シリウス星系の産業構造を考える

林[艦政本部開発部長]譲治

 シリウスは航空宇宙軍史によれば人類が3番目に進出した太陽系外の世界である。ここでの産業構造を考えるにも資料は仮装巡洋艦バシリスクしかない。しかし、この中にはシリウスの産業構造を考える上で大事なヒントがあるのである。

 早川文庫JA200「仮装巡洋艦バシリスク」の192Pがそのヒントである。そこにはこう書いてある。「・・・砂糖とミルクのパック・・・」と。どうでもいい記述のようにも思えるがよく考えるとこの記述の持つ意味が分かるだろう。
 ミルクとはなんであろうか? もちろん牛乳だ。しかし、グルカ級哨戒艇になぜ牛乳が積込まれることができたのか。もちろんアコンカグアからの補給物資なのだが、問題はその牛乳の出どころである。
 アコンカグアは少なくとも数年にわたってシリウスで任務についている。アコンカグアには100機にのぼる艦載機があることや、にもかかわらず大きさは500メートル程度にすぎないことを考えるとこの牛乳を太陽系からの備蓄と考えるのは難しい。そもそも成分の90%以上がたんなる水である牛乳を9光年も遠くに輸送するような馬鹿な真似を誰が考えるであろうか?
 ここで固形成分をを乾燥させて運ぶという方法を考える方もいるかもしれない。あるいはアコンカグアはほぼ完璧な閉鎖生態系だからミルクとは豆乳か何かだと考えることもできるだろう。

 しかし、ここで私はこの話の作者が他ならぬ谷甲州先生であることを強調したい。エリヌス−戒厳令−でのアクエリアス船内での食事のシーン、そして最近では軌道傭兵2でのコメにたいする蘊蓄、食に対する作者の姿勢を考えれば、谷甲州がミルクと書いたからにはそれは豆乳でもスキムミルクでもなく牛乳なのである。それが本物の牛乳でなかったならば谷甲州は必ずその事に触れるはずなのである。
 さて、グルカ級哨戒艇に積まれていたのが本物の牛乳であり、それが地球からの備蓄でないとするとこの牛乳はシリウス産の牛乳となる。このこと自体はけっして不可能なことではない。生きたまま何頭か運びあとは冷凍受精卵の形で大量に輸送すればいいのだから。
 ただ牛の存在は別の意味で重要である。ある量のエネルギーを人体が穀物で得るのに1Kg必要だとしよう。これを鶏肉の形で得ようとすると飼料穀物で2Kg必要になる。さらに豚肉だと4Kg必要であり、牛に到っては8Kg(6Kgというデータもある)も必要とするのである。
 つまりシリウスで牛が飼育されているという事実はシリウスにかなりの規模の穀物生産力が存在することをしめしているのである。襲撃艦ヴァルキリーではプロクシマ系の工業力について触れられているが、仮装巡洋艦バシリスクではシリウスの商業航路の増加について触れられているものの工業力についての言及はない。この事から推測するとシリウスは農業国と言えるだろう。

 しかしながら宇宙都市で牛が飼育できるほとの穀物生産力というのはいささか生産過剰ではないだろうか。ただ、次のように考えたらどうだろうか。
 恒星間では電波情報でさえ伝達には数年を要する。もちろん宇宙船もだ。距離というものが作り出すタイムラグはけっして無視できない。このような条件のもとでもし恒星間貿易を行うとしたら価格の交換はどうすればよいのだろうか。貨幣は無意味であるし、信用取引も情報の伝達に数年を要するようでは実用的とはいいがたい。
 ここで恒星貿易の価値の基準を食料、とくに穀物においたらどうであろうか。それぞれの星系の物価が穀物の量を基準に作られていれば穀物が国際通貨になりえるのである。穀物を通貨とした場合のメリットは商品としての穀物と国際通貨としての穀物の二面性を持つことだろう。つまり備蓄食料の量を調整することで通貨の流通量を調整できる。生産性の向上がそのまま国富に結びつくメリットもある。

植民地の牛 穀物貨幣の存在は航空宇宙軍の植民地開発のリスク軽減にも役立つだろう。植民地を新たに開発するためには多額の資金を必要とし、植民の過程で返済して行かねばならない。もしもこの返済が何等かの工業製品であれば植民地は基本的なインフラ(空気、水、食料、エネルギーなど)を整備し、それから工業を動かしてようやく返済が可能になる。それまで植民地は富を生産することができないのである。これだと長期にわたる資金援助が必要となり自然と負債の返済は困難になる。
 一方、穀物が通貨であれば植民地はインフラを整備する過程で国富を生産することが可能になる。すべてのインフラが完成した段階で植民地はかなりの国富を蓄えることも可能になる。とうぜん資金援助もわずかですむだろう。
 つまり恒星間の通貨を穀物にすることで人類は効率的に植民地開発を進めることができるのである。シリウスの牛乳こそ恒星間時代の穀物の復権を象徴しているのであります。




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