アコンカグアの主機関
誉八○八○は本当に失敗作か?

石原一輝(軍事研究家・元航空宇宙軍艦政本部機関課長)

 カンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦の建造計画が発表になったとき、次のような噂が流れたことを憶えている機関専門家は多いに違い無い。いわく、カンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦の機関は中島宇宙機の名機八○○八を越える新機軸の大型機関で名前は乙八○と呼ばれる、と。
 しかし、こうした予想は外れ実際に採用されたのは中島宇宙機の主力機関である名機誉八○○八をスケールアップしただけの誉八○八○であった。 前身である誉八○○八が宇宙船機関として名機の名前を欲しいままにしているのに対し、誉八○八○の評判は必ずしも芳しくない。専門家の間でも凡作と言う評はまだましな方で、失敗作と言う意見も必ずしも少なくない。私も艦政本部にいたころに、誉八○八○は乙八○の開発に失敗した中島宇宙機がしかたなく誉八○○八をスケールアップしたのだという邪推さえ耳にしたことがある。
 このような見解が専門家のなかにさえ見受けられる理由はわからないでもない。ここでカンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦の構造を見てみよう。機関専門家にとって最初に目につくのはカンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦に機関が三基存在することであろう。三角柱型の船体に角のそれぞれに機関が配置されている構造は通常の機関一基の大型宇宙船を見慣れた人間には異様に思える。
 機関三基よりも大型機関一基の方が効率が良いのは常識である。にもかかわらず機関が三基必要であると言う事は機関出力が低い事を意味する。従って誉八○八○は失敗した乙八○に他ならない。誉八○八○失敗説を指示する論拠の多くはこうしたものであろう。
 だが、こうした意見がまったくの誤りであることは明かである。このような意見をまことしやかに吹聴するのは自分がカンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦がどのような目的の宇宙船であるかを理解していないことを曝すに等しい行為であろう。
 ここでカンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦の機関構造について復習してみよう。
 カンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦で特徴的なのは重力制御装置の実用化であり、このシステムを抜きには機関構造は語れない。が、本稿では重力機関の詳細についてはふれない。これについては本誌の北莞爾氏の解説を参考にしていただきたいが、簡単に原理を延べるとレーザー光線による中性粒子(水素)のトラップ技術が基本となる。これによって中性粒子はほぼ絶対零度にまで冷却され、通常では考えられない高密度を実現することができる。この高密度物体を運動させることにより重力場を作り出すのである。
 太陽系を出発する直前のカンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦の総重量は5000億トンになるが、これらは木星から吸収した重力制御装置の質量、正確にはそのために高密度化した水素のそれである。
 この高密度水素は順次、核融合機関に送られ初期加速のための推進剤として用いられる。この過程で重力制御装置は質量を失うが、反面で、高密度物体の運動エネルギーを得ることができ、結果的に安定した重力場を維持することが可能となる。
 この重力制御装置の補償するGについて正確な数値は公開されていないが、巡行状態で100Gを維持すると言う意見が主流である。
 ラムジェット推進に完全に切り替わる段階でカンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦の質量は1億トンにまで減少するが、このとき宇宙船は光速のほぼ70%に達している。ラムジェットが必要な星間物質を得るためにカンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦ではレーザースクープという装置が装備されている。
 これは膜状のレーザー光線を展開し、本来中性の水素を磁気に反応するようにイオン化する他に、光圧によって星間物質を宇宙船前方に掃き込み、局所的に星間物質密度を向上させる働きを持つ。この装置によって磁気スクープの効率も向上し、必要以上に巨大な磁場発生装置も不用になったのである。
 こうしてみればカンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦の機関システムの巧妙な構造がわかっていただけたと思う。重力制御装置の存在によってカンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦は初期加速用にブースターシステムを必要としないのである。これは港湾施設が未整備な外宇宙諸国ででも必要ならばさらに別の恒星に移動できる事を意味する。
 さて、カンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦であるがこの宇宙船の任務はなんであろうか? 言うまでもなく外宇宙諸国での防衛・警察活動である。ようするにこれこそ人類文明の証である。カンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦こそが現地における航空宇宙軍そのものなのだ。したがって能力はともかくカンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦は基本的に恒星間を片道だけ移動できるならそれでよいのである。カンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦のもっとも重要な機能は移動することではなく、現地での調整活動なのだ。
 であれば、カンチュンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦のためにあえて高い開発費をかけて新機軸の機関を開発するメリットがどこにあるだろうか? 短期間とは言え、ただ一基で総重量5000億トンの船体を加速できる機関の開発がおいそれとできるようなものではないことは科学理論以前に常識で判断される種類の問題であろう。
 しかもそうした機関の信頼性はまったくの未知数であり、恒星間を航行中に予想外の事故に見舞われた場合を考えると単に機関効率がいいからというだけの理由で新機軸の機関を採用するのは無謀と言えよう。
 中島宇宙機が誉八○八○の開発にあたって、同社の最高傑作と言われる誉八○○八をベースにしたのも、一にこの信頼性を考えてのことである。また誉八○八○の部品の多くが誉八○○八と互換性があると言う事実は補給の問題を考えた場合、けっして無視できない要素であろう。部品の補給、整備、運営教育など、新機軸の機関を造ると言うのは単純に新しい機関を開発すればすむというような安易な問題ではないのである。
 表面的に物を見る浅薄な態度を改め、つねに物事の本質を考えているならば誉八○八○が失敗作などという意見がでるわけがないのである。私はあらためてここで宣言したい、誉八○八○は傑作だと。




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