宇宙船の居住性
どうして航空宇宙軍の宇宙船は居住環境が良くないのか?

林[艦政本部開発部長]譲治

 私が最初に読んだ航空宇宙軍史は「仮装巡洋艦バシリスク」だった。これ以降すべての航空宇宙軍史シリーズを―ガネッシュとバイラブも含めて―読んだわけだが、いつも航空宇宙軍史で常に感じるのが宇宙船の居住性である。どう考えても快適な居住区間とは思えない。むろん何をもって劣悪というかは定義しだいだが、それでもほとんどの場合その居住区間が狭いのは間違いない。
 航空宇宙軍史、特に第一次外惑星動乱――の話しかまだ書かれていないせいもあるが――時期の宇宙船はその傾向が強いように感じられる。
 例えば「砲戦距離一二、〇〇〇」などは宇宙船が小さいこともあろうが、乗組員はほとんど椅子から動かないらしい。これはおそらく宇宙船内がほとんどの時間を無重力状態で過ごすということから、甲州さんが椅子だけでも十分と判断したのではないかと思われる。あるいは「こんなもんヒマラヤ登る苦労を考えたら天国やで」と思われたのかもしれない。
 読んだ印象だけで判断すれば、この時期の航空宇宙軍は、

  1. 宇宙船の仕様を決定する
  2. その仕様を実現する最小限度の大きさの宇宙船をラフで設計する
  3. ラフ設計に基づいて詳細設計をする
  4. 具体的なエンジンなどを決定する
  5. 空いた隙間に人間を押し込む
  6. 人間が宇宙船に合わせる

という設計思想を持っているかのようである。「終わりなき索敵」など顕著であるが、どうも航空宇宙軍という組織は人的資源を大切にするという観点があまり感じられない。ロックウッド少佐を冷凍して何回も使うなどということは、航空宇宙軍における人的資源の払底故のことだが、そのことは人材の育成に成功していないことの現れでもあろう。
 もっとも「終わりなき索敵」の描写によれば、航空宇宙軍は頭脳的なサイボーグ技術により経験豊かな士官の情報を保存・伝承することが可能らしい。
 現実の軍隊が構成員の生命を重視するのは、個人と国家の関係とか色々あるが、その構成員が受けてきた教育や技術が失われることを避けるためであることが大きい。パイロットなどが敵地で撃墜されると、相当数の兵力を投じて救助にあたるのも彼らが一朝一夕では養成できないから――アメリカなど国内政治的に戦死者を出せないという事情もあるが――に他ならない。
 しかし、航空宇宙軍の場合はその経験や知識を他の人間に即座に与える技術を持っているわけで、情報さえ確保できるなら情報のプラットホームつまり軍人の生命にはさほど価値は無いという考え方もできるだろう。「戦闘員ヴォルテ」のような技術が航空宇宙軍でどれだけ広範囲に用いられているか知らないが、ハードウエアとしての人体も量産化され、ソフトウエアとしての軍人の知識も脳にダウンロードされるなら、兵士の命というものはかなり軽いものとなるだろう。
 この事は谷甲州SFにおける一つのテーマ、何が人間か? という問いにもつながるだろう。
 例えばいま、戦闘員ヴォルテのぱっちもんに三〇〇年くらい蓄積された士官のデータを入力するとする。ヴォルテのぱっちもんは目覚めた瞬間から航空宇宙軍の士官として働くことが可能であろう。
 働くことが可能であるばかりでなく、ヴォルテがそうであったように、ぱっちもんのほうも感情を持つだろう。まずここで大きな問題が一つ浮かぶだろう。つまりこのヴォルテのぱっちもんは人間か?
 仮にここで彼が人間だとしよう。だとすると二つ目の疑問が生じる。ぱっちもんを人間としているのは、誰の物ともわからない人格データなか、それともデータのプラットホームである人体であるのか。あるいは両方揃わないと人間とはいわないのか。
 これに対する解釈は人それぞれであろう。SF作家の中にもこの辺の考え方はたぶんわかれるはずだ。それでは谷甲州さんはどう考えているのだろうか?
 これに対する答えは本人に伺うよりはないが、私見を述べさせてもらえば航空宇宙軍史の中では「人間=データ」という図式、少なくとも「データは人間の十分条件」という解釈はなされていると思われる。これは例えば超光速シャフトに関する情報の扱いや航空宇宙軍史では無いが「天を越える旅人」での主人公を見れば納得していただけるのではないかと思う。
 これに関連して航空宇宙軍史の一つの謎に対する解答もこの辺にあるのではなかろうか。その謎とはどうして航空宇宙軍史にはサイボーグは登場するのにロボットは登場しないのかという物である。
 しかし、この謎は先にあげたような解釈が成り立つならば意味を失うだろう。「人間=データ」であれば、ロボットに対しては普通の作家のようなロボットという位置は与えられないからだ。ヴァルキリー程度の人工知能は航空宇宙軍史においては自動機械に過ぎない。そしてヴォルテのような高度な知能を持つとそれはロボットでは無く人間となる。
 航空宇宙軍史には――もしかすると谷甲州SF全般かもしれないが――情報という観点で見た時、そこには自動機械と人間という二つのポジションしかない。ロボットという思考する自動機械は人間になるか機械になるかしかないのである。従って航空宇宙軍史にはロボットは登場しないのだ。
 宇宙船の居住性の話からずいぶん離れてしまった。だが航空宇宙軍史における宇宙船の居住性の悪さが、「人間=データ」という解釈を遠因としているというのはうがちすぎる見方だろうか?

布団たたき




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