講堂の天井めがけて一斉に投げ上げられる制帽。
歓声と共に駆け出して行く若者達。
沢山の同期生が周囲にはひしめいているはずなのに誰もいない。
振り返ると彼女が居た。
白いドレスの裾が風にひるがえり、彼女の涙が白い肌に伝わっている。
紅い唇が何かを伝えようとしているのに彼には届かない。
否、彼は聞こうともせず、またもとの向きになおると駆け出して行った。
彼女もまた、自分の世界に一歩を踏み出す気配がした。
―――ああ、おれも女を泣かせたことがあったなあ・・・―――
「たいちょおー。いい加減起きて下さいよ」
と、士官宿舎とは名ばかりの一部屋で、ダンテは掛けてあった毛布をむしり取られた。基地の一角に陣取った彼の指揮する『タナトス戦闘団』の面々は、好むと好まざるにかかわらず、仕事の一部に上司の面倒見が入っている事を承知している。
資料室用に確保した小部屋には、簡易ベッドと物入れ代わりのトランクが、リノリウムの床の上にプリントアウトした雑多な資料と共に放り込まれていた。
「まったく、作戦がないとただの・・・・わあ」
小姑の様にぶつぶつ言っていたロッドは、足元の空き瓶に足をとられバランスを崩しそうになり、こらえた。空調設備がなければアルコールの匂いで充満していただろう。
「今日は誰かのお供で護衛するんでしょう?」
「なんで、オレが護衛なんぞせにゃならんのだ?」
「知りませんよ。聞かなかったんですか?」
「知るか」
ダンテはやっと簡易ベットの中から略制服のまま、しぶしぶ起きあがってきた。昨夜の“また女に振られたランスをみんなで慰めよう宴会”の名残である。つきあわされた他のメンバーは青い顔でダンテを送り出す準備をしていた。
「隊長のシャツにアイロンかけたか?」「靴、靴、靴、靴クリームはどこだ?」
ダンテがあっけに取られている間に、隊員たちは、式礼服一式を揃えてしまった。
「おい。そんなもん着用とは聞いとらんぞ」
「今朝方、連絡があったんですよ」
「そんなことはきいとらん」
まだ何か文句をいいたげなダンテは、簡易ベットから足を降ろした途端、床の上の空いた酒瓶に足をとられ派手に転んだ。
「げっ」
その場にいた人間が凍り付いた。が、幸か不幸か被害はダンテのスーツケースの大破ですんだ。
「おい。何で軍用のスーツケースが大破するんだ?」誰かが小声で言った。
「そりゃ、隊長だからさ」「なるほど・・・・」
「ちっ。最近のモノはヤワにできてやがる・・・ん?」
スーツケースにかましたエルボードロップを外し、その中から転がり出た小さな輝きに目をとめ拾い上げる。全員の目がモノに止まる。白銀色の指輪であった。ダンテが不思議そうに、蛍光灯に向け透す様な仕草をしてみるが、思い出す前に二日酔いで青い顔のランスが駆け込んできた。
「隊長!なにしてるんですかっ」
「なんだ?」
「今日は士官学校の卒業式で、それに出席する将軍の護衛でしょうがっ。早く着替えて下さいよ。15分後に出ますからね。他のヤツは用意・・出来てるな」
ランスはてきぱきと準備をすすめ、きっちり15分後にはダンテをはじめとする面々は今日の出張り先である<カリスト士官学校>へと向かっていた。
祝辞は長いものと相場は決まっているが、自分で喋るのと他人のを聞かされるのは大きな違いではある。が、段下に居並ぶ若者達は幕僚やら政府のお偉い人たちの言葉を聞きもらすまいと、真剣な表情で聞いていた。
ランスはダンテさえ10数年前もああだったろうかと、いつもと変わらない式次第を見て思っていた。祝辞、訓辞、謝辞etc.そして、その昔地球で行っていたという制帽投げ・・・・。くさい演出だが、絵になるのでそのまま残っているのだ。
ふと、招待席にいる女性に目をとめる。
「隊長。オードリイ・マルコーニがいますよ」
ランスが耳元でダンテに教えた。失恋したばかりだというのに招待客の中にいるカリストきっての女優を見つけだす素早さは、男心というヤツだろうか。
ダンテは興味なさげに、招待席を見やりそこで視線が止まった。
白い優雅な曲線を描く帽子。ライトで半分以上隠れてはいるが明らかにダンテの方を見ている。すい付けられるように互いの視線がからみあった。
帽子と同じ生地の白いドレスがダンテの記憶を呼び覚ました。
「隊長?」
何かを予見するかの様に出てきたプラチナの指輪。胸のポケットに入っているそれが急に重みを増した。
「知り合いなんですか?」
「・・・昔のな」
「え!?」
式の途中で妙な声を出してしまったランスだが、その行動は幸いにも目立つことはなかった。
−以上をもって、式次第を終了する−
という進行役のアナウンスとともにわあっという歓声と制帽が講堂のなかに弾け、生徒達はセオリー通りその場から飛び出していった。残されたのは累累たる制帽の残骸だけである。
そして、ダンテは目を細め心を過去へと飛ばしさった。オードリイ・マルコーニとの出会いに・・・。
「おい。フェルナンデス、お前ダンパの相手見つかったのか?」
授業と授業の間のわずかな時間。卒業試験が済み、消化授業とはいえまだまだ気の抜けない日が続いていた。
兵役を終えてからこの士官学校に入る者は少なくない。そして、一度放棄した勉学の道は厳しいものがある。だが、それもあと僅かな期間に過ぎない。卒業までのカウント・ダウンは始まっていた。
彼らは卒業してからの、それぞれの任務や赴任先についてあれこれと寄り集まっては予測をたててみるか、卒業式の直後にあるダンス・パーティーの相手をどこから見つけてくるか、といった話に花が咲いていた。
ヘロム・フェルナンデスに声を掛けてきたのは、まだ充分に若いクラスメイトだった。
「いいや・・・・どっちにしても俺はそんなもん出る気はないね」
「そう言うなって。実はさ、俺のオンナの友達がいるんだけど、どだ?」
そして、紹介されだのが演劇学校へ通うオードリイ・マルコーニだった。
「オードリイってね昔の地球の映画スターからとったのよ。私も彼女みたいな女優になりたいの。」
にっこり笑ってそう言った彼女は次々と数少ないオーディションを受けまくり落ちては、また、奮起していた。
植民地である外惑星全体で作られる娯楽映画は少ない。芸術作品に至っては皆無なのだとオードリイは言った。そういった娯楽の殆どは地球からの輸入か趣味の自主製作ものかだと。フェルナンデスにはそれらの違いはいくら説明されても解らなかったが、何にしても市場の狭さはいかんともしがたいものがあった。
「ここには文化がないのよ」
「地球にはあるのか?」
「そうよ。」
「だって、ここでは何でも地球のまね事ばかり・・・今度のダンパだって・・あ、ごめんなさい」
少々気が強く、思いこんだら融通がきかなくなる所もあった2人だったが、全体的にうまくいっていると誰もが思っていた。
卒業式の前日、たまたま通りがかった彼女のアパートから親密そうに絡み合いながら出てきたカップルを見なければ、もう少し長続きしたかもしれない。
オードリイと彼女を紹介した同級生のカップル、そしてフェルナンデスは石像と化したままそこに立ちすくんでいた。
まず正気にかえったフェルナンデスが、やり場のない怒りを真横にあった街灯にぶつけ、その場を去った。残った二人がどうなったのか知りたくも無かった。
それから半日、卒業式には出たもののダンス・パーティーが始まる頃には赴任先へ向かうシャトルのシートに収まっていた。
ヘロム・フェルナンデスのごつい手の中には記念にプレゼントしようとしたプラチナの指輪が寂しく光っていた。それはそのままトランクの隅へと収まり持ち主の記憶から卒業式の会場の隅で白いドレスを着て彼を見ていた女性の姿とともに忘れ去られていった。
「いやあ。相変わらず若い者は威勢のいい。自分なんぞの若い頃はですな・・・」
「まったくで。まあ、明日からはこのカリストを防衛すべく日夜働いてもらわねばならん人材たちですからなあ。ああでなきゃいかんよ」
「実に」
要人たちは、てんでに言い合いながら招待客と合流し用意された部屋へと向かった。ダンテたちもそれに倣う。そこには既に簡単な昼食が用意されており、それぞれ要人たちの懇談の時間がとってあった。
「おお。君があの・・・おっと、今日は護衛勤務だったね」
ダンテの知らない要人が人の輪から抜け出し、寄ってきた。一応極秘勤務扱いなので《コマンダー・ダンテ》の名は出ていない筈である。ダンテは不機嫌そうにそちらを見やる。白いドレスが視線の端に写り込んだのだ。でなければ職務中を理由に無視していただろう。
「僕はランドルフ・ガネット。ミザルー・コンプレックスの情報局長の秘書官をしている。彼女は、オードリイ・マルコーニ」
「こんにちわ。・・・ヘロム・フェルナンデス。元気そうね」
「なんだ?知り合いなのかい?」
ランドルフは理由あり気な視線を彼女に投げかけ、慣れた仕草でオードリイの腰に手を回し引き寄せる。ダンテの後ろに立っているランス以下が上司の募りつつある爆発の前兆に、一歩引くべきか取り押さえるべきか逡巡してしまった。ガネット議員と女優の仲は公認なのか、こういったことには関知しない人種たちであるのか。その場にいる人々は穏やかな談笑を続けていた。
「ねえ、私たちとても古いお友達だったの。少し、昔話をしてきてもいいかしら」
スクリーンやテレビでよく聞く、甘えた声にランドルフ・ガネットは相好をくずした。たしなめるように「しかし、中佐は職務中なのだから・・・」と言いはしたものの、あっさりと彼女に丸めこられ、2人は中庭へと向かっていった。
「意外ですねえ。あの2人が知り合いなんて」
「昔の知り合いなんていって、本当は・・・かっ、考えたくない」
一同は頭を抱えていた。
「何年ぶりかしらね、私たち。」
オードリイ・マルコーニは涼しげな笑顔をダンテに向けて言った。
中庭には、こんもりとした植物群が植えられており、ふんだんに給与されている水分が周囲の空気に重みを与えていた。
「こんな時に黙ったままなのは相変わらずなの?」
自分より上の空で、あらぬ方向に向いている顔に気付くと、白く細い掌でくいっとおのれの方へと持ってくる。ダンテのことを小指の先も恐れぬ整った顔立ちがそこにあった。
「まだ、怒っているの? 私が二股かけた上にどっちも振って女優になんかなったこと」
「・・・・女優として成功すれば、なんか、なんじゃないだろう。
「それに、整形でもしたのか? 目がでかくなってる」
しばらくの間沈黙してぼつり、と言ったダンテにオードリイは大きな瞳をまるくしてみせた。それから不満そうな表情がうかびはじめる。
「あのね、十何年かぶりの再開なのよ。貴方は軍の中で出世してるらしいし、私だって地球圏の主演女優賞がとれるぐらいになってるのよ。それなのに貴方ときたら・・・!」
言葉を詰まらせたかと思うと、けらけらと大笑いをはじめた。不自然なほど長い間、彼女はそうしていたが、頬を伝う涙が収まるとバックの中からハンカチを取り出し涙を拭き取った。
ダンテはその仕草をじっと見ながら、呟いた。
「惜しかったな」
「別れるんじゃなかったって?」
「まあな、どの女にでも思うもんさ。俺の目は高いんでな・・・」
「高いうえに、ふし穴だらけだわ」
子供を諭すような、その言い方にむっとしたが事実には違いないのでそのまま黙る。昔、付き合っていた頃もそうだった。と、ダンテは思い出す。もしかしたら、彼女の方が策略家としての才能はあるに違いない、と。
「さっきの男と付き合ってるのか?」
「どうかしら? どうして?」
「男がいるのに、食事には誘えないだろう」
言ってから、彼女は自分の聞きたい言葉を言わせることの出来る才能が、際だっていたことを思い出していた。
「貴方がそんなモラリストだったなんて、知らなかったわ」
くるり、と反対側を向き植木の葉を細い指で弄んだあと、ぱきりとそれを折ってしまったことに気付かないうちに「知ってたら・・・」とおのれの口の中でだけでつぶやいていた。そして、すぐにその考えを否定した。
「オードリイ・・・?」
「私ね、あさって月に行くの。オスカーっていうトロフィーを受取に・・・知ってる?」
彼女は、手折たれたそれを指の中で葉と枝を小さく引きちぎりながら問うた。ダンテに向けられた背中は、昔と変わらぬまま小さく細かった。
オードリイ・マルコーニの視線が再びダンテを捉えた。
「いいや、しらん」
おおまじめに答えたダンテの返答に、オードリイは呆れ果てた。
もしかしたら、自分が女優なのも知らないのではないのかとさえ思ってしまう。
それからまた、くすくすと笑いはじめる。今度は波間に浮かんださざなみの様な笑顔が浮かんでいた。
「・・・とにかく、それから帰って来たら結婚するのよ。決めた人がいるの」
「そうか・・・。なら、こいつは祝いだな。やるよ」
式礼服の胸ポケットから今朝方のリングをひっぱりだすと、引き寄せた彼女の左の掌へと落とした。きらきらと銀色の光をまとったリングが掌へと落ちると、貴重な宝物のように両手で包み込んだ。
その時、建物の中からランドルフ・ガネットがオードリイを呼ぶ声が聞こえた。
「じゃあ、行くわ。ありがとう。ダンテ」
「ああ・・・!」
二人は、ごく自然に友人としての別れのキスをした。少なくとも建物の中から見ればそうだろう。だが、オードリイは驚くべき大胆さで、濃厚なキスをしてのけると、何事も無かったかの如くダンテの脇をすりぬけていった。
呆気にとられたダンテが正気づいたのは、入れ替わるようにやって来た部下達が間近に近づいてからだった。にやにや笑いの張りついた顔を見ると、むっとした不必要にすごんだ顔になった。
「へへへ。おっと、緊急命令だそうですぜ。」と、妙にのんびりした口調で言うと小声で「口紅は拭きとっといた方がよくありませんかね? いやあ、お楽しみで・・・・」
「てめえら全員、す巻きにして宇宙空間に放り出してやる」
わらいころげる部下達に真っ赤になって怒鳴ったダンテであった。
「君もものずきだね」
地球圏<月>へと向かう定期便のファーストクラスの一室でランドルフ・ガネットは雑誌に目を通しているオードリイに、人前では見せない冷徹さを押しだして言った。
「男一人のためにあんなに手のこんだ事をするなんて。
「それが今回の仕事の報酬とはね・・・・」
オードリイは黙って聞いていたが、パタンと雑誌を閉じた。
「私はね。あの人に、あのときのままの思い出を持たれていたく無かったのよ」
眉間に皺をよせ、ぎゅっと雑誌を持つ指に力が入り、きれいなグラビアに傷が入る。
この事に関し何度説明しても<男>には解らないだろう。
愛した男に、自分がいちばん綺麗なままの記憶を残しておいて欲しいのだと、その為にはどんな労力も厭わない時があることを・・・・。
それを、どう説明して納得させることができるだろうか? 幾度も試み失敗しているのに・・・。
「あなた達には感謝してるわ。貧乏女優だった私をバックアップしてここまでにしてくれたんですものね。」
「映画や文学というのは、意外と我々の役に立つ。と、いうことになっているらしいからね」
「わかっているわよ。今度の事だって政治の駆け引きの前哨戦なんでしょう?でなきゃ、あんな三流映画が賞なんて取れるはずない!」
言ってから、さあっと顔から血の気がひいたのかランドルフから顔をそむけた。自分を抱きしめる様に躰に腕を回し、黙り込みきゅっと唇を噛みしめる。
ランドルフは優位な立場を誇示しているつもりなのか、周りに人がいるときのように優しく彼女の肩に手を回そうとして、振り払われた。
「結構よ。私は自分に与えられた役を演じるだけですもの。優しくなんかして欲しくないわ。貴方は私が軍を裏切ったりしないように監視だろうとなんだろうとしていればいい」
オードリイは自分を抱いていた腕を解き、呆気にとられている彼の腕をすり抜けた。ランドルフから数歩離れる。
「心配しなくても、ちゃんと役にたってみせるわ」
「そうかね。我々もそれを願っているよ。本気でね」
ランドルフの言葉を背中に受けながら、その部屋を出てゆき隣室のベッドルームへ入る。狭い部屋に置かれた据え付けのベットとサイドデスクがあり、そのサイドデスクの上にはプラチナの指輪があった。
指輪をとりあげはめてみる。何故、彼がプレゼントしてくれたのかは解らない。だか何だかおかしくて、ひとりでくすくす笑ってしまった。
「やあねえ。女の子みたいだわ・・・」
くすくす笑っている端からあふれでた涙を拭おうともせず、彼女は泣いた。
そうして、泣くだけ泣いてしまうと、バスルームにゆき化粧を落とし腫れた目を冷やす。改めてベッドルームに戻るとドレッサーの前に座りいつもと同じ手順で化粧をしていく。
仕上げには若い頃、彼らにスカウトされた頃につけていたのと同じ色の口紅をひいた。彼女だけの儀式。そしてじ自分に言い聞かせた言葉を思い出す。
――――私は神話になるのよ――――
――――その為には誰だって捨ててみせるわ――――
鏡にうつっているのは女ではなく、女優だった・・・・。
END