1961年、ソビエト社会主義共和国連邦(現ユーラシアブロックT〜Z)のユーリ・ガガーリン空軍大佐が人類初の宇宙飛行を成し遂げてから、2011年、月面都市ラボアジエが建設されるまでに半世紀を要した。その月面都市建設から十年後の2021年には木星の衛星ガニメデ上に基地が建設されるなど、人類は地球圏外に驚くべき速さで進出していった。2199年、第一次外惑星動乱時の地球圏外人口は一億人に達していたといわれ、現在の地球圏外在住者が1億4700万人ということと、第一次外惑星動乱の影響により地球圏外人口増加率が減少したということを考えても、動乱以前の年間人口増加率は動乱以降のそれに比べて約2.3倍であり、当時ー『開拓者の時代』と呼ばれるーの地球圏外での生活環境は劣悪で危険の多いものだったにもかかわらず、人類は何かに取り憑かれたかのように宇宙空間へ飛び出していった。この人類を突き動かした熱狂はいったい何だったのであろうか。
社会生態学者の中には「地球という生態系が、その存続を危うくする人類という寄生体を排除しようとした」あるいは「地球という複合生命体が、次なる世代としての人類を産みだそうとした」など、多分に宗教的、哲学的な考え方を述べるものも多い。必ずしも生態学的な理由がなかったとは言い切れはしないが、そうした考え方が生まれるのは当時実質的に人類を地球圏外に導いていった『惑星開発局』の実態が明らかにされておらず、また地球人類社会の当時の状況に関する情報が極端に少ないからである。
第一次外惑星動乱前後の記録は少しずつではあるが航空宇宙軍によって公表されつつある。しかしながらそれらの記録は科学技術発展史といった趣きで描かれており、人類が地球圏外に進出していくことになった契機、惑星開発局の変遷、地球圏外社会の移り変わりといった社会学的なアプローチによる記録が欠けている。
地球の生物圏内で適応してきた人類という生物が、地球圏外に飛び出すという不自然な形態をとり、過剰なストレスに晒されながらも地球圏外にコミュニティーを築き上げていく、その動機が闇に包まれたままである。
色物地球圏外社会人類学はこの人類史の荒野に踏み込んでいこうとするものである。この公的には何ら指標もない荒野ではあるが、まったく何の手がかりも残されていないという訳ではない。航空宇宙軍は一切の公式コメントを出してはいないが、我々が知るところの『コウシュウシ』による『航空宇宙軍シリーズ』がそれである。この予言書に描かれた世界は我々が辿ってきた歴史そのものと言っていい。それ故『予言書』というより未来世紀の『設計図』であったと語る者も多い。航空宇宙軍は例えばこの書に記された天王星の衛星の名称が異なっていることから色物扱いをして無視しようとしているのだが、逆に彼らの沈黙はこの書に描かれた世界の正しさを認めてしまっているようである。
『航空宇宙軍シリーズ』の他にもコウシュウ語録『こうしゅうでんわ』が記された評伝『コウシュウガホウ』や、外伝『こうしゅうえいせい』には数多くの秘史、秘話が語られており重要な参考文献となっている。
いずれにせよそうした公式記録の少ない分野ではあるが、あくまでもひとつの仮説をその入門編としてここに提示してみたい。
1990年代の地球では政治的イデオロギーの二極対立が一応消滅したかのように見え、次世代の新世界秩序を求める声が高まっていた。反面、民族主義の再燃、小数民族の主権復興、反中央のローカリズムなども高まっていた。経済的には、地域経済圏を構成しようとするリージョナリズムが台頭する一方で、多国間にまたがるトランスナショナル化した企業活動が活発になっていた。情報技術やメディアの発達は情報の拡散による文化・価値観の均一化をもたらし、グローバリズムを浸透させ、しかしながら疑似世界に埋没する保守化傾向をも生み出していた。混沌化と均一化が同時進行していた時代と言える。
その20世紀末の人類社会において、最も重大な課題のひとつとなったのが地球環境問題である。18世紀の産業革命以降、飛躍的に産業技術革新を成し遂げ産業活動を急速に展開してきた人類は、自らが地球大気圏内に放出し続けた二酸化炭素など温室効果ガスの影響により、地球温暖化という大きな環境変化の原因を作り出してしまった。
歴史上過去に地球が温暖化していた時代も存在している訳だが、それらの時代と根本的に異なっているのは温暖化の進行する時間的スケールが桁違いに速いという事であり、それによって引き起こされる海面上昇、砂漠化の進行、生物環境の変化が生物の環境適応速度を上回って進んでいくであろうという世紀末特有の危機感が生まれていった。
温暖化現象についての正確な大気海洋系循環モデルが完成していなかった当時では感情的イデオロギーとする向きもあったが、地球の環境許容量が不明であるにしろ、後戻り不可能な限界点を越える前に何らかの行動を起こさねばならぬというのが時代の必然であった。一九九二年、ブラジル(現サウスアメリカブロックT〜V)において、環境と持続的開発について『地球サミット』が催された。
この地球サミットは一九七二年、スエーデン(現ヨーロピアンブロック\)のストックホルム会議で取り上げられた地球規模の環境問題に対する関心を再検討する場を設けたわけだが、それはその二十年間に環境問題に対して何ら根本的な改革がおこなわれていなかった証明でもあった。
例えば、環境保全に関して経済的富裕国家群は国民総生産(GNP)の0.7パーセントにあたる『環境保護資金』を拠出しようとしたが、こうした資金を効果的に運用し、いかに環境問題に対して実質的な取り組みをおこなうかが問題視された。環境問題は政治や経済問題とも複雑に絡み合っており、単に資金を拠出するだけでは収まらず、経済的アンバランスやそれによって深刻化していた人口爆発の問題に対して全世界的な政治経済に介入していくことなどが肝要であり、そうでなければ環境問題を現実的に対処していく事は出来ないと思われていた。
それ故地球サミットにおいて一応の国際的な合意が取り交わされ、地球温暖化の防止、生物多様性の保護などの環境保全、回復に対する取り組みについて、より公平で総括的な新たな国際的機関によって指導管理していく必要性があると認識されるようになった。
当時の(現ワールドシステムの前身となった)国連は、地球環境と持続的開発という政治的、経済的に絡み合ったパラドキシカルな課題を強力に指導管理していく機構を有していなかった。またこの問題に対して人類の生活様式の転換も声高に叫ばれるようになったのだが、こうした声が高まった経済的富裕国家群と非富裕国家群との間で環境イデオロギーとも呼ぶべき経済と環境の二極対立構造が浮き彫りにされたのである。
経済的富裕国家群が作り上げた経済システムに組み込まれ、情報の均一化によって消費傾向を作り上げられ、いまさらながら一方的に生活様式の転換を押しつけようとする動きに非富裕国家群側は不公平感を感じ、また一方富裕国家群側もより望ましい生活自然環境を手に入れるための資本を得るため、より一層経済活動を活発化させなければならないジレンマに落ちいっていった。
こうした混沌と均一が同時進行していった国際政治社会の中で、ひとつの解決策として一九九九年の『地球環境管理理事会』の創設があり、新たな国際秩序を求めるワールドシステムを創造しようとする動きであった。
新たな国際秩序が生み出されようとする時、人類の産業経済活動の変革も求められていった。ひとつにはこれまでの産業技術史を振り返り、環境へのローインパクトを目指す技術革新が求められたのである。環境ビジネスとも言えるこの市場の開拓、拡大により技術革新が進み、その結果、廃棄物を再利用することで高効率をもたらす半閉鎖循環システムが発達し、これによって人類が宇宙空間で生存していくための閉鎖生態系生命システムなどが明確な現実性を持ち始めた。
化石燃料に代わるエネルギー革新も進み、核融合、MHD発電、水素エンジンなどが石油文明に代わって水素文明の幕を開けようとしていた。
また情報文化の均一化をもたらした情報メディアの発達は、衛星通信技術の伸展に依るところが大きく、これらの宇宙関連市場の基礎が出来上がりつつあ
ったところに、地球環境管理理事会の下で『惑星環境監視局』『宇宙環境開発利用局』『航空宇宙監視局』などによる積極的な地球圏外活動がおこなわれ始めた事がより一層市場を活性化した。
産業構造の転換の波は巨大な産軍複合体にも押し寄せた。政治的イデオロギーの二極対立構造が一応は薄れたことで総括的な軍縮傾向に拍車がかかった。しかしながら一方では地域的な紛争は増加しつつあり、軍需産業の市場が無くなる様子は見せなかった。この産軍複合体を一方的に解体、変革しようとすればその世界的な巨大さから深刻な経済不況をもたらす可能性があり、また生き残りを賭けた市場の確保、拡大のために地域紛争の火種を拡大する、あるいは作り上げてしまう恐れもあった。地域紛争の拡大は戦闘によって引き起こされ、自然環境の破壊、戦争難民の流出などは当事国のみならず近隣諸国に影響を及ぼし、紛争をめぐる関連諸国の政治的立場や軍事費の負担をめぐる対立が新たな国際秩序を求める人類社会にとって大きな障害となる。
時の軍事大国であったアメリカ合衆国(現ノースアメリカブロックW〜XXI)は、産業構造転換の遅れによる経済的不況と環境問題に対する産業活動優先の消極的姿勢により内政的にも外政的にもその指導力、影響力の低下に悩まされていた。そこでアメリカは経済復興と政治的影響力を回復するため、また世界の警察としての立場を確保し続けるために、経済を活性化し、軍事費の負担を軽減しながらも他国家への影響力は残そうと率先して航空宇宙軍監視局の国連軍的性格を強め、産軍複合体を宇宙産業に方向転換させ、宇宙関連産業界をリードしていった。
2019年、第二国連が誕生した際に惑星開発局と並んで国連軍を吸収する事になった『航空宇宙軍』の創設にはそうした政治的、経済的思惑が色濃く反映されていたのである。
そうした政治的な動きがあったにせよ環境保全と持続的開発というアンビバレントな問題のために、ローインパクトとはいえエントロピーを増やし続ける方向にしか進みえない人類の産業活動を地球圏内では規制によって押さえようとすれば、結局のところその活動の場を地球圏外へ広げざるを得なかったと言えよう。経済的動物となった人類の存在証明がその産業活動である限り停滞する事は出来なかったのであろう。
「かけがえのない地球」「唯一の地球」の環境を保護しようとし、またそれに背反する人類の存在証明として持続的開発を求めるため、環境にとって負の部分である産業活動を地球圏外に押し出していった。この環境イデオロギーが地球主義という政治的保守傾向を生み出し、地球圏外との相互交流を欠いた一方的な政策が特に外惑星域との関係悪化をもたらし、第一次外惑星動乱の原因となったのではなかろうか。
地球圏外コミュニティと一口にいっても内惑星域と外惑星域ではその成立過程と社会変革の過程が異なっているので、ここでは内惑星域の月、火星社会と、外惑星域は木星の惑星ガニメデの社会成立過程を取り上げてみたい。
月は地球に最も近い天体であり、地球圏外の天体上に基地が設けられたのも月が最初であった。惑星開発局の創設以前から基地活動が発展していたのも他の惑星域社会と異なる点である。
地球から時間的、距離的に近い月面では、その閉鎖生態系生命システムがまだ未完全な物であった頃から、地球からの物資補給に頼ることによって基地が設営、運営されていった。
当初基地に駐在していたのは宇宙環境開発利用局、あるいは航空宇宙監視局に所属する形でいわゆる国際公務員として派遣された人々であり、当然地球の機関に所属していた。宇宙物理学、天文学、宇宙土木工学、生物学などの学術専門家達によってコミュニティが構成された。そうした学術研究分野に加えて新素材の開発、地球圏外での産業活動の可能性試験などを通じて民間企業の投資、人材派遣の受け入れなどが、月は人類の宇宙共同開発の実験場であるので国際機関の指導、管理の下ではあるが、積極的におこなわれた。
こうして月社会は地球からの補給に頼りながらというか、それを前提にした成立であったため、地球ー月間の物資輸送路が早くから確立、拡充された。都市人口が増加するに従いその商品市場も広がり、地球からの流入商品も増加し続けた。月に滞在する人々は長短期の駐在員が多く、当然それらの人々は地球上の組織に所属しており、赴任手当など生活費もそのまま地球側で管理されていた。したがって月面都市での市場や地球ー月間の取り引きは地球上で決算され、個人の経済活動も地球上と同じクレジットカードがそのまま使用された。
都市行政についても都市運営機関は設置されたが政治決定権は全て地球上にあり、行政機関は地球上の機関の現地執行部であり地球上となんら変わることはなかった。
政治的、経済的に月面基地は地球と同一化し、地球外に存在するものの地球に抱合された、やや遠隔地の研究産業としとして発展していった。
火星は人類が最も親近感を持ってきた惑星のひとつと言えるだろう。人類はその物語世界の中で火星王国の興亡史を描き、荒涼とした宇宙港のたたずまいや移住者たちの生活を描き、火星人の存在を期待してきた。
閉鎖生態系生命システムがほぼ完成したことにより、その滞在期間と許容量が飛躍的に増大したことから、人類は移住対象として火星をも捉え始めた。
当初、火星への移住を含む開発計画は地球で全面的な賛同を得た訳ではなかった。新しいワールドシステムが出来、人口増加にある程度の抑制が成功し、世界的な経済調整によって飢餓人口が減少したとはいえ、まだまで債困に苦しむ人々は多く貧富格差が縮まった訳ではなかった。開発は宇宙にあるのではなく、我々の内にあると叫ぶ声も多かったのである。
それ故火星社会はひとつの理想人類社会の建設という表面的題目を掲げ創設されることとなった。基地建設時におけるコミュニティは月面都市同様科学技術者の集まりであったが、基地の閉鎖生態系生命システムの拡充によって収容人口許容量が五百人以上可能になってくると、惑星開発局は国家、民族、イデオロギーに捉われない全人類に開かれた都市として一般の人々も受け入れる体制を整えた。基本生存権の確保と平等を謳い、同一スタートラインに立たせる事で理想的人類社会を出現させようとしたのである。
しかしながら地球圏外の都市はその許容量が計算管理される都市であり、理論的には不法滞在者を受け入れ続けることの出来る地球上の都市とは異なり、そこに住む人々ついては食料、空気、水などの生存条件が保証されるというのが当然というか、生存条件を満たすことの出来る人員しか収容出来ないのである。そして都市行政機関によって生存権を保証されるという事は、都市国家に殺生与奪権を握られているということでもある。
社会構成に多様化が求められたように経済活動もまた民間投資を受け入れた。産業活動への投資は鉱物資源の開発利用から始まったが、しだいに火星上での加工、製造業にも投資されるようになった。特に火星から原材料を輸入し始めていた産業体は、地球圏内での資源開発や設備投資に環境保護税を始めとする課税や環境保護に対する資本投資が大きくなってきており、火星から資源を搬入する輸送コストもそれらを考慮すると十分に見合う物になりつつあり、火星は投資回収が充分に見込める場所となっていたことが大きい。
これらの民間投資は惑星開発局が設けた外郭機関の『火星経済連』を通じておこなわれた。火星経済連は地球上の民間投資機関の窓口となるとともに、火星都市に居住する人々の個人資産、派遣手当などを取り扱う銀行業務も兼ねるようになった。また商品取り引きの一括窓口となる貿易部もあり、地球からの商品の流入販路も確立した。
火星都市社会の中で市場が拡大し、商品選択の幅が広がり、火星製品が出回るようになると、以前から地球のクレジットカードが一応使用出来ていたが、火星市場で通用する『マーシャルカード』を火星行政部が発行するようになった。火星経済連内で運用される資本に応じて、それはもちろん地球上のクレジ
ットカードとの互換性があり、最終的には地球上で決算される仕組みに変わりはないのだが、これにより火星都市内の市場経済はより自由になり活発化した。またそれに刺激された火星在住者は商品の選択の幅をより一層求めるようになり、地球からの商品流入も増加し、企業の資本投資も増加した。
このように火星社会が経済的、社会的に多様化し、拡大化しようとした時、惑星開発局の理想主義的行政機構は対応する柔軟性に欠け、管理官僚主義的な地球からの指示を待つ運営機構は火星都市の現状に合わなくなっていた。火星都市住民は火星都市独自の都市運営機構を求め始めた。
火星都市運営機構の改革は地球上の産業界からも強い要望が上がっていた。火星への産業投資や流通をおこなう上で惑星開発局の機構では非能率的で現実的な即応性に欠けていることから、産業活動を重視した行政機構に変わることを望んでいた。惑星開発局側は火星社会を人類のひとつの理想社会建設のための場と考えており、全面的な自由競争原理を持ち込む経済社会を求めていた訳ではなかった。これらの妥協点として火星の自治行政を認めるが、経済、金融の拠点は地球上に残し、火星経済連を火星代表部として惑星開発局の管轄下に置いておくというものであった。
惑星開発部はこの火星社会に対して全惑星的な環境改造計画を持ち、第二の地球創造プロジェクトを予算化しようとしたことがあった。しかしこの火星環境改造計画は天文学的な予算になってしまうことと、第一期計画だけでも一世紀は要するものと考えられる超巨大プロジェクトであったため、事前調査は終了したものの実行に移す目処が立たなかった。
そうこうしているうちに地球ー月圏でのエネルギー資源確保の必要性から新たな資源供給地の開発が急務となり、外惑星域開発に優先権が与えられたのでこの火星環境改造計画は無期延期となった。外惑星域開発においては航空宇宙軍の役割が大きくなり、火星開発において後退を余儀なくされた惑星開発局から地球圏外開発の主導権が序々に移っていくこととなった。
2021年には既に基地が建設されていた木星の衛星ガニメデだが、人類の居住都市としての開発が引き続いておこなわれたわけではなく、長期間にわたって単に外惑星域探査の前進基地としてのみ存在していた。惑星開発局の主力が内惑星開発に注がれていた時代、この基地を管理し地道な探査研究を継続していたのは主に航空宇宙軍であった。
地球ー月圏のエネルギー資源確保の要求と、内惑星域開発の第一段階がひとまず終了したことから外惑星開発に目が向けられ始め、木星系衛星ガニメデの基地拡張計画が注目されるようになった。
内惑星域で試行、完成された閉鎖生態系生命維持システムは、基地の人員収容許容量を充分に大きくしてはくれたが、内惑星域とは時間的、空間的に地球から格段に遥か彼方の距離にある外惑星域に赴き居住を望む者はそう多くはなく、当初のコミュニティは主に航空宇宙軍関係者によって占められていた。
惑星開発局が地球圏外開発の指導担当機関であったのだが、外惑星域の開発が本格化してくる頃には航空宇宙軍の発言力も強くなっていた。都市行政などの運営は表向き惑星開発局の管理下に置かれていたが、航空宇宙軍の介入を排除することは出来なくなっていた。
あからさまな政治介入をせずとも、生活環境の厳しさというより精神的疎外感に耐えなければならない外惑星域に赴任していけたのは、宇宙生活の訓練を受けた航空宇宙軍関係者が多くなるということは自然の成り行きでもあった。
月、火星の都市と異なっている点は航空宇宙軍関係者が多いということもあるが、地球からの駐在員が少ないということもある。駐在員がいないというわけではないのだが、赴帰任に要する時間が数年かかってしまい、またその経費も安くないことから、駐在員の多くはそのままガニメデに留まることを覚悟している者が多かった。地球側もそれを承知させて送り出していたようでもある。それ故ガニメデ社会では全体的に地球からの疎外感がつきまとっていたようである。
序々に人口の増加していったガニメデ社会だが、その経済活動も内惑星域の発展経過とは異なっている。ガニメデを含む外惑星域の都市はエネルギー資源開発が主目的のひとつであったため、民間を巻き込んだ自由な産業投資開発はおこなわれなかった。それはエネルギー資源である重水素の供給を一部の企業体や国家に牛耳られることを未然に防ぐためであり、そのため惑星開発局は外惑星域担当組織として『外惑星域エネルギー資源開発公社』を発足させ、地球上の各国家単位で運営資金を拠出させることで、地球ー月圏内での公平な重水素エネルギー資源の確保、運用をおこなおうとした。
ガニメデ社会の約七割の人々がエネルギー資源開発に携わり、残りの人々も大半は社会公共サービスに従事していた。そのような社会の市民生活の場には地球からの商品流入もまだ活発になっていなかったし、流通販路が出来上がっていたわけでもなかった。しかし住民の自主流通市場というものは存在していたし、火星でのマーシャルカードと同様に地球上のクレジットカードと互換性のあるカードも発行されていた。正式な名称は明かではないが通称『カロリーカード』と呼ばれていたようである。これは商品選択の幅が極端に狭かった当時、配給制であった食料品を商品として、あるいは代価として取り扱われていたことからそう呼ばれるようになったらしい。
ガニメデ社会が重水素資源供給という単一構造から少しずつ多様化した産業社会構造になっていくのは、航空宇宙軍関連の航宙艦の保守整備、外惑星域内での航宙艦の建造を始めとする重化学工業が振興してきたからである。内惑星域から宙航してきた航宙艦の整備、点検、修理をおこなえる外惑星域での拠点を持つ必要性があり、また常に保守部品などすべての工業製品を外惑星域に確保しておくために地球側から補給業務を経常的におこなうことは経費が嵩み過ぎるようになった。そうしたことから外惑星域の工業力を育て、航宙艦建造能力を持たせるため技術移転がおこなわれたのである。
そうした社会の多様化は都市内市場をも刺激し、地球側からの商品流入も増大した。当初はエネルギー開発公社の赴任者に対する福利厚生的な意味合いの強かった地球製品の輸入だったが、人口が増え、社会構造が多様化すると商品選択の幅をもっと拡大することを望まれた。とはいえ輸入商品の中で主要な位置を占めていたのは地球産食品の種子類であった。これは内惑星域の都市群も同様なのだが、閉鎖生態系システム内で生産される有機物食品は地球側からの種子類の輸入に頼っていたからである。
二十世紀後半頃から地球の農業は多国籍種子生産企業に支配されつつあった。異品種の交雑によって作り出された一代雑種は雑種強勢によって原種にない特性を示し高収量をもたらすものとして普及していったが、第二世代以降は劣性になるため生産者側は種子を常に種子生産企業から購入しなければならなくなっていった。加えて生物遺伝子資源に関しては地球環境保全局が厳しい監視体制を引くようになっており、また生物資源の所有権問題も明確にされたことにより生物遺伝子利用による生産は特許料に加え原種所有権料をも支払わなければならなくなっていた。
生物遺伝子の利用に関しては、特に地球圏外で研究開発をおこなえるのは惑星開発局の特定部局に限り許されていた。これは閉鎖された地球圏外都市環境でのバイオハザードの危険性を考えれば当然の措置であったであろう。
こうしたことから地球圏外での有機物食品の生産は、地球側からの種子類購入に頼るしかない構造が出来上がったのである。第一次外惑星動乱時に地球側がおこなった経済封鎖は種子類の輸出の停止も含み、このため外惑星側の食料事情は悪化することとなり、非戦闘員である市民に最も深刻な影響を与えることとなった。動乱終結後、このことはあまりにも非人道的な措置ではなかっただろうかと地球側においても問題となった。
地球圏外の人類社会は、第二章で述べたようにそれぞれ社会構造発展の経過は異なるが地球との密接な関係を持ち、それぞれに次なる世界観の創造をしていったように思われる。地球と同一化していった月面都市。地球と経済的に相互交流しつつ、人類の理想郷を目指し独自の方向性を求めた火星社会。地球へのエネルギー資源供給という重要な位置を占めながらも、地球文化圏からの疎外感を深めていった外惑星世界。まだここには明確な太陽系社会の世界観は生まれていない。
統一された世界観もなく保守化していった地球側と、疎外されていった外惑星側の関係に亀裂が入ってしまったのは故のないことだったのだろう。結局人類は宇宙という地球圏外の環境に自らを充分『馴致』させないまま、あまりにも遠くまで進出してしまったのではないだろうか。その『揺り戻し』があの第一次外惑星動乱だったのかも知れない。あるいは第一次外惑星動乱は人類が宇宙世界へ出ていくための『通過儀礼』として受けなければならぬ痛みだったのだろうか。
現在の我々にしても果たして次世代の世界観を確立出来得たのだろうか。我我はもう一度人類が地球圏外に飛び出していった開拓者の時代を振り返り、第一次外惑星動乱を貴重な教訓として受け止め、次世代に譲り渡す世界観を発見しなければならないだろう。
最後に、今回の色物地球圏外社会人類学入門においては科学技術発達史や地球圏外社会の生活、風俗などについて触れる時間がなかったが、それらについては序章でも述べたコウシュウシの外伝『こうしゅうえいせい』などに記されている『異常兵器カタログ』や『地球外環境-人外魔境-の日常生活』などに詳しく描かれているので、是非ともそれらをご一読されることをお薦めする。