内の気圧差によって風船のように膨らみ、自由に動けなくなってしまうのです。
ここで、なぜ服内気圧と船内気圧の差があるとまずいか、確認しましょう。それは、前稿の最後に書かれているように、いきなり低圧下に身体をさらすと、いわゆる潜水病や高山病と同じ症状がでてしまうからです。シャトルで使われている与圧服の服内気圧はアポロ計画のそれより二割ほど高められていますが、それでも予備呼吸と呼ばれる馴致時間が必要です。着用四時間前から純酸素だけを呼吸するか、シャトル内全体を十二時間かけて半分近くに減圧した後、四十分の純酸素呼吸するかしなければならないのです。ところが、フリーダム計画では、フリーダムの建設それ自体にも、建設された後のミッションにも、いままでとは飛躍的に多大な船外作業が必要になるため、今の状態では不便極まり無いのです。
ところで、予備呼吸に時間をかけないですむには、服内気圧を現状の約二倍……三分の二気圧にすればよいことが、実験研究によりわかりました。そこで、そのような与圧服が研究され、すでに二種類が開発されています。
MMU を装備した船外活動宇宙服 |
ジョンソン宇宙センターで開発されたZPSマーク3は、半硬式、つまり腕・足・ブーツにはポリエステル繊維とウレタン樹脂をつかい、胴体を金属製にしたものです。金属といっても、螺旋状に巻いたり、金属リングとベアリングを組合せて、動けるようにしてあります。全質量は68.7kgですが、従来の与圧服は106kgですからむしろ軽量化されています。金属は主にアルミ合金を使っているようです。エイムズ研究センターでは全硬式、つまりほとんど金属製のAX−5が開発されていますが、これも可動部には滑らかに動くベアリング・ジンバル継手を採用し、関節部には体格調節用リングが入っています。表面は金属腐食防止のためケブラー繊維等でコーティングされています。質量は84.2kgす。どちらもずんぐりした外見で、なつかしの「ロボット・ロビー」を連想させます。いずれも小豆粒大の隕石の直撃にも耐えるそうで、フリーダム建造に使用される予定です。ちなみに製作費は前者が百十五万ドル、後者が百四十万ドルだとか。
『軌道傭兵』では、予備呼吸の必要が無い与圧服が『開発されたばかり』と書かれていますが、この点だけは現実が追い越すことになる予定です。それ以外は宇宙開発のスピードにはブレーキがかかりそうなことばかりですから、せめてそれだけでもめでたい!と思っておきましょう……
参考資料: 「宇宙生活への招待状」TOTO出版 中冨信夫著 「宇宙旅行と人間」講談社ブルーバックス 大島正光・新田慶治著