それはまだ、外惑星動乱が勃発していない、少し前の話。
「火星行きMOMS003便でございますね」
カウンターの受付嬢は、すらりとした指で俺の差し出したチェックインカードを受け取り、所定のスロットに差し込むと、手馴れた風にキーボードを叩いていく。
データに記入された俺の名を復唱し、確認する。
俺はうなずきながら、今度帰ってきたらデートにでもさそえないかなどと、埒も無い想像を勝手にしていた。
受付嬢の手元が、一瞬止まる。形の良い眉を少しよせ、申し訳なさそうな顔を浮かべて、俺の荷物が表示されているだろう画面から顔をあげた。
「お客様、申し訳ないのですが、お荷物の総重量が少々所定量をオーバーしておりますが、いかがいたしましょうか」
チェックインカードには、俺の体重にくわえて、個人荷物のデータが入力されてる。そりゃそうだ、燃料やらなんやらは所定量しか船に積めない。まして旅客用の船だから持っていける荷物の量も超過料金を払っても、限界がある。
「あと少しですから、もしお差し支えなければ、お客様のご判断で削除品をお選びください。当社のサービスが責任をもってお帰りまでお預かりするか、お客様のご指定の場所にお運びいたします」
彼女が何かのキーを押したらしい。俺の目の前のパネルに、俺の荷物一覧が現れた。超過料金分はいっぱいいっぱいか・・・俺はため息をついて、個人の品物の一部を迷うことなく選択し、送り先を会社にして、視線を上げた。
「うけたまわりました。MOMS003便の出発は第3ゲートより標準時1600時となります、 それまではラウンジでおくつろぎください」
彼女の前のスロットから吐き出されたカードが、再び俺に差し出され、にっこりと受付嬢は微笑んだ。
「ああ、ありがとう」
俺は受付嬢に引きつった笑いを返して、出発ロビーのラウンジへと歩いていった。
歩きながら思い出すのは、思い出したくも無い上司のアルカイックスマイルだった。
「新製品のラインナップと販売ルートの新規開拓をしてきてくれ」
俺の目の前に、ディスクとわざわざプリントアウトされた書類を添えて差し出し、上司はにっこりと笑った。
「外惑星周辺地域?周辺ってどこからどこまでですか?」
差し出された書類をしぶしぶ受け取りながら、俺はとりあえず聞いてみた。
上司は軽く肩をすくめ、俺に書類束をめくるように促した。
出張旅程の大体は、最初のページにリストアップされていた。
外惑星周辺地域への出張。会社だって人間一人をある程度の金額を払っていかせるのだ、いちいち別の地域にそれぞれいかせるより、安上がりなのだろう。外惑星諸都市を一人で効率よく回れるように、ご丁寧に旅程表がついていた。
「俺一人でですか?」
「君は有能だ、実に有能だ、私も営業部長として鼻が高いよ」
おべんちゃらもいいところだ、と俺は腹の中で毒づいた。
独身で半年も月をあけても困る家族がいないのは、営業部の中で俺くらいのものだ。
「きちんと出張旅費でるから」
あたりまえだ、自腹きってまで会社に尽くす義理は無い。
俺は月をベースに展開している、宇宙食だの菓子だのを売っている会社に勤めている。
「これからは宇宙だ」とかなんとか、先代の社長が空を見上げて指差して、今の社長が育っただのなんだのと、もっともらしげな伝説が社歴に書いてあったのを思い出した。
俺の世代よりちょっと前、宇宙植民時代の味覚っていうのは、イチゴのショートケーキだろうと、ビーフシチューだろうと、カレーライスだろうと、定型のチューブにおさまってるか乾パンみたいな固形か、レーションケースにおさまって水だの蒸気だので戻して食っちまうから、結局ぐちゃぐちゃした形になっちまって匂いは混ざるし形の復元なんて夢のまた夢なんて状態の期間があったのだ。
もちろん、ドライフーズの技術は、本格的な宇宙移民の始まる前、いわゆる「宇宙開発」の時代にはある程度確立されていたから、地球上の新鮮な野菜だの肉だのを食べようと思えば食べられるが、べらぼうな金額をかけて宇宙にもちあげなきゃならなかったから、初期移民の口にそうそうたやすくはいるものじゃなかったらしい。
最近、ようやく民間プラントの生産が安定して、地球以外でも食料自給率はあがってきたが、それでもコスト面やら生産できる種類とかを考えれば「ちょっとはまし」程度のバリエーションでしかない。
俺自身も、月生まれだから、そんなに上等なものをくえてたわけじゃなく、修学旅行で地球に下りたときなんぞは、レーションでない生の食べ物を直接口にして、逆に味の濃厚さに気持ち悪くなってしまったくらいだった。
「うわ、これ個人荷物の所定量ぎりぎりじゃないですか?」
書類をめくるうちに、持っていく新製品のサンプル量を示す一覧表が目にはいった。
いくら会社がけちだとはいえ、さすがに旅客用の船で出張できるらしいことに俺は安心したが、「会社が持っていかせる」荷物リストのトータル重量はかなりのものだった。
「食べてもらわないと始まらんだろう?」
外惑星のお偉いさんや、将来官職でエリートさんになるような連中は、ちょくちょく月あたりまではなにかと理由をつけて出張してくる。だから官向けのアピールはそういう連中に「つなぎ」をつければいいのだが、民間人の口にいれるにはやっぱり直接いかないと埒があきにくいのが現状だった。
営業担当を現地調達して、貨物でサンプルを送ってやればいいのにとも思うが、なまじ地球圏と外惑星群の距離のおかげで、荷抜きやら、サンプル持ったままとんずらされたりとか、いろいろあったらしく、今回新製品もあるからライバル社に横流しされたくないなどの理由から、おそらく会社側としても「目の届くところ」に荷物があったほうがいいと判断したのだろう。
荷物を大量にかかえたまま外惑星にいこうとおもったら、地球周辺と外惑星をいったりきたりする貨物用タンカーでも良いようにおもうかもしれないが、大型タンカーは一応旅客スペースがあるものもあるが、居住空間が狭い上、「人間用」じゃないから偉く時間がかかってしまう。
逆に旅客用は人間を乗せることが前提だから、ある程度旅程は短くなるし、居住空間もいい。ただ、やっぱり個人荷物の制限がある程度あって、俺が見た表はそれいっぱいいっぱいにちかい総量だったってわけだ。
「当分の下着類はもってけるだろ?営業服は地球圏ブランドなんかきてたら嫌味にみえるぞ」
数年前に外惑星営業にいったことのある部長は、苦笑しながら、出張費用の内訳ページを俺にめくらせ、服の調達費用も入っていることを見せた。
「現地調達ですか」
ぎりぎり+多少の超過費用で乗せられる重量でも、かなりのサンプル量になる。これを配ってまわるのか。
「各地の主要な会社には、アポイント依頼のメールは送ってある、現地に到着次第再確認してくれ」
上司は気楽そうに俺の方を叩いた。
なんとも、嫌な予感はしていたのだが、こうも上司の思惑通りだと腹が立つよりあきれた。
「ったく、あの狸め」
そういえば、「帰りは、通常持ち込み荷物量以内なら、個人的なお土産購入してもいいからな」なんていってたな、外惑星の土産なんて何があるっていうんだ、帰りがけの火星ステーションで、火星鼬饅頭でも買えとでもいうのか。出張費用限界まで使ってやる、と俺は心に誓ってみる。そうだ、さっきの受付嬢になにか気の利いた土産などみつくろえないだろうか。仕事の話などはつまらないだろう、女性向の特産品などがあればいいんだが・・・俺はラウンジにそなえつけてある情報端末で調べることを、歩きながら頭の中で組み立てていった。